21話「一難去って」
莉子から電話があって既に30分が経過していた。
途中やむにやまれずリンクを切り替えたりしたけれど、千鶴ちゃんとの関係は、無事いい方向へと修正できた。
「莉子、そっちはどんな状況?」
再び莉子とリンクして尋ねると、「やっと繋がった。こっちは特に変わりないよ」って返ってきた。
「そっちは?」
「なんかもう、色々あってどこから説明したものやらって感じ」
そうは言いつつも、EATの会場周辺に魔物が現れたこと、神宮寺海斗から中継でアーティストの新メンバーにローエって人が加わったって知らせがあったこと、そして千鶴ちゃんを無事仲間に引き込めたことまで、かいつまんで伝えた。
「たかだか数分リンクが切れてる間にねぇ。でも説得出来たなら良かったよ、おつかれ」
「そうなんだけどさぁ、千鶴ちゃんのパソコンが壊れちゃったみたいで、これから代替え機を探さなきゃなの」
こっちはまだバタバタしてるっていうのに莉子は変わらずエステ中とか、やるせないよ、この気持ち。
「探すって何? まさか当てがないわけ?」
「千鶴ちゃんが言うには、そこらへんのビルに侵入して適当なのを探すって」
「EATって会場、どこだっけ?」
「円山総合競技場だけど」
「エキストラの札幌支部、近くにあったはず。そこのエントランスに公共用のPCがあるからそれ使いな」
「エキストラの札幌支部って、大丈夫なの? エキストラ所属の人、たくさんいるんじゃない?」
「個室ってわけにはいかないしカメラとかもついてるけど、今そっち魔物いるんでしょ? 今更カメラが数台故障したって多分そっちの対応でそんな余裕ないんじゃない? ていうか、人がいるとも思えないし」
一理ある。
パソコンなんてそこら中のビルにあるけど、企業の所有物ならそもそもそのパソコンのセキュリティーを超えるところから始めないといけない。
それなら、多少リスキーだけど最初から使えるようになってる方がありがたい。
「確かに。じゃあそこに向かってみるよ」
「待たせたね」
ちょうどいい頃合いだった。
身支度で隣の部屋に行っていた千鶴ちゃんが戻ってきた。
それも、ゴスロリのドレスを身にまとって。
「え、待ってその服。すっごい似合ってる! かわいいー」
「よ、よしてくれ! これは断じて私の趣味ではない! 咲が選んだものなんだ!!」
青を基調としたドレスに赤く染まった頬。
バックのデザインも合わせてあって、開いたままの口からちゃっかり猫のぬいぐるみが飛び出ている。
咲のセンスの良さが伺える仕上がりだ。
「何その格好、コスプレ?」
その声は、必死で笑いを堪えながらも隠しきれていなかった。
莉子にはこの可愛さがわからないというのか。
「でもでも、すっごい似合ってるよ!」
ますます頬を赤くする千鶴ちゃんを眺めていると、「真面目に言ってるの? 八八地」なんて、すごく失礼な声が聞こえてくる。
「い、今はそんなふざけた話をしている暇などないのではないかね? 刻限が迫っているのであろう?」
「あーごめん、そうだったね」
ついついはしゃいでしまった。
「千鶴ちゃんが着替えてる間に莉子と話したんだけど、この近くにあるエキストラの札幌支部に公共用のパソコンが置いてあるんだって。ひとまずそこを目指さない?」
スマホを取り出して地図アプリを起動する。
現在地から大まかな距離と方向をわかっておきたい。
「公共用か、まぁ止むを得まい」
「なにかまずいの?」
「公共用のPCだと機能に制限を設けられている場合が多い。とは言え、管理者権限さえ取得してしまえば、後は詰将棋のようなもの。問題はあるまい」
ここから北東に直線距離で600メートルといったところ。
8階建ての事務所ビルみたい。
「ごめん、何言ってるのかあんまりわかんないんだけど、大丈夫ってことでいいんだよね?」
「もちろんだとも」
この見た目で、この頼もしさ。ギャップがすごいけど、ありがたいことこの上ない。
「じゃあ、いこっか」
スマホをポケットに仕舞って、領域を展開する。
自分を中心に五感が拡張されていく感覚、ふわっとする。
半径150メートル。
この辺りはEATの会場も近くにあって、まだ魔物の数が多い。一体一体はそんなに脅威ではないから、魔物の発生源さえどうにかすれば時期に収束しそうだ。
半径400メートル、競技場内。
あっ、アリシアと修斗だ。二人なら問題ないと思ってたけど、やっぱり大丈夫そう。周りに知らない人が何人もいて共闘してるみたい。
でもローエって人の姿が見えない。
「どうした? 飛ぶのではなかったのかね?」
「いや、ちょっと気になっただけなんだけど、EATの会場にローエって人の姿が見えなくて──あ、ちょっと待って」
競技場の地下にいくつか大きな空間がある。
背の高い機械類がたくさん並んでいるのが多分、機械室。その隣は屋内のトレーニングルームだろうか、そこに不自然な魔力の流れを感じた。
「二人、地下室にいるみたい」
競技場内に警報が発令されてしばらく経つし、逃げ遅れってわけではなさそう。
近くに魔物の姿はなく、かといってトレーニングに勤しんでいるわけでもなさそうだった。
「それがどうかしたというのかね? さほど重要なことには思えないのだが」
「うん、まぁそうなんだけ……え? これ」
「今度はなんだ?」
ただの興味本位だった。
いつもは領域を広げる時、形だけに着目して建物や車、植物、人、動物なんかを認識しているから、それが誰かまではすぐにわからなかったんだ。
「アーティストだ」
「なに?」
二人とも男の子。
一人は映像でしか見たことなかったけれど、もう一人はついさっき見た人だ。
「ロー───」
「───八八地逃げて! どこでもいい! 今すぐ!」
同じ感覚を共有していたから、莉子の焦りが直接的に感じられた。
それでも莉子は、思考だけじゃなくって実際に私の口を動かしてまで告げたんだ。
「え、どう───」
「早く!」
殺気立ってる莉子にせかされるまま、でもどうせ飛ぶなら目的地まで行こうと、さらに領域を引き延ばす。
その間、アーティスト二人に会話はなかった。
ただ、俯いてじっと何かを待っているかのような、何かを考えているかのような、そんな感じだった。
何をしているのか、皆目検討もついていなかったんだ。
ふと、顔をあげたその時まで。
「───見つけたよ」
ほとんど同時に、私たちは目的地へと飛んだ。
到着と同時に膝から崩れ落ちたところを、千鶴ちゃんに抱きとめられる。
「ど、どうした?」
「今の。なに……?」
そこはエントランスだっていうのに薄暗かった。
「何があったいうのかね?」
中も酷いありさまだ。
正面のガラスは割れて飛び散り、湿っぽい風が迷い込む。
かろうじて点灯してる照明が2つ3つあるだけの荒れようで、魔物の気配以外他にない。
「ありえない……あんなの」
「それではわかるまい」
身体が勝手に震えあがって、嫌な汗が肌を伝っていた。
「何があった?」
そんなはずないのに、あんなの確信せざるを得ない。
「見られてたんだよ!」
寒気に身が悶えた。
背筋がぞっとする。
間違いなかった。
疑いようなどない。
ありえない。
それでも確かだ。
────目が合ったんだ。
灰色。右目は義眼だった。
見ていたのはこちらのはずなのに、彼は私に気付いていた。
明らかだった。
他に考えようもない。
顔をあげて、目を見開いて、唇さえ動かしていたというのに。
声は出ていなかった。
喉を通っていなかった。
言葉になっていなかったんだ。
きっと伝わっていることさえ気付いている。
吊り上がっていた唇。
忘れられない。
白髪の奥に透けて見えたあの表情を。
血が通っていないみたいな、真っ白な肌を。
恐怖を確かに、植え付けられた。
「莉子の領域って感じ取れないんじゃなかったの……?」
「感じ取れないよ。海斗本人が言うには、感覚で感じ取っているわけではないらしい」
「いや、おかしいでしょ! そもそも東京にいるんじゃないの!?」
「中継に出てたのが、若葉の分身だったんじゃない?」
「それだっておかしいよ!! 最初からわかってないと───」
「落ち着きなって、そういう奴なの、あいつは」
莉子だって同じものを見て感じ取っていたはずなのに、なんでそんなに冷静でいられるの。
取り乱していた私の手を、千鶴ちゃんが両手で握ってくれた。
何も言うことなくそれだけだったんだけど、少しは冷静になれたんだ。
「……でも、見つかっちゃったんだよ?」
「海斗がわかるのは、領域が展開されているってところまで。誰がどこから展開しているのかまではわからないよ」
「でも。あんな……」
「それに考え方によってはむしろ良かった」
私があの、背筋が凍るような感覚の中にいた頃、エステを受けていた人にその言葉を言われるのは、どうにも心が落ち着かなくなる。
「随分気楽に言ってくれるじゃん」
「冷静になりなって。海斗がそっちにいたってことは、アーティストの中で人物Sが存在する疑惑より、私がハイジャックを阻止したっていう疑念の方が強かったってこと。でも私がこうして怜夏の前にいる時にそれが起こったんなら、アーティストは本当に思うでしょうね、人物Sが現れたって」
「そうかもだけど」
それって結局莉子の疑いが薄くなったってだけで、私は損しかしてない気がするんだけど。
「その話は後にしてくれないかね、そろそろ準備に取り掛からねば」
両手が離れると、次にその手はバッグから小さなデバイスを取り出した。
スマホみたいなやつもあれば、黒い箱のような物もあるみたいだけどそれらを一体どう使うのかさえ、私にはわからない。
「して、今から取り掛かるが、問題はないかね?」
「うん。そ、それは大丈夫」
まだ自分の中で切り替えられていないけれど、そうも言ってられないことだっていうのはわかってるから、千鶴ちゃんがいつものペースでいてくれて、実は結構頼もしく感じていた。
「ならば、始めさせてもらおう」
窓際に並べられているパソコンは軒並み何かで吹き飛ばされたみたいだけど、無傷の物も数台見受けられる。
パソコンの電源をつける前にも準備があるみたいで、何本か線を用意しては黒い箱やパソコンに接続し始めた。
「うん、お願い。魔物が近くにいるみたいだから、私はそっちを片付けておくね」
さっきここへ来る前、周辺の様子はあらかた確認しておいた。
生きてるカメラもないし、人もいない。
その他に千鶴ちゃんの障害となる可能性があるのは、魔物くらいだろう。
「任せた」
千鶴ちゃんは立ち上がった私を見送ることもせず、デスクに並ぶパソコンの一つに手を伸ばした。
休日の昼間だっていうのに辺りは静かすぎて、パソコンの微細な起動音さえちゃんと聞き取れるほどだ。
「何かあったら連絡して」
「ああ」
EAT会場で受け取った端末はまだ私が持っているから、何かあっても連絡は取れる。
その場にいても手伝えることなんてないし、私は一人でその場を後にした。




