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決戦前

――夜の天幕の内部は、肌を刺すような張り詰めた空気に満ちていた。

外で焚かれる篝火の炎が風に揺れ、厚手の布越しに滲む光が、天幕の内に不規則で濃い影を落としている。

その揺らめく影の中に、二十を超える武装した人影が息を潜めるようにして静かに集まっていた。


彼らの中心には無骨な木製の机が置かれ、その上には一枚の羊皮紙の地図が広げられている。

これから攻め落とすべき敵砦の構造、三つの門、そして周囲の起伏に富んだ地形。

それらすべてが、戦略を練るために必要最低限の簡略化された線で記されていた。


アルトはその机の正面に立ち、俯瞰するように地図を見下ろしていた。

視線は凪いだ水面のように落ち着いているが、その内側では無数の戦術と思考が目まぐるしく回り続けている。


「では、始めよう」


静かに響いた短い一言が、天幕内のざわめきを完全に断ち切った。


「今回の目的は、山賊の殲滅だ」


そこに余計な言葉は挟まない。

全員が分かっている前提だけを、事実として確認する。


「そして――」


アルトは、地図の中央に描かれた砦へ迷いなく指を置いた。


「そのためには、この砦を攻略する必要がある」


視線を一度上げ、その場にいる全員の顔をゆっくりと見回す。

異論が出る前に、この場の流れを完全に掌握する。


「まず、現行の攻略案を説明する」


指が砦の中央から、正面の門へと滑るように移動した。


「正面の門へは僕が攻撃を仕掛ける。兵力は二百。士官学生を中心とした編成だ」


そこで言葉を軽く区切り、念を押すように告げた。


「僕たちの役割はあくまで陽動だ。攻略の主担当ではない」


何人かの隊長が納得したように小さく頷く。

周囲の反応を確認し、理解が早いことに手応えを感じると、今度はアルトの指が側面の門へと移った。


「そして、側門はカインに任せる。兵力は百名、こちらも学生を主体とする部隊だ」


名指しされたカインは、黙って力強く頷きを返す。


「君たちがこの砦攻略の本命だ。内部への突破口を作ってもらう」


そして最後に、指は砦の背後へと回り込む。


「最後に背門はクラウス殿にお願いしたい。人数は百五十名で、熟練の騎士を主体に対応してもらう。こちらも正面と同様、陽動となって敵を惹きつけてほしい」


各自の役割を簡潔に振り分けた後、アルトは最後の駒を動かした。


「残り五十名で本陣を守る。ここはユウ、君が指揮を取ってほしい」


その司令を受けたユウは、すぐには何も答えなかった。

ただ一点、机上の地図だけをじっと見つめ、何かを思案している。


「以上だ。何か意見はあるかい」


アルトが顔を上げた、その直後だった。

その場に落ちようとしていた沈黙を、鋭く切り裂く声があった。


「……非効率だな」

聞き馴染みのない冷ややかな声が割り込んでくる。

天幕にいた全員の視線が、一斉に声の主へと向いた。


――クラウス・ハルトマン。

くすんだ灰色の髪を後ろで厳格に束ね、過度な装飾を削ぎ落とした実用的な鎧を隙なく纏っている。その立ち姿は訓練の賜物のように美しく整っていたが、どこか戦場特有の泥臭さや荒々しさに欠けているきらいがあった。だが、その双眸だけは違う。常に他者の力量を測るような、冷徹で計算高い光を宿している。没落したとはいえ貴族階級であり、ハルトマン家の名を背負う若き騎士だった。


「恐れながら……兵力を分散させすぎではないかな」


周囲の視線を浴びても臆することなく、クラウスは余裕を持った表情でアルトへと真っ向から意見をぶつける。


「全体の戦力はこちらの方が上回っている。私はこの策を非効率だと考える」


そして、自信に満ちた声で持論を展開した。


「――正面突破でいい。正門に部隊を集中させて門を叩き割る。それが最も確実で最短の攻略方法だ」


その言葉に、数名の若年騎士たちが同調するように頷いた。

力で押し潰すというわかりやすい戦法に賛同するぞ、といった表情が彼らの顔に浮かぶ。

クラウスはさらに言葉を重ねた。


「騎士たるもの、正面から正々堂々と戦うものだ。小細工に頼る必要はない」


貴族としての矜持と、ある種の偏った思想が乗った言葉。

だがその瞬間――それまで沈黙を貫いていたユウが、静かに口を開いた。


「それは違う」


空気を刃物で断ち切るような、鋭い一言だった。

クラウスは不快げに眉をひそめ、声が発せられた方へ視線を向ける。


「理由は?」


短く、刺々しい問い。

それに対してユウは、明確な理論を武装して待ち構えていた。

机に広がる地図を指差し、砦の輪郭をなぞりながら言葉を紡ぐ。


「これは野戦じゃない。堅牢な拠点攻略だ」


言葉を区切り、視線を上げてクラウスを真っ直ぐに見据える。


「正面から力押しで行けば、地形的にも防御側が圧倒的に有利になる。仮に門を突破できたとしても、入り口が狭ければ人が詰まる。前が進めなければ後ろも動けない」


そこまで一気に語り、ユウは事実を突きつけた。


「つまり……それだけ無駄な損失が増えるということだ」


クラウスは鼻で笑い、即座に反論する。


「数で押し切れるはずだ。敵兵力は我々の半数規模に過ぎないと聞いている」


しかしユウは、その楽観的な意見を首を横に振って切り捨てた。


「押し切れるという確たる保証はどこにある。それに、もしその力押しで敗北したら次の一手はどうするんだ」


一瞬の沈黙が落ちる。

それを待っていたかのように、ユウは核心を突いた。


「部隊を分けるのは、ただ陽動するためだけじゃない。軍全体が局地的な敗北で総崩れになりにくくするための、リスク分散だ」


その理路整然とした発言を受けて、クラウスは目を細めた。


「随分と慎重だな」


皮肉をたっぷりと含んだ声で短く告げる。

ユウはその皮肉を否定も肯定もせず、ただ淡々と本音を返した。


「味方を、無駄に死なせたくないだけだ」


たったそれだけの言葉だったが、天幕内の空気がわずかに変わった。

静まり返る両者のやり取りを見届けたアルトが、重い口を開く。


「今回の作戦は変えない」


指揮官としての明確な決定事項だった。

そして、その強い意志を宿した視線をクラウスへと向ける。


「被害を最小限に抑えることを最優先として攻略を進める。そのために部隊を分けて攻撃するんだ」


クラウスは押し黙り、地図へと視線を落とした。

己の意見が採用されなかったことへの不満が、その横顔に色濃く滲んでいる。


「……非効率だ」


先ほどと同じ言葉を口にしたが、今度は反発というより、噛み殺したような響きがあった。

アルトは言葉を続ける。自分の、いや、指揮官としての揺るぎない意思を示すために。


「それでも構わない。僕がこの部隊の長だからだ」


声を荒らげることのない、だが絶対に覆らない静かな宣言。

クラウスはゆっくりと顔を上げ、アルトを見た。

その冷ややかな視線で、目の前の人物の器を再び測り直しているかのようだった。

やがて――彼は小さく、息を吐き出した。


「……了解しました」


心からの納得などしていないだろう。

クラウスを含め、一部の若年騎士たちは不服そうな表情を浮かべている。

それでも、軍律と命令には逆らわない。

それもまた、彼らがこだわる騎士としての矜持の形なのかもしれない。


「命令には従います」


その明確な服従の回答を聞いて、アルトの表情がわずかに和らいだ。


「助かる」


クラウスへ短く礼を述べると、再び全体へ力強い視線を向ける。


「各自、自分の部隊へ戻り最終確認を行ってくれッ」


会議はそれだけだった。

誰も異論を挟むことなく、静かに動き出していく。

椅子が引かれ、金属の擦れる音と足音が重なり合う。

天幕の中から次々と人が減っていく。

皆が自分たちの役割と明日の命運を再確認するため、低い声で言葉を交わしながら解散していく。

最後に残ったのは、人間の落としたわずかな熱気と、戦の道標となる地図だけだった。



――焚き火の爆ぜる音が、やけに耳に残る夜だった。


火の勢いは安定しており、風もさほど強くない。

それでも、暗闇を焦がす炎はせわしなく揺れ続けている。


クラウス・ハルトマンは、その不規則な揺らめきをただ黙って見つめていた。

周囲には、同じように車座になって休む兵たちがいる。

食事を終え、武具の最終手入れを済ませ、会議の内容を共有し、明日という死線に備えるためのわずかな安息の時間。

その輪の中で、クラウスは一人だけ、少し距離を取って座っていた。

意図して避けているわけではないが、自然とそうなってしまう。

昔からのことだから、彼自身は特に気にも留めていなかった。


(……変わらないな)


胸の内で小さく息を吐いた。

彼が生まれたときから、ハルトマン家はすでに没落の道を歩んでいた。

貴族としての名だけは残り、血も繋がっている。

だが、本当にただそれだけだ。

住まう屋敷は狭く薄暗く、雇える使用人も最低限の数しかいない。

かつての栄光を誇らしげに語る古株もいたが、それを証明する財力も権力も、とうの昔に失われていた。


すべての元凶は彼の祖父にあった。

かつての帝国との熾烈な戦争の最中、あろうことか敵側へと逃亡を図ったのだ。亡命という名で取り繕われた、一族を泥に塗れる卑劣な裏切り行為。本来であれば、連座して一族郎党すべてが極刑に処されてもおかしくはない大罪だった。

だが、戦時下の混乱という特異な状況が幸いし、直接的な処罰は免れた。


しかし、それで終わるほど貴族社会は甘くない。ハルトマンという家名の信頼は完全に地に落ち、ゼロどころか、取り返しのつかないマイナスへと転落したのである。


――それ以来、


ハルトマン家は、どっちつかずの半端者になった。

貴族たちからは裏切り者の血族として冷ややかな距離を置かれ、平民たちからは名ばかりの没落貴族として軽く見られる。

貴族という肩書がありながら、世界中のどこにも属する場所がなかった。


(……くだらない)


膝の上に置かれた拳が、わずかに強く握り込まれる。

だからこそ、血を吐くような努力をした。

剣の腕も、用兵の戦術も、誰より厳しい規律も。

人一倍の努力で足りないならば、二倍、三倍と自身を追い込んだ。

それでも、周囲からの評価は容易には上がらない。

理由はいつだって、たった一つだ。


「ハルトマンだから」


ただ、それだけ。

自分の力ではどうにも覆せない、血の呪縛という現実。


(なら……)


視線はまだ、揺れる焚き火から外れていない。

脳裏に浮かぶのは、先ほどの会議の中心にいた若き指揮官。

王室の分家であり、三大都市を統べる統治者。

その三男坊である、アルト・レイヴァルト。

美しく整った姿勢、無駄の一切ない動き、そして的確な言葉の選び方。

噂に聞く彼の兄たち二人とは、どこか違う異質な雰囲気を感じた。

生まれ持った気品や、上に立つ者としての高潔さを感じる人柄。

まだ若いのに、彼がそこにいるだけで場の空気が整うほどの器。


(……名門)


レイヴァルト家。

この国で誰もが知る名であり、疑う余地など微塵もない高貴な血筋。

将来、確実に権力の中枢へと登りつめていく側の人間。

クラウスは、炎の眩しさに耐えるように目を細めた。


(ここで繋がる)


利用してやる。ただ、それだけだ。

誇りと打算は矛盾なく両立する。

むしろ、泥を啜るような打算ができなければ、這い上がることなど不可能なのだ。

そして、彼の脳裏にもう一人の男の顔が浮かび上がる。


(……あれが)


ユウ・キサラギ。

最近になって突如として現れた存在。出自はまったくの不明。

なんでも、凶悪な山賊討伐で名を上げたらしい。

実力はあるのだろう。少なくとも、彼に対する周囲の評価は不気味なほど高い。

また噂通り、高位の貴族であるアルトに対しても物怖じしない不遜な態度であった。


(気に入らない)


心の中で、唾を吐き捨てるように毒づいた。

貴族でもなく、代々積み上げた歴史や血筋もない。

ただの実力という不確定なものだけで、あの位置――名門貴族のすぐ隣に座っている。


(本来なら、あそこに立つのは――)


自分であるべきだ。

一瞬だけ、激しい嫉妬と憤りの感情が胸の内で炎のように揺れたが、すぐに冷たい理性で奥底へと押し込める。


(……今はいい)


優先順位は分かっている。

ここで個人的な感情を爆発させても何の意味もない。

軍において評価されるのは、いつだって過程ではなく結果だ。

それを明日からの戦いで、嫌というほど示してやるだけのこと。

圧倒的な戦果、的確な指揮、そして揺るぎない結果で、自分の立ち位置を覆してみせる。

焚き火が風に煽られて一度大きく揺れ、クラウスの濃い影が背後へと長く伸びた。

彼は静かに立ち上がった。

よく手入れされた鎧が、わずかに硬質な音を鳴らす。

視線を、暗闇の先――見えない明日へと向ける。


(……見ていろ)


それは誰に向けた言葉でもない。

ただ、自分自身に対する凄絶な誓い。

ハルトマンの名は、決して終わっていない。

こんな場所で終わらせるつもりなど毛頭ない。そのためにも――


明日という戦場がある。

クラウスは振り返ることなく、自分の天幕へと歩き出した。

夜はまだ、深く、そして冷たかった。


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