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均衡


偶然、否、計られたかのような帝国からの使者。

ロレンツォの表情から商人としての笑みは消え、声色が低く冷徹なものへと切り替える。


「我々の密約を悟られるわけにはいかない。貴方と騎士殿は、奥の控え室にて息を潜めていてください」


「お前たちを信頼して良いんだな?」


「勿論です。商人に大切なのは『信頼』ですからね……」


その言葉を聞いた後、ユウとイリーナは円卓の奥にある扉の向こうへ身を隠す。

わずかに開いた扉の隙間から、広間の様子を窺う。

評議員たちは慌ただしく乱れた衣服を整え、必死に平静を装っている最中――広間の扉が、重々しい音を立てながら開かれる。


氷のように冷たい青髪。痩身を包む仕立ての良い漆黒の軍服。

細長い指先で自身の顎をなぞっている男の瞳からは、感情が欠落していた。

細身の男は共和国の重鎮たちがいる円卓机に歩んでいく。

やがて、空席の場所に着いたかと思うと、閉じていた口を開く。


「……突然の訪問失礼します、ロレンツォ代表」


さらに、ひどく冷たい声で言葉を続けていく。


「私の名は、ヴェラスコ・シドニア……。帝国からの使者として、貴国へ依頼事項があり、わざわざ、このような遠路まではるばる足を運んできたのだ……」


ヴェラスコはそう告げると頭を下げ、誰からも指示が出てもいないのに、自身の前にある空席へと着席した。


「大陸全土に名高い軍師様が、国境を越え、足を運ばれるとは。これは一体、どのような風の吹き回しですか?」


ロレンツォは先程までユウに向けていたのと同じ、柔和な笑みを浮かべて応じる。

しかし、ヴェラスコはその笑みには一瞥もくれず、淡々と事実だけを述べた。


「計算上、この時期に貴国へ赴くのが最も効率的でした。……有り体にはなすと、直近で、我々は王国へ攻撃を仕掛ける。我々が勝利する確率は非常に高いと私は計算している……。しかし、不確定要素をゼロとするため、念のため念書をいただきにきたのだ」


「不確定要素……、ですか……」


「ええ……なに、たいしたことではない。貴国にはしばらくの間、物資の供給を現在の三割増しとしていただく。もちろん、代金は上乗せする。貴国が沈んでいく王国に味方する可能性は皆無でしょうが……」


淡々と、だが絶対の自信を持って要求を突きつけるヴェラスコ。

その言葉を聞きながら、奥の部屋に隠れたユウは密かに冷や汗を流していた。


(奴ら、もうそこまで侵攻の準備を進めていたのか……)


もしこの場にユウが来ていなければ、ローディス共和国は間違いなく帝国の要求を飲み、王国は完全に息の根を止められていた。


「……ふむ。我が国としても、帝国の勝利に疑いは持っておりません。ですが――」


ロレンツォは表情を崩さぬまま、はっきりと告げた。


「お断りしましょう。現在の契約分は全うしますが、三割の増産はお受けできません」


「……不可解ですね」


ヴェラスコの細長い指先が、ピタリと止まる。


「三割の増益。さらに代金も上乗せする。数字に生きる商人が、百パーセント確実な不利益を拒む理由など、存在しないはずですが……」


「ええ。我々は数字を愛しています。ですが……商人に必要なのは、それだけではありません」


「ほう。数字以外に何が必要だというのです?」


「『均衡と信頼』です。我々は人と人を繋いでいます。誰かが大陸を独占するのは、長期的にみると損益になりかねます。我々は帝国軍の勝利を疑っていませんが、すべての資本を帝国だけに注ぐというハイリスクな真似はしません」


ロレンツォはあくまで「市場の独占を嫌う商人としての建前」で、理路整然と反論した。

だが、ヴェラスコは鼻で笑った。


「馬鹿馬鹿しい……。確定された勝利の前で、不確かな事象を優先するとは……。いや」


ヴェラスコの青い瞳が、すうっと細められる。

彼は円卓を見つめ、室内の空気を味わうように深く息を吸い込んだ。


「あぁ……、なるほど……。計算が合わない理由が分かりました」


「何ですかな」


「貴方たちは、不確かな均衡を選んだのではない。我々帝国の 提示条件を上回る客先をみつけたのですね」


その言葉に、奥の控え室に隠れていたユウとイリーナの背筋に冷たいものが走る。

それでも、ロレンツォは表情一つ崩さずに笑みを浮かべている。だが、ヴェラスコにはそれで十分だった。


「この部屋に残っている空気。そして、利益を蹴ってでも守らねばならないほどの交渉相手。……ふはっ、ふはははは!」


感情の欠落していたヴェラスコの顔に、突如として狂気じみた歓喜の笑みが浮かんだ。


「面白い! どうやら私が導きだした完璧な盤面に、私の計算式を狂わせる『見えない駒』を置いた者がいるようだ! ……これだから、確率はたまらない!」


ヴェラスコは弾かれたように立ち上がり、隠れているユウたちがいる控え室の扉の奥を、まるで透視でもするかのように一瞥した。 

「あぁ……共和国の方々、失礼した。計算外の事例が発生した以上、私も早急に考え改めねばならない。それでは、本日の交渉は決裂ということで帰らせてもらう」 


ロレンツォは使者に向けて、おそらく今日一番の笑みを浮かべる。


「……以前から契約分については、今後も予定通り行います。商人は信頼が第一ですから」


「ええ、勿論です。それに……我々の『本隊』が国境を越えるまでの間、貴方たちにはその均衡とやらを楽しんでいただかなくては」


最後に不吉な予言を残し、ヴェラスコは踵を返した。

漆黒の軍服が翻り、彼が大広間から去っていく。

重い扉が閉ざされた後も、室内の空気は張り詰めたままえであった。

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