幕間・報告
南方の戦域はすでに制圧下に置かれていた。
戦闘そのものは終息しているが、完全な静寂はない。
焦げた土と鉄の匂いが地面に残り、踏みしめるたびに乾いた音だけが返ってくる。
戦場はすでに勝敗の場ではなく、整理と確定の場に変わっていた。
その中心で、レオニードは全体を俯瞰する位置に立っている。
剣は抜かれていない。
戦闘の熱から意図的に距離を取り、局所ではなく戦域全体の流れだけを見ている。
そこへ彼の副官が現れた。
男の名はヴィクトル・エルフェルト。
ダークブラウン色の髪は男性にしてはやや長く、視力が悪いのか眼鏡をかけている。
彼は物事を見るとき、状況を数値として変換しており、感覚ではなく、規模、速度、遅延率として処理をする。
そのため報告は常に簡潔で、同時に冷たいほど正確だった。
「報告となります」
レオニードは視線だけを向ける。
「全戦域の進捗は、他四方面すべてで交戦を継続中です。現時点でいずれも進捗は約六割前後となり、状況は誤差範囲内でほぼ横並びとなります」
一度も言い淀まない。
頭の中ではすでに各戦域の損耗率と進行速度が整理されている。
「ただし差分がございます、アルト軍のみ突破速度が局所的に上振れしています。他三方面は防衛密度の影響で停滞傾向となります」
数字として見れば、戦線はまだ均衡している。
ただし、わずかに歪みが出始めていた。
レオニードは短く息を吐いた。
「全体的に当初の想定よりも遅延しているな」
それは責任追及ではない。
ただの時間認識だった。
その時、伝令が駆け込む。
「速報!」
緊張が一瞬だけ戦場の空気を引き締める。
「アルト部隊、砦の攻略が完了しました!」
その一言で、戦場全体のバランスがわずかに傾く。
ヴィクトルは即座に思考を更新する。
(突破速度が想定値を大きく超過している。局所的にイレギュラーが発生した可能性あり)
その言葉を聞いても、レオニードの反応は変わらない。
しばらく沈後した後に、短く言う。
「そうか」
その一言だけだった。
勝利を評価する言葉でもなく、驚きでもない。
事実として処理された結果だけがそこに残った。
ヴィクトルは状況を考えながら淡々と言葉を続ける。
「全体の戦力配分から見れば、アルト方面は最も効率的に決着していると言えるでしょう。この結果を踏まえて他方面の前線維持にも寄与する結果です。しかし、一体何があったというのだろう。通常考えればあの戦力では⋯⋯」
ヴィクトルの解析は終わらない、一人で延々と何かをつぶやいている。
そんな変わった副官を余所目に、レオニードは小さな声で呟く。
「アルトは……優秀だな」
それ以上の評価は不要だった。
レオニードは背を向けた。
「他の軍も、引き続き制圧作業を続けさせろ」
その言葉を聞いて、ヴィクトルは一人で考えこむのをやめた。
「了解しました。全戦域の制圧処理を続けさせます」
――その頃ルーヴェル政庁の執務室は、静まり返っていた。
外では戦場が動いているはずなのに、この部屋だけは切り離されている。
机の上には各戦域から届く報告書が整然と積み重なっている。
その一枚一枚が現実の重さを持っているわけではない。
セリオスは部屋の中央にある椅子へと座っている。
彼の視線は机上にある書類へと向いたままだ。
やがて、執務室の扉が静かに開かれた。
「失礼します」
その女性は無駄のない歩幅で近づいてくる
入室してきたのは、補佐官のカリナ・エルフェルト。
髪は丁寧に分けられており、ダークブラウン色の髪となっている。
華美ではないが、目を引く容姿であった。
セリオスは書類から視線を外さないまま、わずかに口元を緩める。
「……報告かな?それとも求婚?どちらにせよ、今日は来客が多くて嬉しいよ」
軽い調子だったが、声音は崩れていない。
カリナは一瞬だけ間を置き、淡々と返す。
「残念ながら前者です。ご期待には添えず申し訳ございません」
皮肉にも似た返し、カリナの声色は変わらない。
彼女はこの軽薄そうな男の扱いに慣れているようだ。
セリオスは小さく息を漏らす。
「それは惜しい。両方ともあれば、楽しめたんだが」
いつもの軽口はそこまでだった。
カリナは机の前で書類を整え、すぐに本題に入る。
自身が持っていた紙面をセリオスへと手渡した。
その様子を見て、彼も気持ちを切り替える。
「戦況の速報です」
「続けろ」
「レオニード様の部隊、南方戦域の制圧が完了しました」
セリオスは紙の端を指で押さえたまま、小さく息を吐く。
「そうか⋯⋯、さすがは兄上だな」
それだけだった、カリナは続ける。
「他四方面の軍は現在も交戦を継続中です。いずれも決定的な突破には至っておりません」
「なるほど、全体の進捗は?」
「ヴィクトル副官の見立てでは、平均して六割前後で停滞しているとのことです」
「あの変人の⋯⋯兄上も物好きだよねぇ」
「ですが、副官の見る目は確かです」
セリオスはその言葉に同意する。
数字の意味としては戦況はコチラに有利。
しかし、均衡自体はまだ崩れていないことを示す数字だった。
カリナは一呼吸を置いたあとに、もう一枚の書類を差し出す。
「加えて、帝国軍の動きについて報告があります」
空気がわずかに変わった。
セリオスはようやく視線を上げた。
「国境付近に小規模ながら軍の展開が確認されました。偵察ではなく、地形および補給線を意識した配置です。意図的な軍事展開の可能性が高いと判断されます」
セリオスは一拍置く。
「……このタイミングで帝国が動いたか」
しかし、想定していた事態出来ていた驚きはない。
予定より早いなということを確認しただけの反応だった。
「この件は兄上にも報告しろッ」
「了解しました」
「報告は以上となります」
「ご苦労。下がっていい」
カリナは一礼し、静かに退出する。
彼女が去った部屋にはどこか華やかな香りが残る。
扉が閉じられると、再び部屋には静寂が戻る。
セリオスはしばらく動かず、やがて小さく呟いた。
「やれやれ……今日は騒がしいな」
その直後、扉が開かれる。
入室を許可する返答をすると鎧を着た兵士がやってくる。
セリオスに別の報告書が差し込まれる。
「速報です――」
「アルト様の軍、砦攻略が完了しました」
予想にしていない声にセリオスの手がわずかに止まる。
「……早いな、変人の目論見が外れたか」
彼は地図に視線を落とした。
アルトの位置、想定された攻略速度、そして今回の結果。
どこかに想定から外れている要素があるはずだ。
その要員となりそうな一つの名が思い浮かんでくる。
――ユウだ。
「……彼が何かをやったのかもしれないね」
確信ではない。
しかし、違和感の方向だけは正確だった。
セリオスはわずかに目を細める。
戦闘はまだ終わっていなかった。
すでに、別の戦い方が混ざり始めていることだけは理解していた。




