23話「対面」
夕暮れ迫るとはいえ、この初夏の気温の中、真っ白い息を吐いている。
「後でちゃんと伝えておくよ、で、あいつがいなくなればハッキング、続けられそう?」
「ここまでくれば放っておいたとてデータの書き換えは終わる。機器さえ破損しなければな」
お互いにソレから視線を外せないままだった。
でも今何をすべきか、それだけは言葉にするまでもなく共有できた気がした。
「千鶴ちゃん逃げて! あいつは私が引き付ける!」
「すまないがそうさせてもらおう、互いに生きていれば後日にでも」
ソレから見て私は右に、千鶴ちゃんは左に走り出す。
兎にも角にもアレの注意を引き付けないと、千鶴ちゃんやハッキング途中の機器を巻き込みかねない。
建物の外に飛び出して、火属性魔法をそれの顔面めがけて発動させた。
コンクリートの壁くらいなら簡単に吹き飛ばせる威力だけど、その魔物にはびくともしてない。
それでも視線は私に向けられたから、役目くらいは果たせたかな。
5メートルはある巨体の目の前を駆け抜けて、なるべく千鶴ちゃんから遠ざかる方向へ。
背中越しに届いたソレの咆哮で、身体が軽くなる感覚さえした。
「ちょっと、莉子! 神宮寺海斗に連絡したのって、ついさっきなんでしょ? さすがに早すぎでしょ! そっち、どうなってるわけ!?」
私を追いかけ始めた巨体が地面を踏みしめる度、軽く地面が揺れている。
私がここへ来た時は、少なくとも半径100メートル付近に、こんな化け物なんていなかった。
タイミングから考えても神宮寺海斗が手を回したってことになるけど、それにしたって早すぎる。
「私にもわからないって、海斗は複数の異世界を渡り歩いてるから、異能力も複数持ってるってくらいしか情報がない」
「ずるくない!? それなんていうチート!?」
アーティストの公式ホームページにも、さっき莉子がいったようなことが書かれてたっけ。
確か5種類だったか、6種類だったか持っててその中でも1つだけ紹介されてた。
「でも公にしていない異能力を安易に使用するとは思えないから、多分だけど、あれだ」
「『亜空間』、だっけ?」
一般的な意味だと、物理法則が通用しない空間のことだけど、解説にはこうあった。
こことは違う次元の空間を生成する能力。物体を取り入れたり取り出したりを自由に行え、体積や質量、時間や温湿度などに一切囚われることのない空間。と。
「物の出し入れをしてるところは見たことあったけど、それが自分から離れた位置にも自由に生成できるとしたら、一種のテレポート的な使い方ができるんじゃない?」
「汎用性高っ! っていうかそれなら神宮寺海斗が近くに来ているかもしれないってこと?」
千鶴ちゃんから離れるように走っていると、大きなグラウンドが見えてきた。
エキストラ支部の敷地内だし、トレーニングの一環で使用しているのかもしれない。ひとまずそこなら、これ以上被害が広まることはなさそう。
「かもしんない。できる限り絶対領域の使用は控えた方がいいと思う」
「アレに絶対領域なしで挑めと!?」
グラウンドに出て迎え撃つ構えをしてみるけれど、踏みつぶされて終わる未来しか見えない。
「八八地にそこまでの実力があるなら勧めるけど、無理でしょ?」
「よくご存じで」
今も一直線に、こちらへと向かってくる巨体を前に足が震えて止まらない。
正直勝てる気がしないし、めっちゃ怖い。
「八八地の目的は、その場から生きて帰ること、別に戦って勝つ必要はないわけ。ならやりようはいくらでもあるでしょ? 逃げ続けるとか助けを呼ぶとかね」
「その手があったか!」
火属性魔法を空に向けて放つ。
空中で爆発するそれが、一応は救難信号のつもりなんだけど、それをみた誰かが助けに来てくれることを祈るしかない。
「あーそれでもいいけど、でもそれ、しばらくそこで応戦しないと、助けに来た人に見つけてもらえないんじゃない?」
「確かに!」
「なにかアイデアあるわけ? 作戦とか」
「まったく。ていうかあんなのと戦うイメージなんてできないよ!」
「はぁ……」
溜息つかないでぇ、戦闘経験とかほとんどないんだもん!
「まず確認、八八地ってマナの適正ないんだっけ? それか身体能力を補正できる古代魔法とか」
「ない!」
「んーなら、アレをヤレそうな魔法とかは?」
「どっちかっていうと私、後方支援職なんで、そういうのはちょっと……」
「じゃー必要なのは一つだけだ」
「まだ手があるの!?」
「死ぬ覚悟」
「諦めないでよっ!」
ひとまず火属性魔法を数発放ってみるものの、それで止まるような巨体ではない。
物理的にも、生物的にも。
「その程度の火力じゃまず間違いなく通らないって、やるならもっと出力あげな」
「これ以上むりー!」
わかってるけど、言葉が辛辣。
「なら助けが来るまでそこで逃げ回るしかないから、いつ死んでもいいように覚悟だけは決めておきな、来るよ、ほら逃げて」
「別方向のアドバイスが欲しかったよ!」
猪突猛進してくる魔物との体格差は歴然。一般人が逃げ切れるわけがない。
唯一の救いは巨体で俊敏さがそこまでない。
押しつぶすように振り下ろされた手は、目で見てからでも十分によけられた。
そのまま股の間をくぐって背後へ回る。
「あ、案外いけるかも」
少しばかり距離を取って振り返るけど、相手はまだ振り下ろした手を地面につけたまま。
想像以上に遅い。
単純な追いかけっこなら無理だったけど、攻撃を誘発させてから回避を繰り返せばあるいは────
「八八地、右!」
「え?」
完全に油断していた。
二足歩行で四肢がついていたとしても、相手は魔物だ。
幾万年の歴史を経て進化した人間には既に無用の長物となった、武器がある。
莉子の声で反射的に右へ向けた視線が捉えたのは、あまりに長い尻尾。
ものすごい速さで迫るそれは、優に3メートルはある。その質量と初速を鑑みれば、衝突後どうなるかなんて想像に容易かった。
ああ。莉子のアドバイスは正しかったんだと、その時になって理解する。
現状をありのまま認識して、命を落とすかもしれないという覚悟をしておくべきだった。
そしたらきっと、この油断も────
瞼にぎゅっと、力が籠った。
「八八地!? 八八地! 目は閉じちゃだめ!」
莉子の声が頭に響いて、恐る恐る目を開けた。
おかしい。莉子が助けに来た、なんてことはないのに私は今もこうして立っている。
巨大な魔物も気が付けばこちらを振り返っていて、見下ろしていた。
私を、じゃない。刀を一本携えた、黒髪ポニーテールの男を。だ。
「誰……」
彼は振り向くことなく、そして言葉を返すこともなく、構えていた刀を鞘に納めた。
たったそれだけだ。
その間、彼がその場を離れた様子もなかったのに、次の瞬間には巨体が真っ二つにされていた。
「こんなところに逃げ遅れとはな」
断面だけでも私の数倍はあった肉塊が塵へと還り、ゴロンと魔力の結晶が現れた。
地面に着いた途端、自重で割れて消滅する。
風に溶けていく魔物の死体を背に、男はゆっくりと振り返った。
「怪我はないか?」
「は、はい……」
「ここはまだ危ない、付いて来い」
私が来た方角、つまりはエキストラの支部がある方角へと歩き出した彼に、私は訊いた。
「助けてくれてありがとうございます。私の名前は大黒八千代です。お名前をお聞きしても?」
私の目の前を通り過ぎる時、ふと視界の隅に捉えた刀と鞘。それが記憶のどこかに引っかかった。
あれはそう確か、割と最近目にした────
「ディグラス」
思い出した。
今朝修斗が買っていたタオルに描かれていた刀とおんなじデザインだ。
「あっ、あなたがっ……!」
思わず口を手で覆っていた。
修斗があんまり推してるものだから、一度ネットで調べたことがあったんだけど、年齢が17歳とEATランカーにしては若手だった。
実際こうして見てみると、5歳近く大人びて見えた。
「そうだが?」
そうだがどうした? と言わんばかりの表情だった。
「と、友達がすごいファンで。今朝もタオルとか買ってたなぁって……」
「そうか」
反応薄いな。
たった3文字で完結して、それ以上何か言うこともなかったので、そのまま後に続いた。
私は別にファンじゃないけど、あとで修斗に自慢しよう。
なんて浮かれた気分で歩いていた。
少しの間歩いて、エキストラの支部が近づいて来た頃、不意に止まったディグラスに反応できず、ぶつかってしまった。
「す、すみません」
謝ったけど言葉が返ってくることはなく、それどころかこちらを見てすらいなかったので彼の視線の先を追った。
黒い髪色をした、背丈の小さな女の子が見えて安堵と同時にこみ上げる。
「千鶴ちゃん……」
私の呟きさえも聞こえていなさそうな彼は、驚きを隠せない表情で私と似たように呟いた。
「神宮寺海斗……」
思考が停止した。
千鶴ちゃんの視線の先に立っていた、白髪の少年。映像で見るよりずっと、幼く見えた。
「おや、こんなところに僕たち以外の人がいるなんてね、確か、ディグラスであってたかな?」
「こちらのセリフだ。東京からの中継、見ていたぞ」
「あれから訳あって、文字通りこっちに飛んで来たんだ」
「魔力の揺らぎを感じられないが?」
「悪いけど、そういうことにしておいてくれないかな。今取り込み中でね」
現状が、この上なく危うい。
なんでこんなことになっているの?
どうして逃げなかったの? 千鶴ちゃん。
「君達がどうしてここにいたのかは聞かないでおくから、用事がなくなったならすぐに立ち去った方がいいよ」
戦闘経験がほとんどない私でも、わかってしまう。
千鶴ちゃんから完全に視線が逸れているのに、逃げ出せそうな隙が一切感じられない。
それどころか、一瞬でも目を離したら私の息の音が止まりかねない圧力のようなものさえ感じ取れた。
「どうにも穏やかそうには見えないのだが?」
「だろうね、これでも彼女、テロリストだから」
さらっと言ってのけると、「東千鶴。君を、アーティスト本部ネットワークへの不法なアクセス、つまるところハッキングの現行犯で身柄を拘束させてもらう」と、千鶴ちゃんに視線を向けた。
やばい。
このままだと、千鶴ちゃんが捕まっちゃう。
でも、神宮寺海斗が目の前にいる今、絶対領域を発動させて飛ぶのはリスクが大きすぎる。
「────八八地、ダメだからね」
頭の中にふと、莉子の声がした。
「どうしよう、莉子。千鶴ちゃんが────」
「絶対ダメ。この状況じゃそもそも逃げられない、被害が大きくなるだけ」
「でもそれじゃあ!」
「八八地が捕まるよりかはずっとマシ! 今ここで状況を打開する必要なんてないの」
「なにそれ? 千鶴ちゃんを見捨てろってこと!?」
「そう! 捕まったからってすぐにどうにかされるわけじゃないんだよ? 幸いデータバンクはもう書き変わってる、八八地の能力が知られない限りはいくらだって助けられるの!」
わかる。わかるよ、莉子の言いたいこと。
それが最善だってこともわかってる。わかってるけど!
「君の余罪や共謀者についての話は、あとでゆっくり聞かせてもらうよ?」
「ああ、好きにするといい。君達が調べたところで、なにも見つかりはしない」
「アーティスト6席、星野瑞希については知っているね? この国は法治国家というやつでね、脅したり拷問したりするのは、一応禁止されているんだ。僕らとしてもそれは望まない。ただ例えば、君の後ろに何か大きな組織があって、それらがこの平穏な生活を奪わないとも言い切れない。それがつまり何を意味するのか、理解してもらえるかな?」
星野瑞希の能力は精神干渉系のもので、人の記憶なんかを覗き見れる。そうなれば本当にもう、逃げ場がなくなってしまう。
でもふと思ったんだ。まるで、私たちに聞かせるみたいだって。
いや、むしろ待たれているのかもしれない。
この時間にこの辺にいる人間なんて、共謀者として怪しまれない方がおかしい。
「そのへんにしたらどうだ? 一般人がいたたまれない」
私を庇うような、あるいは制するように伸ばした彼の手の平は、私の方を向いていた。
ディグラスのその言葉で、神宮寺海斗の表情にうっすらと笑みがみられた。
「まさか、君に諭されるとはね」
途端に先ほどまで神宮寺海斗から出ていた圧力のようなものが薄れていくのがわかった。
同時に目の前の空間が歪み、銅色に光を屈折させながら、やがて小さく収束し消え去った。
「僕の亜空間が見えていたのかな?」
「あれだけの違和感があれば見えずともわかる」
「いい才能だね」
今のが亜空間?
見えないどころか、私には何も感じなかったのに。
「お前もだ」
全然意識していなかったから、ディグラスの視線が私に向けられたその時は、何を言いたいのかさっぱりわからなかったんだ。
「何をしているのかは知らないが、この状況で異能を使うのはよせ」
ぁ、魔力の揺らぎか。
莉子とリンクしていたことで私から魔力の揺らぎが生まれていたんだ。
もしかして、神宮寺海斗が殺気立っていたのも、それが原因?
ひとまず、言われた通りにリンクを切った。
「さて、どうやら僕は色々と思い違いをしていたのかもしれない。その答え合わせは後でしても構わないだろうし……今日のところはもう行くことにするよ」
最後の最後まで不自然な間があったけど、こちらに視線を送ることもなく二人は歩き出した。
「あーそうそう、今回の騒動ももうじき方が付く。今からならむしろこの辺りの方が安全かもしれないよ」
それだけ言い残すと、目の前にまた空間の歪みが現れる。
まるで溶け込むみたいに、歪みの中へと踏み入れた途端身体の部位が見えなくなっていく。
手の先から手首、腕や肘と、溶けていく。
躊躇いもなく踏み込む千鶴ちゃんの横顔は、どこか満足げで不安というより、むしろ清々しさすら感じられた。
やっと終えられる。なんて、そんな表情にさえ見えてしまったんだ。
───やっぱりこのまま、見送ることなんてしたくない!
ようやく仲良くなれたのに。
「ごめんね、今度この埋め合わせはさせてあげるから」
また咲と話をする機会も、作るって約束したのに。
こんな、こんな終わり方だなんて。
胸が痛いくらいに気持ちが募っているのに、それでも、どうしても身体が動かせない。
どんどんと空間に溶けてゆくその姿を、眺めることしかできない。
莉子の力を間借りして、アーティストと同じ舞台に上がったとしても結局、私自身に現状をどうにかできるだけの力があるわけじゃなかった。
なにも、変わってなんてないんだ。
弱い私は弱いまま。
弱いままなんだ。
握り締めた手。爪が皮膚を突き破って、赤い色が地面に滲んだ。
千鶴ちゃんが歪みに消える最後の瞬間、視線が合った。
「っ……!」
一言も、出てはこなかった。
空間の歪みがなくなると、空を覆っていた赤黒い文様も見えなくなっていって、空は今日の天気を取り戻していた。
からっとした、夏の空。
かつてないほど、自分自身に怒りが湧いた。
その場で叫ぶことも、嘆くことだってできない。
ひたすらに歯を、噛み締めるしか。
これから夏が盛っていくというのに、心の中は、もうどうしたって晴れる見込みがないほど、負の感情が渦巻いていた。




