乱戦
廃墟の中は、外とは違う熱を帯びていた。
崩れかけた天井の隙間から、わずかな光が差し込む。
その光が、舞い上がる煙と埃を照らしていた。
焚き火の煙がゆっくりと天井へ昇り、
湿った石壁にこびりついた匂いと混ざり合う。
酒の匂い。焦げた肉の匂い。汗の匂い。
そして――荒い笑い声。
「ははっ、見たかよあのガキ共の顔!」
「火ィつけた瞬間、慌てふためいてやがった!」
「騎士様も大したことねぇな!」
粗末な木の卓を囲み、数人の男たちが酒を煽る。
木製のカップが乱暴に打ち鳴らされ、液体が少しこぼれ落ちる。
鎧の一部を外した男。肩の金具は外れ、錆びついている。
別のところにはボロ布を纏った若者、先ほどの男と違い体つきは華奢。
さらには手が震えており、どこか落ち着きがない様子。
片目に傷のある者もいる。表情はニヤけており、指先は無意識に短剣の柄を撫でている。
彼らに統一感はない。
だが、共通しているものがある。
――ここにしか居場所がない。
「これでしばらくは食いっぱぐれねぇな」
「村の連中も上手くやりゃ使えるもんだ」
笑いながら、誰かが袋を蹴る。
鈍い音とともに袋が転がり、口がほどける。
中から穀物がこぼれ、床に散らばった。
奪ったもの。生きるためのもの。
――奪わなければ、生きていけない現実。
その喧騒から、少し離れた場所。
崩れかけた石壁にもたれ、一人の男が座っていた。
名は――ヴァルグ・ドレイヴン。
この拠点を任された部隊のリーダー。
年は三十半ば。
無精髭がうっすらと伸び、左頬には古い傷が走る。
その傷は浅くはないが、既に癒えた色をしている。
手には酒の入った木瓶を持っている。
だが、その中身はほとんど減っていない。
(……騒ぎすぎだ)
視線だけで、部下たちの様子を追う。
浮かれている。気が緩んでいる。勝ったつもりでいる。
焚き火の揺れる光が、彼らの影を歪ませる。
ヴァルグは小さく舌打ちした。
(まだ終わってねぇだろうが)
あの襲撃。確かにうまくいった。
火計に、矢の雨。悲鳴と混乱。崩れかけた隊列。
初撃としては上出来。
だが――
(仕留めきれてねぇ)
それがすべてだった。
騎士見習いとはいえ、それなりに訓練はされているはず。
あの程度で壊れる連中ではないだろう。
むしろ。
(あのガキ……冷静に、指示してやがった)
アルトの顔が脳裏をよぎる。
混乱の中でも崩れなかった前線。
盾持ちを前に出して、配置を維持していた。
あれは――
“ただの坊ちゃん”じゃない。
ヴァルグは酒瓶を床に置く。
硬い石に当たり、鈍い音が響いた。
その場を立ち上がる。
それだけの動きで、近くにいた数人が無意識に口を閉じた。
「おい」
現実を見ている男の低い声。
だが、それだけで空気が少し変わる。
何人かが振り向いた。
「騒ぐのはいいが、気を抜くな」
たった一言。
それだけで、数人の表情が引き締まった。
だが、すぐに別の男が笑う。
「何言ってんだよ、ヴァルグ」
「連中はもう逃げ帰ってる頃だろ」
酒を煽りながら、肩をすくめる。
「今さら――」
その言葉を、遮るように。
ヴァルグの視線が突き刺さる。
焚き火の光を反射し、鋭く光る。
「……“今さら”なんて都合のいい言葉、戦場じゃねぇんだヨ」
空気が凍る。
笑っていた男の喉が、わずかに鳴る。
「仕留めてねぇ以上、終わってねェ」
短く、だが重い言葉。
誰も反論しない。いや、できない。
焚き火のはぜる音だけが、やけに大きく響く。
だが――
そのときだった。
外から、微かな光が差し込む。
何かが揺れている。
窓を見ていた一人が気づいて声を出す。
「……なんだ?」
次の瞬間。
窓の隙間から、赤い揺らぎが見えた。
風に煽られて、ゆらゆらと形を変える光。
「……火?」
外で、誰かの叫び声が上がる。
「火だ!!外の食料が燃えてる!!」
その言葉で、空気が一変する。
「なっ――!?」
「なんで!?」
「誰がやった!?」
一同混乱。
椅子が倒れる音。木のカップが床に落ち、酒が広がる。
さっきまでの笑い声は、完全に消えた。
ヴァルグの目が鋭く細まる。
(……来たか)
直感。今までの経験。これは事故じゃない。風でもない。
「敵襲だ」
低く、だがはっきりとした声。
「外に出るなよ!位置を取れ!」
即座に指示が飛ぶ。
先ほどまでの酔いは、完全に消えた。
ある者は鎧を引き寄せ、剣を掴む。
若者が、震えていふ手で槍を握り直す。
人相の悪い男は舌打ちしながら短剣を取る。
「クソッ、やり返してきやがった!」
「ふざけんな……!」
怒号が飛び交う。
だが、その裏には――確かな動揺があった。
“やる側”から、“やられる側”へ。
その転換の速さに、心が追いつかない。
ヴァルグはゆっくりと剣を抜く。
刃が擦れる音が、やけに静かに響く。
(いい判断だ)
敵を評価する。火で来たか。
なら――
(頭がいる)
ただの突撃じゃない。考えて動いている。
そのとき。
外から、さらに大きな声。
「来るぞ!!」
「正面から――!!」
そして、ほぼ同時に。
「いや、裏手からもだ!!」
二方向から挟み撃ち。
ヴァルグの口元が、わずかに歪む。
「……上等だ」
目の奥に、戦意が宿る。
「全員、構えろ」
低く、鋭い声。
「ここが――正念場だ」
ー―炎の光が揺れる。
その影が壁に大きく映る。
迎え撃つ側の覚悟が整う。
炎が揺れる中、森を抜けた部隊は一気に加速する。
「――行くぞ!!」
アルトの号令と同時に、地面を蹴る音が重なる。
最初に接敵したのは、外に配置されていた見張りだった。
「なっ――!」
気づいたときには遅い。
カインが滑り込むように間合いへ入り、喉元に刃を走らせる。
首元から血が弾ける。
もう一人の男が声を上げようとする。
「敵――」
言葉は最後まで続かない。
背後から別の隊員が突き刺した槍が、声ごと貫いた。
だが――
完全な無音ではなかった。
短い悲鳴がした。
それだけで十分だった。
「中に気づかれる!」
誰かが叫ぶ。
「構わない、突入する!」
アルトが即座に判断を下す。
燃え上がる食料の炎を背に、部隊は廃墟の入口へと雪崩れ込む。
閉鎖している入口を蹴破る。衝撃を受けた扉からは木片が飛ぶ。
「――突入!!」
そのまま、室内へ。
瞬間、視界が開ける。
そして――ぶつかる。
「敵だ!!」
「来やがった!!」
怒号とともに、山賊たちが武器を掴む。
だが、その動きは遅い。
一瞬の差だった。
しかし、それが戦いでは生死を分ける。
アルトたちは、その隙を逃さない。
剣が振るわれ、槍が突き出される。
火の光と鉄の音が交錯する。
室内は、一気に乱戦へと変わる。
狭い空間。
入り乱れる影。
敵も味方も関係なく、刃が交差する。
ユウはその中で一歩引いた位置に立つ。
視線は、全体を捉えていた。
(……入り口は制圧済み)
(右は押してる。左は拮抗……いや、押し始めたな)
状況を冷静に把握する。
アルトは、真っ直ぐ前へ進んでいた。
そして――
視線がぶつかる。
一人だけ放っている空気が違う。
剣を構え、立ちはだかる男。
互いに、一歩も引かない。
「……お前が指揮官か」
男は低い声で言う。
その視線は鋭く、アルトを値踏みしているようだ。
アルトもまた、剣を構える。
「そうだ」
短く、はっきりと答える。
そして――
「降伏しろ」
静かな声。
だが、その芯は強い。
「これ以上の戦闘は無意味だ」
男の口元が歪む。
「……はっ」
嘲るような笑い。
「貴族の坊っちゃんが、何を分かった口きいてやがる」
次の瞬間。踏み込む。
剣が振り下ろされる。
アルトはそれを受け止める。
――鋼と鋼がぶつかる音。
重い一撃。
だが、アルトは崩れない。
圧に押されそうになるが、なんとか刃を弾く。
お互いの距離が開く。
その直後、再び踏み込む。
今度はアルトから。
鋭い斬撃をヴァルグが身体を捻ってかわす。
すれ違いざま、互いに刃を交差させる。
互いの刃が交差して火花が散る。
「身分は関係ない!」
アルトが言い放つ。
呼吸を整えながら、構えは崩さない。
「ここにいるのは――同じ志をもつ者だ!」
ヴァルグの目が細まる。
「……綺麗事だなァ!」
再び、ぶつかる。
今度は連撃。
重い剣と華麗な剣。
力と技が交錯する。
一撃一撃が、空気を震わせる。
その間にも――
周囲の戦況は動いていた。
「押せ!!」
「崩すな、隊列を維持しろ!」
カインの声が響く。
山賊たちは徐々に数を減らしていく。
一人、また一人と倒れる。
「くそっ……!」
「なんで……!」
焦りが広がる。
その隙を、騎士見習いたちは逃さない。
戦線は、完全に傾いていた。
そして――
ヴァルグも、追い詰められていた。
「……っ!」
複数の攻撃を受け流している。
アルトだけではなく、周囲からも圧がかかってくる。
大きくない部屋ではあるが、全ての攻撃を受け流す。
それでも――
その男は崩れない。
踏み込み、斬る。
一人を弾き、もう一人の攻撃を受け流す。
動きに一切の無駄がない。
(……強い)
ユウが内心で評価する。
(単純な腕なら、この中でも一番上だな)
だが。
数が違う。状況が違う。
勝敗は、すでに見えていた。
男は一瞬だけ、周囲を見る。
その目が、ユウを捉えていた。
(……あいつか)
違和感。
この場で唯一戦っていない者。
だが――この場を見ている。
(気に入らねぇ⋯)
次の瞬間、男はアルトの一撃を受け流した後に、わずかに身体をずらす。
ほんの短い、ごく僅かに“間”ができた。
その短い時間に手のひらをユウへ向けて呟く。
「――焼けろ」
何もない空間に火が生まれ、一瞬で形を成す。
――火は一直線に走る。
狙いは、ユウ。
「っ――!」
誰かが気づくよりも早く。
炎は、ユウを呑み込んだ。
爆ぜる音が鳴り、熱風が周囲を叩く。
「ユウ!!」
アルトの声が響いた。
誰もが“直撃”を確信した。
――だが。
炎が、消えた。
揺れる空気の向こうにユウは立っていた。
――無傷。
服の裾すら、焦げていない。
「……は?」
男の口から、思わず声が漏れた。
あり得ない。確実に当たった。
魔力も、手応えもあった。
それなのに。
(効いてねぇ……?)
ユウは軽く肩を払う。
まるで、砂埃でも払うように。
「……やっぱりか」
小さく呟く。
その声には、驚きはない。
確認した、という響き。
男の背筋に、ぞくりとした感覚が走る。
(なんだ……こいつ)
その一瞬の“思考の遅れ”。
アルトは見逃さなかった。
「余所見をするな!!」
勢いよく大きく踏み込んだ強烈な一撃。
ヴァルグは咄嗟に受けるが、体勢が崩れる。
金属が軋む音が響き、身体が押し込まれる。
(ちっ……!)
舌打ち。
だが、視線はもう一度ユウへ向く。
(……危険だな)
理解できない存在が最も厄介。
周囲を見ると多くの仲間は倒れ、戦線は崩れている。
(……詰みだな)
判断は早い。
男の手が、わずかに動いた。
「――遅ぇよ」
そう低く呟いた瞬間。
黒い霧が足元から噴き出した。
視界が一気に闇に包まれる。
「っ!?」
「煙幕か!?」
「違う、魔法だ!」
混乱が広がる。
アルトは構えを崩さない。
「下がるな!警戒を――!」
だが、闇が晴れたとき。
そこに男の姿はなかった。
静寂がわずかに戻る。
残された山賊たちは、すでに戦意を失っていた。
武器を床に落とす者。膝をついて両手を上げる者。
「……降伏する」
誰かの声が、連鎖する。
戦いは――終わった。
森の奥。
炎の光も届かない場所。
荒い呼吸、足音が止まる。
ヴァルグは木にもたれかかった。
その周囲には、三人。
鎧を身につけた男たち。
「……クソッ!」
一人が吐き捨てた。
「やられたな⋯」
ヴァルグは短く答える。
だが、その目は死んでいない。
むしろ――冴えている。
「だが、終わりじゃねぇ」
ゆっくりと顔を上げる。
「魔法が効かねぇ奴がいた」
その一言に、空気が変わる。
「……は?」
「なんだそれ」
信じられない、という顔。
だがヴァルグは断言する。
「見た」
間違いない。
「あれは……“異物”だ」
静かに、だが確実に。
「次は、あいつらを倒す」
低い殺意。
元騎士の一人が笑いながらこう告げる。
「いいねぇ、面白くなってきたじゃねぇか」
ヴァルグは剣を握り直す。
「“自由の盾”は、こんなもんじゃ終わらねぇ」
その言葉は、宣戦布告。
戦いは終わっていない。
むしろ――
これからが、本当の戦いになる。




