愚者
王都レイヴァルトの王宮。
かつては威厳に満ちていた『玉座の間』には、今やどこか浮き足立っていた。
「……本当に、これで良かったのか。自ら城門を開き、帝国軍を王都に招き入れるなど……」
豪奢な絨毯の上を落ち着きなく歩き回りながら、ダリウスが爪を噛む。
王子派の中心としてふんぞり返っていた普段の傲慢さは影を潜め、その顔はひどく青ざめていた。
「殿下、何を仰っているのですか。これが最善の案でございます」
玉座の傍らの柱に背を預け、事もなげに言い放ったのはセリオスだった。
一国の危機というのに、まるで子供の遊びを眺めているかのような口調であった。
「……だ、だが! 奴らは我が物顔で王都を歩いている! このまま居座り続けたら……」
「殿下、難しく考えすぎですよ」
セリオスは肩をすくめ、ダリウスの不安を鼻で笑うように遮った。
「帝国という圧倒的な『力』を味方につけたのです。これを利用しない手はないでしょう?」
「あ……」
「目障りな貴族やリシェル王女、それに反抗的なアーベントの者共も……一網打尽にできるではありませんか」
「そ、そうだな……!」
セリオスの言葉に、ダリウスの足がピタリと止まった。
不安で濁っていた彼の顔色に生気が戻ってくる。
「ああ、そうだ!そうだ!そうだとも……!!」
ダリウスは自身を落ち着かせるように一呼吸を置く。
「そ、そもそも……、大人しくリシェルが王位継承権を放棄しないから、このようなことになったのだ!」
「その通りでございます」
「アイツも馬鹿な妹だ。妾の娘の癖に、少しばかり貴族から持て囃されてたからと、調子に乗るからこんなことになったのだ!」
「殿下の思慮深さには頭が下がります」
「……ああ! 私は何一つ間違っていない! これも王国のためだ! 父上や母上もきっと理解してくださることだろう!」
「ああ……そうだそうだ……」
セリオスの適当な相槌にも気づかずに独り言のように言葉を続けるダリウス。
そんな彼を見てセリオスは鼻で笑っていた。
腹を空かせた獣のように餌を与えれば勝手に欲望を満たそうとする王子。
セリオスが口の端を歪めて冷笑を深めた、その時だった。
――玉座の間の重厚な扉が、一切の遠慮なく乱暴に押し開けられた。
「ずいぶんと楽しそうだな、愚鈍な王子よ」
「ぐ、愚鈍だと……!?」
軍靴の音を荒々しく鳴らしながら踏み込んできた人物はガルディア帝国の皇子、ギデオンだった。
部屋の空気を一瞬で凍りつかせるよう覇気と、血の匂いを纏う巨躯。
背後には数人の護衛たちを引き連れていた。
ダリウスの顔から再び血の気が引き、セリオスもゆっくりと柱から背を離して目を細めた。
「……き、きさま!自分の立場が分かっているのか!?」
「ふむ……。貴様はその玉座から高みの見物でもしているが良い」
「な……!? 私を誰か知らないのか?」
「王国に帝国軍を招き入れた愚かな王子だということしか知らぬ。既にこの国は予のモノ同然だ」
圧倒的な力を持つ者の暴言に、ダリウスは言葉を失う。
「て、帝国軍は我々の味方であろう?」
ダリウスが独り言のように問いかける。
「その通りでございます。ダリウス王子……」
セリオスはその問いに形だけの返答を行う。
しかし、ギデオンはそんな小物の言葉など端から気にも留めていなかった。
「王子よ、正気で言っているのか……?」
「ど、どういう意味だ……? 貴様らは我々の援軍なのではないのか?」
「馬鹿な男よ……」
ギデオンは呆れたように言葉を返した。
そうして、彼は顎をしゃくり背後の護衛たちへ短く命じる。
「そろそろ退場してもらおう」
「ど、どういう意味だ?」
ダリウスが震える声で問い返した直後、屈強な帝国兵たちが無言で進み出た。
彼らは左右から王子の両腕を乱暴に掴み上げ、強引にその場から引き摺り出そうとする。
「誰か! 『王子様』を連れて行け! 目障りだ、部屋から出すな」
「はっ!」
「は、離せっ! 私はこの国の王になる男だぞ! セリオス! 話が違うではないか! 離せぇぇっ!」
情けない悲鳴と抵抗は聞き入れられることなく、ダリウスの体は玉座の間から引きずり出される。
やがて玉座の間の扉が閉ざされると、彼が放っていた騒音は完全に遮断された。
静寂が戻った空間でギデオンは玉座の間へと向かっていく。
まるで、そこが最初から自分のモノであったように玉座へとふてぶてしく座る。
「さて、邪魔者は消えたな」
「やれやれ……話が違いますよ。ギデオン様」
柱に背を預けたまま、セリオスが大げさに肩をすくめた。
その顔に、王子が連行されたことへの焦りは一切浮かんでいない。
「ふん……あのような愚鈍者が目の前をウロウロされては堪らん」
「王子という立場は、ただ『殺す』には惜しいですからね」
セリオスが淡々と告げた言葉に、ギデオンは喉の奥を鳴らした。
「ふははは……! 分かっているではないか。流石だな、セリオス」
「全ては、御身の心のままにです」
セリオスは薄く笑みを浮かべ、恭しく頭を下げる。
「恐ろしい男だ。やはり身内殺しの男は一味違うな」
ギデオンが投げかけた刃のような言葉。
それは、かつてセリオスの兄レオニードの死にまつわる事実だった。
しかし、致命的な過去を突きつけられたはずのセリオスの表情は、全く揺るぎがない。
「ご冗談を……。兄上を仕留めたのは、殿下ではございませんか」
「ふははは……! まだ兄と呼ぶのか!」
実の兄を帝国の刃の前に誘い出し、売り渡したモノの言葉に、ギデオンは腹の底から愉快そうに笑い声を上げた。
「ええ。私にとって、掛け替えのない『家族』でしたから……」
まるで詩でも詠むかのように、セリオスは滑らかに吐いた。
そこに後悔や罪悪感といった感情は一片も感じられなかった。
「面の皮が厚い男よ。だが、予は嫌いではない」
ギデオンは笑いを収めると、玉座の上から鋭い眼光をセリオスへと向けた。
「まずは戦の支度を行うのだ。本格的に布陣するのは、ヴェラスコが帰陣してからとする。期待しているぞ、狐よ。精々励むことだ」
「はっ……! かしこまりました」
深々と一礼するセリオスの頭上で、ギデオンの重い足音が響く。
王国を食い破る帝国という名の巨大な獣と、その陰で冷たく嗤う金髪の狐。
玉座の間は、もはや完全に彼らの支配下へと堕ちていた。




