主従
王国の東に位置する城塞都市、ルーヴェル。
その領主館の客間は現在、異様な重圧に支配されていた。
上座の長椅子に腰を下ろすのは、帝国の第一皇子ギデオンであった。
冷え切った黄金の瞳に見下ろされながら、ルーヴェルの支配者は、頭を垂れていた。
「ようこそ、ギデオン殿下。長旅でお疲れのところ、このような場所しかご用意できず、申し訳ありません」
床に額がつきそうな姿勢であったが、セリオスの口調にはどこか軽薄な響きが混ざっていた。
「……面を上げよ」
その声に、セリオスがゆっくりと顔を上げる。
彼の視線を正面から受ければ、並の者なら恐怖心だけで精神をすり潰されるだろう。
しかし、セリオスは口角を僅かに釣り上げた。
「このような場所とはどういうことだ?」
「殿下には王宮の玉座がお似合いかと思います」
「ふははは……相変わらず口の減らぬ奴よ」
皇子の笑い声が響くと、室内の空気はさらに冷え込んだ。
その声には歓喜の色はなく、強者としての傲慢さだけが存在している。
「だが、防衛に特化した堅牢な街だ。我が軍の拠点としては、悪くない。わざわざ呼び込んだだけのことはあるな」
「お褒めに預かり光栄です。殿下の大軍勢をお迎えするため、我がルーヴェルの物資も惜しみなく開放いたします。快適にお過ごしいただけるかと」
「口の回る男だ。お前はただ、確実に勝つ側に身を置き、己の利益を得ようとしているだけだろう?」
ギデオンの言葉に感情の色はなかった。
男の目的は不明だが、己の利益のために自国を売るというその判断だけは、利用価値のある者として評価対象となっている。
「人聞きの悪いことを。私は確実に勝つ側に付きたいだけです。内輪揉めで沈みゆく泥船に付き合う義理はありません」
「その内乱も、貴様が火種の一つになっているのではないか?」
図星を突かれたはずのセリオスは、悪びれる様子もなく喉の奥で短く笑声を漏らした。
そして、許可も待たずに衣服の埃を軽く払いながら立ち上がる。
「それに、殿下にとっても悪くない取引のはずです。我がルーヴェルを足がかりに、王国全体を制圧することも可能でしょう」
「……不愉快な男だが、貴様の役割は果たせそうだな」
ギデオンは椅子の肘掛けに腕を置き、冷酷な光を宿した目で虚空を見つめた。
「しかし、ヴェラスコがまだ戻らん。あの男が不在のままでは、完璧な布陣が完成しない」
「ヴェラスコ殿ですか。あの御仁はどちらに向かわれたのですか?」
「あやつは西のローディスに向かったのよ」
「なぜですか……? 今後に向けて、物資の提供を依頼しにいったのでしょうか?」
ギデオンは瞳を微かに細め、退屈そうに指で肘掛けを叩いた。
彼にとって不確定な要素は本来忌むべきものだが、あの軍師の頭脳だけは別格として扱われている。
「さあな。ヤツの考えは予にもわからん。ある程度の裁量であればやつの判断に任せておる」
そう言い捨てると、ギデオンは再び冷え切った視線をセリオスへと落とし、息が詰まるほどの覇気を放った。
「まあよい……セリオス、貴様の働きにも期待しているぞ。せいぜい、予の期待を裏切らないことだ」
「もちろんでございます。ご期待ください」
セリオスは肩をすくめ、冷たい瞳の奥で自らの利益だけを静かに弾き出し続けていた。
***
場面は変わり、ローデリヒにある一室。
机に積まれた書状から顔を上げたリシェルは、部屋の隅で護衛として控えているアルトへ視線を向ける。
彼の背には、新たに任命された近衛騎士隊長を示す真新しい外套が掛けられている。
「ユウとイリーナは無事でしょうか」
アルトが窓の外の西側を見つめながら静かにこぼす。
「イリーナがいますし、共和国は話が通じる相手です。心配はいりません」
「僕は、ユウが滅茶苦茶に荒らしていないかも心配なんです」
苦労人の顔を見せるアルトに、リシェルは思わず口元をほころばせた。
「ふふふ……我々の軍師様は、少しばかり無茶をしますからね」
和やかな空気が流れる中、アルトはふと表情を引き締め、以前から抱えていた疑問を口にした。
「ところで殿下。今更ですが、どうして僕を近衛騎士隊長に?」
「それは……」
「正直に仰って下さい」
その問いに、リシェルの顔から笑みが消える。
彼女は羽ペンを机に置き、静かに目を伏せた。
「……あなたを利用したのです。あなたが『ルーヴェルの悲劇』から生き延びたという話が広まれば、民はより私を支持してくれます」
王女としての冷徹な政治的な判断だった。
それを自ら口にする彼女の声には、微かな痛みが混じっていた。
しかし、アルトは驚く様子もなく、静かに頷く。
「なんとなく分かっていました。それでも僕は、殿下に感謝しています」
「感謝、ですか?」
「ええ。ここまで来られたのは殿下のおかげです。これ以上は何も望みません」
真っ直ぐに向けられる言葉に、リシェルは痛みを堪えるように眉根を寄せる。
「すいません……。私は自分のために、あなたも使っていました」
「構いません。それが僕の務めです」
アルトは揺るぎない眼差しを王女に向ける。
彼は自身が駒として扱われることを受け入れていた。
その清廉さに救われると同時に、リシェルは自身の背負う立場の重さに短く息を吐く。
「あの……アルト……」
「……? どうしました?」
リシェルは椅子から立ち上がり、自身の机の前にある長椅子へと歩み寄った。
そして、少しだけ躊躇うようにアルトに視線を彷徨わせる。
「隣に来てもらえないでしょうか?」
「構いませんが……」
意図が読めず、首を傾げながらリシェルの隣へと座るアルト。
アルトが腰を下ろすと、リシェルは彼の肩へと自身の頭を預けた。
「リシェル殿下……? 」
「少しだけ、こうさせてください」
アルトの肩に触れる、柔らかな髪。
「……人の上に達つというのは、ひどく疲れますね」
「それを支えるのが僕の役目です」
静かな部屋の中で、二人の穏やかな時間が流れていく。




