綻び
戦いが始まってから3日が経過した。
その日の夜、砦の中は静かだった。
石壁に囲まれた中庭には焚き火が点在し、揺れる光が兵たちの影を長く引き伸ばしている。
昼間は矢と魔法が飛び交い、怒号と衝突音が絶えなかった場所だが、今は別の顔を見せていた。
負傷者の手当てをする者、鎧の継ぎ目を確かめる者、黙って食事を口に運ぶ者。
誰もが自分の役割を理解し、無駄に騒ぐ者はいない。
三日間、騎士団の攻撃を受け続けている。
それでも、壁は崩れていないし、門も破られていない。
押し込まれてはいるが、決定的な崩れとはなっていない。
その事実が、この静けさを支えていた。
中庭の中央、粗末な机の前にその男は立っていた。
大柄な体格に無精髭、黒髪は後ろで雑に束ねられていた。
鎧は使い込まれているが手入れは行き届き、無駄な装飾はない。
一見すればただの荒くれ者に見える。
だが、その立ち姿には隙がない。
戦場を知っている者のそれだった。
男の名は、ガルド。
元帝国兵で正規軍に所属していたが前線で戦い続けた男だった。
ある戦いで命令を無視して、独断で部隊を動かした。
結果として部隊は生存したが、規律違反は見逃されなかった。
軍を追われて、行き場を失ったのだ。
ようやく流れ着いたのがこの組織、自由の盾だった。
無駄な争いはしない。
不要な損耗は避け、確実に勝てる形を作っていく。
だからこそ、この三日間、砦は落ちていないのだ。
「……悪くねぇ」
低く呟いた。
机の上には配置図と補給の記録が並んでいる。
それらを見ながら、状況を整理する。
門は三方向とも健在。
敵は遠距離攻撃を続けているが、決定打には至っていない。
こちらは守りに徹して、損耗を抑えている。
「外も、ようやく落ち着いたみたいね」
横から声が入ってきた。
「リズか⋯」
短く切った赤髪に鋭い目つき、軽装に近い装備。
細身だが動きに無駄がなく、どこか緊張を常に保っている。
ガルドと共に戦場を渡り歩いている女だった。
生き残る判断と直感に長け、今は副官としてガルドに付いている。
リズは砦の外の方向を見る。
「……妙だよ、来る気がなさすぎる」
ガルドは目だけを動かす。
「何がだ」
「普通なら、もう一度くらい突撃して来るでしょ」
リズは肩をすくめる。
「三日もやって外からの攻撃だけって言うのは、ちょっと大人しすぎる気がするんだよ」
ガルドは短く息を吐く。
「来たら楽だったんだがな。門の前で削り殺してやれるのに」
リズは小さく笑った。
「そうでしょ。分かりやすい相手なら楽なんだけどね」
三日間の戦いで、流れは見えている。
敵は慎重だ。故に踏み込んでこない。
このまま籠もり続ければ、先に折れるのは向こうのはず。
ガルドは補給の板に目を落とす。
「食い物はまだ余裕がある」
乾燥肉、穀物、保存食。
数日では尽きない量が残っている。
「それに兵も落ち着いてる」
リズは周囲を見回す。
「無駄に騒ぐやつもいないから、崩れる気配もないね」
「なら問題ねぇな」
ガルドは言い切った。
「このまま耐えきってやるさ」
それが結論。そのはずだった。
「――隊長!」
足音が駆け込んでくる。
足音の感覚が短く、呼吸が乱れていた。
ただの報告ではないと音だけで判断する。
ガルドは顔を上げた。
伝令らしき男が息を切らしながら飛び込んできた。
表情を見ると顔色は明らかに良くない。
「どうした!」
伝令は言葉を詰まらせている。
焦った様子でなんとか言葉を絞り出している。
「……水が……!」
リズの視線が鋭くなる。
少し強そうな口調だが、報告者を諭すように言葉を続ける。
「落ち着きな。何が起きてるんだい」
「水が……減ってます……!」
その言葉に、ガルドの思考が一瞬止まる。
報告された言葉の意味が分からない。
「減るわけがねぇ、川から流れてんだぞ。止まる理由がない」
だが伝令は首を振る。
「……流れてません……!」
リズが一歩前に出る。
何かに気づいたようだが、その表情はどこか曇っている。
目を閉じて、額に手をやっている。
「……減ってるんじゃない、止められたんだ」
ガルドの目が細くなった。
頭の中でここまでの状況が繋がってくる。
三日間の攻撃、遠距離戦に徹する動き、門を開けさせない圧。
「……外か」
リズも即座に理解した。
「外から止められたのかい!水源をやられたね⋯⋯どうりで大人しく攻めるはずだよ⋯⋯」
ガルドは舌打ちした。
「くそッ!」
リズは小さく息を吐く。
「正面から来ない時点で、嫌な予感はしてたんだよ」
伝令が震える声で続ける。
「残りの水が……ほとんどありません……」
リズの表情がわずかに変わる。
報告係に聞き返される。
「どれくらい持つんだい」
「明日まで、持つかどうか……」
沈黙が落ちる。
さきほどまでの余裕が消えていた。
食料はあり、兵も落ち着いている。
だが、一番大切な水がない。
なければ戦う以前に生きられなくなる。
「……貯水を見に行くぞ」
ガルドは現場へ赴いた、リズもすぐに続く。
石造りの通路を抜け、水と貯蔵場へと向かう。
石や土を踏んで進んでいく、二人の足音がやけに響く。
到着したガルドは保管庫の扉を開けた。
中の空気は冷たいが、違和感がある。
湿り気が少ない。
数日前にあった水がほとんどなくなっている。
貯水していた桶もほとんど空となっている。
わずかに残っている水が、頼りなく揺れている。
リズが低く呟いた。
「……これは、やられたね」
ガルドは無言でそれを見下ろす。
思考は冷静だった。
外の敵は、力で押してこない。
時間を使って、内側から崩しに掛かっている。
ガルドはこれまでの敵の攻め方から状況を判断して呟く。
「時間稼ぎだったか」
リズも同じ答えにたどり着いたようだ、ガルドの言葉に続ける。
「最初からこれが狙いか⋯。やられたね」
ガルドは短く答える。
「戦い方を知ってるやつがいる」
その一言には確信があった。
その言葉にリズが問う。
「どう動く?」
ガルドは迷わない。
「水を取り返すしかない」
低く言い切る。
「外に出るぞッ⋯」
リズは小さく息を吐く。
「……出るしかないかい」
ガルドは振り返って呟く。
「このままじゃ干上がっちまう。今の時期だと雨も期待できねぇ、もう籠もるのは終いだ」
静かな声だった。
だが確実に、戦いの形が変わっていくことが分かる。
守る側から、打って出ていく側へ。
砦の中に、見えない綻びが広がり始めていた。




