表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

113/120

火種


軍儀を終え自室に戻ったユウは、そのまま力なく長椅子に腰を下ろした。

出迎えたエリナが、彼の肩から上着をそっと受け取る。


「おかえりなさいませ、ユウ様。……大変だったようですね」


彼女が淹れた温かい茶が卓に置かれる。

湯気と共に立ち上る微かな香りに、ユウは深く息を吐き出し、カップを両手で包み込んだ。


「ああ。……勝つためとはいえ、王都の民を飢えさせることになる」


ぽつりとこぼれた弱音。

軍師としての冷徹な面が外れ、疲労と重圧が顔を覗かせている。

そんな彼に対して、エリナはただ静かに隣へ寄り添う。


「ユウ様が選んだのなら、それが私たちにとっての最善です。貴方はいつも、皆の命を背負っています」


エリナの温かな手が、ユウの背中にそっと添えられる。

その確かな感触と労いの言葉に、ユウの肩に入っていた余計な力が少しだけ抜ける。


「……ありがとう。お前がいてくれて助かる」


「遠路の長旅、お疲れ様でした。無事に戻ってきてくれて、本当に良かった……」


エリナの微笑みに、ユウは茶を一口含み、わずかに表情を和らげた。


「ああ。金と平和があれば、国はあそこまで豊かになる。それを見せつけられた。相手は商人だからな、交渉も簡単じゃなかった」


「……そうだったのですね」


「ああ。向こうは隙あらばこちらを付け込もうとしていた。でも、イリーナが上手く立ち回ってくれた」


「イリーナ様がですか?」


「あぁ……あいつの騎士としての誇りが、奴等の計算を上回った。俺一人なら、まともに交渉の席につくことすら怪しかっただろうな」


無防備に、そしてどこか誇らしげに語るユウの横顔。

言葉自体に深い意味はなかったが、その響きにエリナは自分の胸の奥に小さな棘が刺さるのを感じた。


「……ユウ様」


エリナは伏せていた視線を上げ、静かな声で問いかけた。


「向こうで、イリーナ様と何かありましたか?」


まっすぐな、それでいてどこか不安を孕んだエリナの瞳が、ユウに向けられていた。


「……何か、とは?」


ユウは手にしていたカップを卓に置き、わずかに目を丸くする。

一瞬、共和国での出来事が脳裏をよぎった。

ユウは小さく咳払いをして、平静な声を取り繕ろった。


「ご、誤解するようなことは、何もない」


「本当……ですか?」


「く、国の命運が絡む腹の探り合いだったからな……。一歩でも間違えると、共和国からの支援はなかったかもしれない」


「……」


「そんな中で、あいつの真っ直ぐなところには助けられた。頼りになる仲間だ」


淡々と事実を述べたユウだが、言葉の端々に滲む熱と、最初のわずかな「間」を、エリナが見逃さなかった。

しかし、ユウはその違和感に気づいていない。

そうしていると、彼女は静かに立ち上がった。


「エリナ……?」


エリナはユウの首元に両腕を回してそっと抱きしめた。

驚くユウの背中に身を預け、彼女は彼の確かな体温を感じながら静かに目を閉じる。


「イリーナ様に、感謝しなければなりません。ユウ様を無事に連れ帰ってくださったのですから」


耳元で囁かれる穏やかな声。

ユウが戸惑いながらもその温もりに身を委ねかけた、その時だった。

首に回された彼女の腕の力が、ほんの少しだけ強くなる。


「戦いの中で、どうしても絆が生まれるのは……ある程度は致し方ないことだと、分かっています」


責めるでも泣きつくわけでもない。


「それでも、あれだけ綺麗な女性ですから……」


一拍だけ置いてエリナは言葉を続ける。


「なので……、その時は、分かっていますよね?」


すべてを見透かされたような彼女の言葉に、ユウは反論の言葉を見つけられず、ただ小さく息を吐いてエリナの腕にそっと自分の手を重ねるしかなかった。


その、微かな甘さと緊迫感が交じる静寂が部屋に満ちた、直後だった。

短いノックとほぼ同時に、部屋の扉が開かれる。


「ユウ、遊撃隊の編成について少し――」


羊皮紙を片手に入室してきたイリーナは、長椅子での光景に、ピタリと動きを止めた。

エリナがユウの背後から首元に腕を回し、ユウがその手に自らの手を重ねている。

誰の目にも明らかな、入り込む隙のない親密な空間がそこにはあった。


「あ……」


ユウが咄嗟に声を漏らし、エリナの腕から逃れるように身をわずかに強張らせる。

イリーナの瞳がわずかに見開かれたが、すぐに表情から感情が消え去る。

ほんの一瞬ではあったが、すぐに近衛騎士としての表情を取り戻す。

彼女は背筋を真っ直ぐに伸ばし、手にした羊皮紙を静かに下げた。


「……失礼いたしました」


「待て、イリーナ。これは――」


「……取り急ぎの報告と思いましたが、私の勘違いのようです。後ほど改めて伺います」


「いや、その……」


「お邪魔いたしました」


有無を言わさぬ一礼であった。

そして、入ってきた時よりもさらに無駄のない動作で踵を返し、扉は静かに閉ざされた。


「……」


ユウは長椅子に座ったまま、深く両手で顔を覆い、天を仰ぐように項垂れた。

背後からは、ユウを抱きしめていた腕をゆっくりと解いたエリナの満足げな声が降ってくる。


「ふふ……。お仕事、頑張ってくださいね。ユウ……」


軍議での決断よりも、この後の説明の方が厄介になることだけは確かであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ