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戦備


士官学校の教室は、いつもより少しだけ空気が重い。


広げられた地図の上に落ちる光は、朝にしては冷たく感じる。

窓は開いており、風も通っている。

それでも、この場にいる全員が無意識に息を浅くしていた。


理由は単純だ。


――これは、訓練ではない。


誰も口にしないが、全員が理解している。

次に踏み込むのは“実戦”。それも、規模の大きいものだ。

椅子に座る者、壁に寄りかかる者、腕を組んで立つ者。

姿勢は違えど、視線は同じ場所へ向いている。


教室の中央に置かれている机。

そこに広げられた、森一帯の地図。

その一点に、視線が集中していた。


しばらくすると教室の扉がゆっくりと開いた。

その音は決して大きくない。

だが、室内の意識を一斉に引き寄せるには十分だった。


「……来たか」


アルトの声。部屋へ入るのはカインと他数名。

外套には土埃が付着し、裾には枯れ葉が絡んでいる。

靴底にはまだ湿り気のある泥が残っていた。

つい先ほどまで森の中にいたことが分かる。

歩みには無駄がなく、一直線に机へ向かう。

視線は誰にも向けず、報告を目的としているだけの動き。


「偵察結果を報告する」


短く、簡潔に。

その声に余計な抑揚はない。

だが、その一言で室内の空気がさらに締まる。

誰も言葉を挟まない。カインは地図の一点に指を置いた。


「目標拠点はここ」


森の奥深く。

街道から外れ、意図的に隠された位置。


「旧砦跡だ」


その言葉が落ちた瞬間、空気がわずかに変わる。

“廃墟”ではなく“砦”。

その違いを、この場にいる者は全員理解していた。


「石造りの遺構が残っている」


カインは淡々と続ける。

そして腰の袋から紙切れを1枚出す。

自作で描いた偵察先の砦周辺の地図だった。

地図は非常に理解しやすく、カインが優秀なことが分かる。


「外壁は半壊しているが、高さは維持されている。見張りに使える程度にはな」


自作の図に記載している砦の外周を指でなぞる。


「内部は整地済み。生活と防衛、両方に使われている」


ユウはそれを見ながら、無意識に息を吐いた。


(……想像以上だな)


単なる山賊の隠れ家ではない。

これは“拠点”だ。

しかも、継続運用されている。


「確認できた戦力は約百五十」


小さなざわめきが走る。

だが、カインは止まらない。


「ただし――」


一瞬だけ言葉を切る。

その“間”が、逆に重みを増す。


「物資量と交代要員を考慮すると」


指先が砦全体をなぞる。


「総数は二百から三百くらい」


今度は誰も声を上げない。

ざわめきすら消える。

その数字が持つ意味を、それぞれが頭の中で噛み砕いていた。

アルトがゆっくりと口を開く。


「戦力の質は」


短い問い。

だが、その中身は重い。

カインは即答した。


「低くない」


迷いがない。


「元騎士、元兵士が混ざっている。ただの素人ではなさそうだ」


ユウは目を細めた。


(……やっぱりな)


“山賊”という言葉が、すでにズレている。

カインはさらに続ける。


「見張りは常時十から十五で四方に配置されており、決まった感覚で巡回しているように見えた」


その一つひとつが、拠点の完成度を示していた。


「夜間も警戒を維持しており、灯りは最小限となっている」


ユウが小さく呟く。


「……警戒してるな」


その一言に、誰も否定を返さない。


「構造は三層に近い」


再びざわめき。

カインは気にせず続ける。


「外周に見張りと柵、中層に生活区と武装保管、中心部には指揮層があると思われる」


アルトの視線が鋭くなる。


「……落としにくい」


それは感想ではなく、分析だった。

カインは頷く。


「正面の侵入は難しい」


指が五つのルートをなぞる。


「通路は五つあるが大きな道が一つ、その他は地形的に制限される」


一拍置いて続ける。


「誘導される可能性が高い」


ユウは腕を組んだ。


(典型的だな)


狭めて呼び込んで叩く。

防衛戦術も完成されている。

アルトが息を吐く、その音がやけに大きく響いた。


「……了解した」


それでも顔を上げた。

その目は、すでに指揮官のものだった。


「作戦会議に入ろう」


空気が切り替わる。

先ほどまでの“情報”の場から、“判断”の場へ。

アルトは地図の前に立つ。


「敵戦力は二百から三百、旧砦を利用した防御拠点、統制されている戦闘集団⋯」


カインの報告内容を一つずつ自分の言葉にしていく。

それは、自分自身の理解を深める行為でもある。


「こちらは五百名、数では上回っている。だが――油断はしない」


その一言で、場の緩みが完全に消えた。

ユウはその様子を横から見ていた。

初陣を経験して、変わってきている。

確実にアルトの指が動く。


「報告を受けて三分割でいこう、正面と側面と後方に分ける」


単純だが、明確。


「正面は僕が指揮して、敵主力を引きつけて崩すことを優先」


「側面はカインに任せよう。森を使って接近して乱戦時に突入してもらう」


その司令にカインは答える。


「了解」


「後方は支援と回収を頼む。崩壊防止と撤退判断してほしい」


「ここを指揮するのは――」


アルトは一度言葉を止める。

ほんの一瞬。


「ユウに任せたい」


つい最近きた新入りに任せるという抜擢。

異論が出てもおかしくないが、誰からもその言葉はない。

むしろ彼の優秀さを理解しているようだった。

周りの反応を伺った後にユウは応える。


「分かった」


ユウの返答を聞いたアルトは更に続ける


「そして、撤退条件も決めておこう」


その一言で、場の空気がわずかに変わる。

攻めの話から、一歩引いた現実の話へと移る。

ユウはその言葉を聞いて、ほんのわずかに口元を歪めた。

勝ち方だけではなく、負け方も見ている。

アルトは地図に視線を落としたまま、言葉を続ける。


「前線部隊の崩壊、あるいは想定外の戦力が確認された場合」


一拍置く。


「その時点で、撤退を検討する」


静かな声だった。

だが、その場にいる全員にとって軽い内容ではない。

撤退、それは敗北を意味する言葉。

誰もすぐには口を開かないが、否定の声も出なかった。

現実的な判断だと理解しているからだ。


その沈黙の中で――


ユウが、短く口を開く。


「……どこまでの被害を許容するんだ?」


余計な言葉はない。

だが、問いの意味は重い。

どこまで許容するのか、どこで切るのか。

アルトはすぐには答えなかった。


視線を地図に落とし、砦の配置を見つめる。

囲めば有利だが時間がかかる。

正面から押せば早いが損耗が出る。

その間で考えている。


そして――


「損耗が三割くらいになったら撤退を検討しよう」


静かに言った、現実な判断。

ユウはその様子を見て、わずかに目を細めた。

短く息を吐く、そして一言だけ告げる。


「撤退は迷うべきじゃない、任務も大切だが兵を残すことも同じくらい重要だ」


静かな声。場の空気が引き締まる。

検討ではなく条件だ、誰も反論しない。

できる内容ではなかった。

アルトは小さく頷く。


「……分かった」


そして全員を見渡す。


「撤退の条件は、前線部隊が崩壊する、あるいは予想外の戦力増員が確認された場合⋯」


「そして、こちらの兵士の負傷者が三割超えたらとしよう。」


短くまとめた。

そして、最後に⋯


「残りの時間で、各自準備を整えてくれ」


その言葉が落ち、一瞬の静寂がある。

だが、誰も動かずに迷いもない。

やがて椅子が引かれ、足音が散っていく。


期日までに各々の仕事を果たしていく。

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