軍議
初日の戦闘が終わった頃。
空はすでに暗く沈み、各所で焚き火が揺れていた。
昼間の激しい衝突が嘘のように、戦場は静けさを取り戻している。
ただしその静けさは休息ではなく、消耗と緊張を抱えたままのものだった。
中央の大天幕には、各部隊の指揮官が集められている。
負傷者も混じっており、包帯越しに滲んだ血が灯りに照らされていた。
アルトは中央に立ち、机に広げられた地図へと視線を落とす。
「……状況を整理しよう」
声は静かだが、よく通る。
「三方向すべてで敵を押し込むことには成功した。ただし、その後は門を閉じられていて、砦内部に籠もられている」
アルトは一度、全体を見渡した。
「現時点で突破には至っていない」
短い言葉で結論を示す。
その言葉に続くようにカインが一歩前に出た。
「側面も同じだ、挑発しても出てこない。完全に守りに徹してる」
別部隊の隊長であるクラウスも報告する。
「背面も同様です。門への攻撃は通らない、壁にも防護がかかっている可能性が高そうです。」
報告が出揃った、どこも同じ状況のようだ。
その後にクラウスがゆっくりと口を開いた。
「結論は単純でしょう」
落ち着いた声だった。
「戦力を一点に集中して正面から破る。時間をかけるほど消耗するだけです」
数名の若年騎士がその言葉に頷き声を出す。
「このままでは削られる」
「押し切るしかない」
空気がわずかに傾く。
その流れの中で、沈黙をしていた男が口を開く。
「その必要はない」
皆の視線が、その男へと集まる。
発言者はユウであった、彼は地図の一点を指で叩く。
「準備は進めている」
クラウスの眉がわずかに動く。
「……何?」
ユウはその疑問に答える。
「敵の砦に流れる川を押さえた。完全に流れを止めたわけじゃないが、しばらくするとまともに水も飲めなくなるだろう」
天幕の空気が止まった。
一番最初にその発言に反応したのはカインだった。
「……いつの間にそんなことを」
驚きと納得が混じった声、ユウは肩をすくめる。
「お前らが戦ってる間だ」
あっさりとした言い方。
だが、その内容にははっきりとした重みがある。
アルトはその発言を聞いた後に静かに息を吐く。
「……なるほど」
だが、その中に行動した人物への評価が込められている。
その様子を見てカインは小さく笑う。
「流石だな」
短く、率直な感想であった。
その様子を聞いていたクラウスは黙りこんでいた。
何かを考えるやうに川の位置、砦との距離、地形が記されている地図を見ている。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「……三日もしくは四日か」
呟くように言った。その発言に提案者は頷く。
「この気温なら、それだけ待てば効いてくるはずだ」
その言葉を聞いたクラウスはまたしばらく沈黙する。
そして、思考を整理したのか小さく息を吐いた。
「……確かに、理にかなっている」
先ほどまでの強硬な姿勢とは違った冷静な評価だった。
「被害を抑えるという方針にも合っている」
その言葉に、アルトが視線を向ける。
クラウスはわずかに肩をすくめた。
「この部隊の方針だろ?」
完全な納得ではないが、理解はしている。
アルトは小さく頷いている。
ユウは続けて計画の概要を伝える。
「時間を使うべきだ。その間も圧をかけ続ける」
視線を全体へと向けて言葉を続ける。
「無理な突撃は禁止。損耗を抑えることを優先しろ」
指示は明確で、誰からも異論は出さない。
そして、最後に一言だけ付け加える。
「敵が崩れるのを待つだけだ」
静かな声だった。
だが、その言葉には確信があった。
アルトは頷く。
「その案で行こう」
その一言で、方針は決まった。
短い沈黙のあと、各自が動き出す。
天幕の外では、まだ火が揺れている。
――戦いは続いている。
中央門前の戦線は、三日目にして完全に“固定”されていた。
砦の正面に広がる平地は、すでに踏み荒らされている。
草は潰れ、土は剥き出しとなり、無数の足跡と焼け焦げた跡が重なっていた。
そこに並ぶのはアルトの部隊を中心とした前衛線。
盾を構えた兵が列を作り、その後方に弓兵と魔法兵が控えている。
そして、その正面。
砦の壁上には、整然と並ぶ“自由の盾”の戦力。
弓兵、魔法兵、そして投石器具まで確認できる。
もはや、ただの山賊が敷いてくる隊列ではない。
訓練された、防衛戦の布陣だった。
「――撃てッ!」
アルトの号令と同時に、矢が一斉に放たれた。
弦の弾ける音が重なり、空気を裂く音が連続する。
数百の矢が弧を描き、砦へと降り注ぐ。
だが――
壁上の盾兵が前へ出る。
金属音と鈍い衝突音が連続し、矢はほとんどが弾かれる。
一部が隙間を抜けても、致命には至らない。
「魔法部隊、前へ!」
次の指示が飛ぶ。
後列の魔法兵が一歩前に出る。
詠唱は短い。すでに三日目、無駄な詠唱は削られている。
空気が歪む。
炎が収束し、圧縮され、矢のような形を取る。
それが一斉に放たれる。
火炎弾が一直線に壁へと叩きつけられ、爆ぜる。
爆発音と共に熱風が広がり、煙が立ち上る。
だが――
「……浅い」
ユウが小さく呟いた。
壁面に展開された淡い光。
目を凝らさなければ見えないほどの薄い膜。
それが魔法の威力を削いでいる。
直撃したはずの火炎も、威力を削がれ、表面を焦がす程度で止まっていた。
「なんで山賊が魔法障壁なんか準備してんだよ。随分と景気が良いこった」
そう、カインは軽口を叩きながら状況を判断する。
アルトは前線を見据えたまま答えた。
「廃砦⋯⋯と聞いていたんだけどね」
その言葉には、わずかな違和感が混じっていた。
「来るぞッ!」
誰かの叫び。
壁の上から、光が走った。
次の瞬間、砦側から魔法が放たれる。
火球、氷槍、圧縮された風刃。
属性も系統も不揃いな攻撃が、一斉に撃ち下ろされる。
「盾ッ!」
アルトのその言葉に前列にいた兵が一斉に構える。
衝撃。爆発音と共に、前線が揺れる。
土が弾け、煙が上がって、数名が後方へ弾き飛ばされる。
完全には防御ができない。
威力、高さ、角度が違うだけ。
たったそれだけでも、上からの攻撃する側が優位だった。
「下がるな!隊列維持しろ!」
アルトの声が飛ぶ。
崩れかけた列が、辛うじて持ち直している。
矢の応酬が続く、魔法の撃ち合いが続く。
だが決定打は出ない。
「……消耗戦だな」
ユウが言う。
「こっちは下から撃ってる分、効率が悪い」
カインが続ける。
「向こうは壁に守られてるからな。長引くほど不利だ」
アルトは黙って前を見ていた。
状況は理解している、それでも今は押し続けるしかない。
「挑発を続けろ」
カインは短く指示を出した。
前線の一部が声を張り上げる。
「出てこい!籠もってばかりか!」
「それでも戦士か!」
若い兵たちの罵声が飛ぶ。
だが――
砦からの反応は一向にない。
門は閉ざされたままで、壁上の兵は淡々と攻撃を続けるだけ。
見事なまでに統制が取れている。
感情で動かない。
「……本当に山賊か?」
誰かが呟いた。
それは疑問ではなく、ほぼ確信に近い。
「違う。少なくとも“ただの山賊”じゃない」
その間にも、魔法が飛び交う。
火炎が炸裂し、氷が砕け、風が地面を抉る。
弓矢が空を埋め、金属音が絶えない。
戦場は、音で満たされていた。
叫び声、衝突音、爆発音。
そして、それらの隙間にある、短い静寂。
その静寂のたびに、誰かが倒れている。
「……まだ持つのか?」
カインが小さく問うた。その時にアルトは答えない。
ただ前を見ていた。
砦は動かない、門も開かない。
「耐えるんだ」
ユウは静かに言う。
その声には、焦りはない。
だが、心のどこかに焦りが出てくる。
不安を抑えるようにユウはカインへと返答する。
「今は待つしかない。外からじゃ崩せない」
「分かってる」
カインは短く返答する。
その視線は、すでに“先”を見ている。
砦ではなく、その内部。
水、補給、それが崩れる瞬間。
「……もう少しだ」
誰に言うでもなく、そう呟く。
戦いは、まだ終わらない。
だが確実に、形は変わり始めている。




