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初戦


「そこまでだ!」


森の静寂を切り裂いたのは、若々しくも硬質な響きを持つ号令だった。

鮮やかな金髪で、険しい表情を浮かべているが童顔に見える少年が大きく声を挙げた。

その声に呼応して、木々の隙間、深い陰影を縫うようにして、一団が戦場へと躍り出ていく。ユウは反射的に太い幹の影へと身を沈め、網膜に映るその動的な情報を瞬時に整理し始めた。


現れたのは十数人ほどの若者たちだった。

年齢は高く見積もっても十代後半。だが、その装備は一介の傭兵や自警団とは一線を画しているように見える。

手入れの行き届いた厚手の革鎧、要所を補強する金属のプレート。手にする長剣、槍、そして紋章の刻まれた盾。一つ一つの動作にはまだ若さゆえの硬さがあるが、無駄な予備動作を削ぎ落とそうとする確かな規律が見られた。


(……高度な軍事訓練を受けているのか? 正規軍、あるいはそれに準ずる組織か)


一方で、馬車を包囲していた簒奪者たちは二十人前後。

年齢も服装も不揃いで、手にしているのは錆びついた剣や、農具を改造したような不格好な槍だ。連携という概念はなく、ただ個々の暴力性と数による圧力だけで防衛線を押し潰そうとする烏合の衆。


(数は向こうが倍近い。五人から八人の差。だが、個々の練度はこの若い集団が圧倒している……)


ユウの脳は、戦場の風景を情動としてではなく、冷徹な数値として処理していく。

若者たちは戦場に到着するや否や、自然と二列の横隊を形成した。前衛が盾を隙間なく並べて壁を作り、後衛がその肩越しに槍を突き出して牽制する。互いの死角を補完し合うその陣形は、小規模ながらも堅牢な要塞を思わせた。


刹那、激しい金属の衝突音が森を震わせた。鋼と鋼が噛み合い、重量と速度が真正面から激突する。

踏み荒らされる土の匂いに、生臭い血の鉄臭さが混じり始める。


(このまま推移すれば……騎士側が制圧する)


ユウがそう確信した、その時だった。


「下がれッ!」


山賊の一人が、喉を震わせて叫んだ。その声には、敗色を払拭しようとする狂気的な期待が混じっていた。

ユウの視線が、敵陣の後方に固定される。

そこには、一人の男が立っていた。手には武器を持たず、代わりに両掌を前へと突き出している。


(……何をするつもりだ?)


男が短く、鋭い音節を口にした。距離があるため言葉の内容までは判別できない。

だが、その直後、周囲の空気が異常なほどに張り詰めた。大気が歪み、熱が一点に凝縮される。


――次の瞬間、事象が書き換えられた。


何もない空間から、赤く揺らめく火炎の塊が爆発的に生み出された。

それは物理法則を無視した加速で、一直線に若者たちの前列へと突き進む。


「なっ……!?」


若者たちの動きが凍りついた。炎の塊は前衛の盾に直撃し、凄まじい衝撃とともに爆散した。

身体が宙を舞い、重い装甲を纏った兵士が後方の地面へと叩きつけられる。森に、鼻を突く肉の焦げる悪臭が蔓延した。


「フレッジ!? 誰か、彼を後ろへ!」


「聞いてないぞ……魔道士を雇っているのかッ!」


明らかな動揺が広がった。

先ほどまで完璧だった隊列が、たった一撃で崩壊の危機に瀕する。


(……指向性を持った遠距離からの熱攻撃。 やはり、これは「魔法」というやつか)


ユウの思考は、驚愕を即座に分析へと変換した。


(発動までに明確な“待ち時間”が存在する。炎を生成する直前、術者の動きは完全に停止していた。高威力の一撃を放つためには必然となる隙だ)


男の手の内に、再び禍々しい熱が集まり始めていた。さらに、別の位置からももう一人の男が同じ予備動作に入っている。


「まだいるのか……!」


「くそっ、前が保たない! 盾を立て直せ!」


想定外の脅威に、若者たちの勢いは完全に削がれていた。さらに致命的なのは、彼らの「正解」とされる行動だった。彼らは防御を固めるために、より密集した陣形を組もうとしていた。


(……不味いぞ。 あの若い騎士たち、全員が密集しすぎだ)


あの炎が着弾時に範囲的な爆発を伴うものであるなら、密集は自殺行為に等しい。まとめて焼かれれば、そのまま全滅まで連鎖する。

思考が結論を出すよりも早く、ユウは木陰から声を張り上げていた。


「横に散れ! 撃つ瞬間は足が止まってる。回り込んで側面を突けッ!」


戦場の怒号の中に、異質な、それでいて冷静な「正解」が入り込む。

一瞬の空白が生まれた。戦場にいたすべての意識が、木陰に立つユウへと収束した。

しかし、反応が最も早かったのは、狩り場を乱された山賊側だった。


「……あいつ! 指示を出してた小僧を殺せッ!」


炎を放とうとしていた術者が、憎悪を込めてユウを指差した。

山賊のうち三人が、獲物を変えてユウへと突進してくる。一切の障害を無視して、最短距離で迫りくる死。


(来るッ……!!)


ユウは冷静に距離を計測した。

全力で走ったとしても、逃げ切れる距離ではない。自分には武器もなく、戦うための術もない。


(……対処できない。準備不足によって詰んだな)


死という概念が現実味を帯びて迫った、その時だった。


「訓練を思い出せッ! 」


場を切り裂くような、凛とした声が飛んだ。先頭で剣を振るっていた、あの少年だ。


「後方二名、散開して横へ回れッ!」


即断だった。


「前衛は下がるな! 盾を斜めに構えて受け流せ! 時間を作るんだ!」


ユウが提示した「解」が、少年の号令によって瞬時に実行へと移される。

二人の若者が左右に分かれ、森林の地形を利用して遮蔽を取りながら加速する。

青年へと肉薄していた三人の山賊は、背後から迫る気配に、その集中力を削がれた。


――その一瞬の隙を。


「……余所見をするなと言ったはずだ」


低く、重圧を伴う声。

少年が、地を這うような低姿勢で踏み込んでいた。

剣が閃く。一人の山賊の喉元が裂け、鮮血が噴水の如く吹き出し、崩れ落ちていく肉体。

残った二人が恐怖に顔を歪めるが、既に手遅れだった。側面に回り込んでいた若者たちが、獲物を挟み撃つ形で到達している。


「挟撃せよ!」


同時に振り下ろされる二条の刃。

一人が背後から貫かれ、最後の一人も逃げ場を失って沈黙した。


(……速い。そして、正確だ)


ユウは小さく息を吐いた。

現場の判断と実行力が、恐ろしい精度で噛み合っている。

その間にも、山賊の術者は再び炎を放とうとしていたが、もはや視界に捉えるべき標的は分散し、捉えきれなくなっていた。


「遅い!」


回り込んでいた若者の一人が、無防備な術者の側面を深々と斬り裂く。

発動寸前だった熱量は、拠り所を失って大気の中へと霧散していった。

要となる魔道士が倒れたことで、戦況の天秤は完全に若者達の方へと傾いた。


「押し込めッ! 一人も逃がすな!」


少年の力強い声が響き渡る。

息を吹き返した若者たちの組織的な制圧の前に、統制を失った山賊たちはもはや抵抗する術を持たなかった。


数分後、戦場には死を予感させる静寂が戻った。

森は何事もなかったかのように風を揺らし、葉を擦り合わせている。

だが、空気は重く沈んでいた。地面にはいくつもの動かない人影。黒く焼け焦げた土。

ユウは、自身の指先が微かに震えていることに気づき、強く握り締めた。


(……これが、実戦)


ゲームのモニター越しに見ていたものとは、何もかもが違う。

五感を刺激する血の匂い、肌を焼くような熱、そして、目の前で失われていく生命の重み。

だが、それ以上に……脳が止まらない。

無意識のうちに、今の戦闘の各局面を振り返り、損害を最小限にするための最適解を模索し続けている。

かつて平和な世界にいたはずの自分が、この惨劇の中で異常なほど冷静に機能している。その事実が、得体の知れない恐怖となって背筋を伝った。


「……大丈夫か?」


不意にかけられた言葉に、ユウは顔を上げた。

そこには、部隊を率いていた少年が立っていた。

戦闘直後とは思えないほど、その視線は真っ直ぐで、迷いがない。


「……問題ない」


ユウが短く答えると、少年は安堵したように小さく息を吐いた。


「助かった。君の指摘がなければ、術者の二撃目で陣形を完全に崩されていた。……礼を言う」


率直な謝辞だった。ユウは視線を落とし、周囲で始まっている負傷者の手当を見守った。

誰かが水を運び、誰かが傷口を布で固く縛っている。その光景を横目に、一番の疑問を口にする。


「……あの炎は、何だったんだ。 火薬でも使っているのか?」


少年は、一瞬だけ理解し難いものを見るような表情を浮かべた。

だが、ユウの表情が冗談を言っているのではないと悟ると、真剣な面持ちで答えた。


「魔法だ。……それ以外に何がある?」


魔法、その言葉が、ユウの脳内に重く響いてくる。

物語や娯楽の中にしか存在しなかったはずの、非科学的な力の総称。

しかし、眼の前で現実に起きたことは自身が理解している科学では証明できない事象であった。


「……魔法、か」


「初めて見たのかい? 君は、どこの出身だい。その服も、見慣れない仕立てだが」


「……日本だ。キサラギ・ユウ。それが俺の名前だ」


少年は、聞いたこともない地名に首を傾げた。


「ニホン……? どこの公国だ? いや、今はそれどころじゃないな」


少年は右胸の前に拳を当て、自身の身分を明かすように背筋を伸ばした。


「僕はアルト。アルト・ルーヴェル・レイヴァルト」


その名に刻まれた『ルーヴェル』の響き。

貴族の血筋であることを示すそれは、この若者が単なる兵士ではないことを物語っていた。


「ここは、レイヴァルト王国の東部境界線付近だ。……君は、なぜこんな場所に一人でいた?」


見知らぬ世界、魔法の存在する現実、そして、聞いたことのない王国の名前。

ユウは、自室のモニターを最後に見た記憶を辿り、静かに首を振った。


「……分からない。気づいたら、この森にいた」


アルトは腕を組み、状況を咀嚼するように黙り込んだ。だが、すぐに決断を下す。


「事情は街についてから聞こう。ここに長く留まるのは得策じゃない。賊の残党が戻る可能性もある」


そして、僅かに表情を和らげた。


「僕たちと一緒に来るといい。命の恩人をこんな場所に放り出しておくほど、僕たちは不義理じゃないからね」


もっとも、ここから先の行く当てなど、今のユウにはどこにもなかった。

提示された選択肢は、生存確率を最大化させ、この世界のことを知っていくための唯一の機会だ。


「……分かった」


一行は、迅速に撤収の準備を整えた。

山賊の死者は森の奥へと埋められ、仲間の一人の遺体は馬車へと丁重に運ばれた。

襲撃を受けていた商隊の生き残りは、怯えながらもアルトたちの保護下に置かれた。


これから向かう街がどんな場所なのか、そこには何が待ち受けているのか。

ユウは歩き出す直前、自分が隠れていた場所を一度だけ振り帰ると、そこには黒く焦げた地面と消えることのない血の匂いが浮かんでいた。


(……盤面は、ここにある)


現実の重みを踏みしめながら、ユウは歩き出した。

未知の力、未知の法則、それらを全て飲み込み、生き残るための戦略を立てなければならない。


――ゲームは、既に始まっていた。

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