表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/23

理外


森の中を進む足音は、一定のリズムを刻んでいた。


乾いた土を踏みしめる音。

革靴の底が小石を噛む鈍い感触。

装備がわずかに触れ合い、金属が小さく鳴る。


それらが折り重なり、ひとつの流れとなって隊列は進んでいく。

戦闘直後だというのに、隊の動きに乱れはない。

無駄な緊張もなければ、浮ついた空気もない。

ただ、全員が意識を外へ向けている。

森の奥へ、視界の外へ、気配の先へ。


油断はない。だが、張り詰めすぎてもいない。

それは経験による均衡だった。

その均衡の中で。

ユウは、わずかに違和感を覚える。

風が吹く、枝葉が揺れる、葉擦れの音は確かにある。

だが、それだけ。


本来、この森にはもっと音があるはず。

鳥のさえずり、小動物が落ち葉を踏む気配、遠くで何かが動く微かな連続音。

それらが、今はどこにも存在していない。


(……おかしい)


単なる静けさではない。

音が“減った”ではなくて、“消された”ような不自然さ。

森が息を潜めている。いや、潜めさせられているのかもしれない。

その認識に至った瞬間、ユウの中でひとつの確信が形を取った。

偶然ではない、意図的だ。

ユウは歩を緩め、そして一歩だけ前に出た。

無意識ではない。

判断の結果としての行動だった。


「止まってくれ!」


短い言葉だったが、そこに迷いはない。

空気が変わる。

それまで流れていた均衡が、ぴたりと止まる。

隣を歩いていたアルトが、即座に反応する。

軽く首を巡らせ、ユウを見る。その視線は鋭い。


「何かあったかい?」


試すような問い。だが時間はない。


「伏兵がいるかもしれない」


「……この静けさは不自然すぎる」


言葉を選ぶ余裕はなかった。

だが、断定の響きだけは崩さない。

アルトの目が、わずかに細められる。

周囲へ意識を広げる。

木々の配置、視界の抜け、地形の起伏。

一瞬の観察。そして、判断は早かった。


「全員、警戒しろ!」


短く、鋭い指示。

声は抑えられているが、緊張の芯だけが全体に伝播する。

隊の動きが変わる。

密集を避け、互いの死角を補い合う配置へと自然に移行していく。

訓練された動き。

だが、それが整うよりも早く。

空気が裂けた。

一瞬、温度が跳ね上がる。

視界の端で赤い光が弾けた。


――炎。


一直線に、ユウへと向かってきた。


(……やっぱり来た)


認識した時点で、すでに距離はない。

回避は間に合わない。


―が、遅い。あまりにも遅すぎる。そう感じる。


だけど、炎の速度は変わっていない。

それなのに異常なほどにゆっくりと感じている。

まるで時間が引き延ばされたような感覚。

思考が加速していた。

炎の形が見え、流れが見える。

ただの塊ではない。

それは、内部の揺らぎ、密度の偏り、熱の分布。

それらが、どこか歪んでいるように見える。


(……なんだ、これ)


違和感をもとに考察して最後は確信へと変わる。

この炎は完全ではない。

どこかで“成立していない”。

理屈は分からない。

だけど、感覚だけが正しいと告げていた。

当たるはずのものが、当たらない。

ユウは腕を前に出した。

防御としてはあまりに不完全な動き。

それでも、それで十分だと、どこかで理解していた。

指先と炎が触れそうになる。


――その瞬間。


何かが、切れた。

熱がなく、焼ける感覚も衝撃もない。

ただ、そこにあったはずの“現象”が、途切れている。

炎は崩れたようで、形を保てずにほどけていく。

粒子のように分解され、空中に散っていく。

音もなく、跡も残さず。

まるで最初から存在していなかったかのように。


「……は?」


誰かが、思わず声を漏らした。

目の前で起きた現象は自分達の常識から外れる。

魔法が消えた、否、成立しなかった。

その理解が全員に共有されるよりも早く。

誰もが呆気に取られている間に冷静な者が一人いた。


「そこだ!」


アルトはとっさに動きだした、その判断に迷いはない。

炎の軌道から逆算し、発射地点を割り出した。

地面を蹴る音が鋭い、一気に間合いが詰める。

木の陰に潜んでいた男が表情を変える。

だが、その動きは遅すぎた。

アルトの剣が躊躇なく振り抜かれた。


一閃、それだけで決着。


男の身体が崩れ落ち、血が土へと染み込む。

森は再び静けさを取り戻す。

だが、その静けさの質は明らかに変わっていた。

誰も動かない状況だが、視線だけは一斉にユウのもとへ向く。

ユウは自分の腕を見ていた。

何もない、火傷の跡も、痛みもない。

ただ、さっきの感覚だけが残る。


(……今のは、なんだ)


確かに炎は存在していた。見たし、触れたはずだった。


(消えたわけじゃない)


違う。


(壊れた……?)


その表現が最も近い、成り立っていなかった。

最初から不完全だったものが、触れた瞬間に維持できなくなった。

ユウはゆっくりと手を握る。

自分の内側に、何かがあることだけは分かる。

その様子を、アルトが見ていた。

先ほどまでとは明らかに違う視線。

警戒と、興味が混ざり合っている。


「今のは……君がやったのか?」


静かな問いだった。

だが、その背後には確かな圧があった。

周囲の者たちも息を詰めている。

答え次第で、この場の空気が変わる。

ユウはわずかに目を伏せた。


「……分からない」


嘘ではない。

理解が追いついていないのは事実だった。

だが、その答えが周囲を納得させることもない。

一人が低く呟く。


「魔法が……消えた……?」


否定する声は上がらない。

誰もが同じものを見ていた。

アルトが一歩だけ近づく。


「偶然ではなさそうだな」


断定に近い口調だった。

ユウは何も答えない。

ただ、自分の手を見つめる。


あの瞬間、触れた感覚。

確かに何かを“壊した”という手応え。


(……使えるのか?)


まだ分からないことだらけだ。

だがひとつだけ、確かなことがある。

あれは戦場で意味を持つ。

その認識は、静かに胸の奥へ沈んでいった。

森の空気が、再び流れ始める。

だが隊の意識は、もう元には戻っていなかった。

視線の中心には、一人の青年がいる。

その存在が、戦いの前提を変えかねない。


誰もが、言葉にせずとも理解していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ