20話「心の裏と表側」
あれからもう、4か月も経ったのか。
あの時した選択の結果、私はアーティストではいられなくなった。それでも、後悔はない。
むしろ当分生活に困らないだけのお金と自由が手に入ったわけで、よかったとさえ感じている。
それが仮に、誰かの手によって意図的に引き起こされていたとしても、その気持ちに変わりはない。
八八地と初めて会ってアーティストの裏側を知った時と同じで、驚きさえもそんなにはない。
「驚かないのね」
足を止めて振り返ると、怜夏は言った。
「驚いてるよ。でもアーティストを辞める時、私、言わなかったっけ? 後悔はないし、むしろ良かったって」
「……そう、だったわね」
止まっていた足が再び歩き出して、私は黙ったまま後に続いた。
「で、話ってそれだけ?」
少しの沈黙があって、大浴場の入口が見えてきた。
暖簾を手でよけながら、「一応、貴方にも伝えておいた方がいいわね」なんて少し重たい表情を見せた。
「あの事件、どう考えてもステージAが起こせるレベルではなかった。だから私たちはこう仮定しているの。新しいステージS候補、仮称して人物Sが現れた可能性が高いって。この前の飛行機を爆破した犯人も含めてね」
「人物S。ねぇー」
当時の私なら怜夏の言葉を信じて、その可能性を疑っていただろう。
けど、あの件があった今、こうも思う。
アーティストの数名が結託すれば、あの事件を再現することもできるんじゃないかって。
「信じがたいって反応ね」
怜夏は大浴場の脱衣所に入っても、水着を脱ぐことなく浴場への扉に手をかけた。
「そりゃそうでしょ」
扉を横に開くと同時に温泉の香りと、もわっとした湿度が一気に押し寄せてくる。
ついて来ておいて今更だけど、今は温泉に浸かりたい気分じゃない。っていうか暑いから入りたくないくらいだ。
「だってあれさ、私と他4人の力を借りてそれでも、私の魔力回路が耐え切れないほどの威力だよ? 言っちゃえば海斗並み、そのレベルの人が現れたっていうわけ?」
「まぁ、普通に考えればそうよね」
あの時のことを思い出すと、未だに手が焼け落ちてしまいそうな感覚に苛まれる。
青紫色の尾を引いて、その先端は空気抵抗から生じる熱に当てられ赤く発光していた。
1月は中旬。空気は冷たく尖っていて月や星が、その光で霞んでしまうくらいに明るい赤色をしていた。
大きさでいえばそう大きくはなかった。10階建てのビルくらい。
今思えば、現代の技術力がありながらそんな隕石が衝突寸前まで発見に至らなかったこと自体が、そもそも可笑しい話だろう。
領域に初めて取り込んだ時、そのありえないくらいの密度に領域が引き延ばされる感覚さえ感じてた。それでも魔法的力そのものは感じ取ることができなかったんだ。
初めてだった。
領域に取り込んだにもかかわらず、支配しきれない物体と出くわしたのは。
落下想定位置は日本海北側。
事の重大さから、珍しくアーティスト全員がその場に揃っていた。
世界最大戦力と称される10人全員が雁首揃えている中、誰の手にも負えない。そんな状況だ。
そう、第一席の海斗をもってしても。
より正確には、被害を最小限に抑えられないと言った方が近い。
海斗がその気にさえなれば、それの破壊くらいはできたのだから。
だけど、海斗が選んだ選択は見送ること。
空中で破壊すればその破片が散らばり、周辺諸国へも被害が及ぶ。その場合、被害の想定さえ図り切れなかったからだ。
それもそうだろう。手を下したのであれば当然、手を下したその者が責任を追及されるのだから。
であれば落ちるのが海である以上、落下速度を最小限にまで削り、一度落とした上で津波や地震といった二次災害を最小限で抑えるほうが責任が軽く、現実的だと。
そうは言ってもアーティストは10人しかいない。
自国は最小限に守れたとしても、そのほかの地域に手が回るはずもない。
だが、それでいい。その当時の見解では、隕石は自然災害であり、仕方のないことなのだから。
でも柄にもなく私は、それで納得ができなかったんだ。
それでどれだけの人が不幸になるのか、なんて正義感を出すつもりはない。いうならただのエゴ。プライドだ。
世界最大戦力と言われながら、実際世界の危機とやらが起こった際、手も足も出ないなんて笑い話にすらならないでしょ。
だから、意地でもそれを落下する前に受け止める。そう啖呵を切ってしまったんだ。
琥珀に能力強化を貰い、若葉に私の分身を可能な限り生成してもらって、海斗に隕石の勢いを破壊しない程度に相殺してもらった。
そこまでしても私には、受け止められる確信がなかった。
私だって人間だ。できる確信がないのに命を懸けるのは怖かった。
だから私は、人としての尊厳と引き換えにより大きな力を求めた。
人は日ごろ無意識に力を制御していて、死を実感した時初めてその枷が外される。
けれど、それを意識的に外せる能力者がいる。
有機物、無機物問わず命令を下し、自らの意のままに対象を動かすことができる能力者、橘涼乃だ。
これから死中に行くのだから、結果的には何も変わらなかったのかもしれない。
でも私から申し出ると、いつもの天真爛漫な笑顔とはまた違った、背筋に悪寒が走るような、そんな邪悪を含んだ表情で、彼女はにやけたんだ。
ゆっくり伸ばされた手のひらが頬に沿った。彼女は確かにそこにいるのに、その存在を疑ってしまうほどに、彼女の指先は冷たかった。
「いいよ、莉子──」
溢れ出る。
自分の内側から、自分でも知らなかったその存在が押し寄せてきて、途端に自分が乗っ取られていく。
染まってく。
相対したその唇が、最後にこう動いてから記憶が曖昧になるんだ。
「──ぶっ壊れろ」
次に気が付いた時にはベットの上だった。全身には既に傷などなく、苦も無く起き上がれるほどだ。その時視界に差し込んだ月明かりで、生き延びた実感が湧いたんだ。
ただ。記憶に穴が開いていた。
どうしてそこにいるのか、はっきりと思い出せないのに、両手が焼かれていたかのような熱さと痛みだけは、鮮明に思い出せた。
それから日が昇ったその日、魔力回路が焼き切れていると診断された。
大きな力を失った。
数えきれない憐れみと、同情が贈られてきた。
是非もない。
私は、英雄となった。
「海斗以外であんな威力の芸当、できる人がいるなら会ってみたいくらい。んーで、一緒に海斗に一泡吹かせたい」
「なによ、そのくだらない理由」
「まっ、魔力回路もなくなった今となっては、どだい無理な話なわけだけど」
大浴場、と言ってももともと10人しか使わない想定のそれは、そう広くもない。いくつかある温泉を横切って、露天へと続く扉を押した。
この先にはサウナがある。
「ていうか、怜夏。もしかしてサウナ行くつもり?」
「まさか。エステ、予約してあるの。サウナの隣に個室あったの覚えてないかしら?」
「あったっけ? でもエステなんて、どういう風の吹き回し?」
言われてみればあった気もしないではないけれど、そこでエステが受けられるのは知らなかったな。
「ただ話すだけなら電話でいいでしょ? 安心して頂戴、私のおごりだから」
「そ、じゃあお言葉に甘えておこうかな」
連れられるまま露天風呂を横切り、奥の小屋へと歩みを進めた。
木でできた扉を開くとさらに扉が2枚。直進すればサウナで、右に折れれば個室があった。
個室もそれなりに広い。施術用の台が2つにオイルなんかを置くためのカートも2つ。
敷居を跨いだ私達の出迎えをしてくれたセラピストも、当然二人いた。
軽く自己紹介されて、今回する施術の内容を説明され、言われるまま羽織っていたパーカーを脱いで丸めた。
エステなんて久しぶりだ。それもたっぷり90分。
横になって、いざ始まると背中に掛かる指圧がちょうどいい力加減で、つい気を抜いてしまいそうになる。
「せっかく何も考えなくていい時間ができたのだもの、たまにはこういうのも悪くないでしょ?」
「まーね」
「そういえば最近、新しい趣味を見つけたそうね」
新しい趣味?
弾き語りは前からやってたし、そもそも怜夏がそれを知っているはずがない。
「なんのこと?」
「あら? 勘違いだったのかしら。恋人を探して高校巡りに精を出してるって聞いたわよ?」
「……誰さ? そんな適当な噂流したの」
「違うのかしら?」
確かに八八地の学校も含めて8校ほど回ったけど、まだ一週間も経ってない。なのにどうして?
怜夏にその情報が伝わるまでが、あまりに早い。
エキストラとの接触はシリカくらいだし、どこも人の少ない時間帯を選んでいたからそもそも接触した人数も数人。それが功を奏してネットにも情報がほとんど上がっていなかったはずなのに。
「回りくどいのは嫌いって言ってなかったっけ? 知ってるんでしょ? 本当の目的」
「貴方こそ、後悔はない。なんて言っていたものだから、てっきりそっちが冗談なのかと思ってしまったわ」
「──あっ、ごめん、ちょっと待って」
もしかするともう手遅れかもしれないけれど、八八地にも伝えておいた方がいいだろう。
パーカーからスマホを取り出して、八八地に電話を掛ける。出られても面倒だから2コールくらいで切ったんだけど、視界に青色がちらついた。スマホをしまう前に繋がったみたいだ。
「着信? 出てもいいのよ?」
「んや、そういえばさっき急ぎのLINEが来てたんだけど、返し忘れてたの思い出しただけ」
「そう。ならいいけど。で、話を戻すのだけれど、最近魔力回路を修復できそうな異能力の子を探して歩き回っているというのは、結局のところ本当なのかしら?」
「本当なんだけどさ、なんで怜夏がそのこと知ってるわけ? 怖いんだけど」
「今日、ちょうどここへ来る時なのだけれど、たまたまシリカにあったのよ。彼女の学校にも来ていたとか。話によれば、大黒八千代≪おおぐろやちよ≫って子と会ってたそうね。それで、どうなの? その子。魔力回路を修復できそうなのかしら?」
八八地の視点、客席?
EAT見に行ってるはずだけど、試合やってないっぽい。周りがざわざわ騒がしいけど、試合中とはちょっと違う賑わいに思える。
八八地の方、どんな感じだろう。
思った矢先に思考が繋がったんだけど、今そんな話をしてられる余裕がなくて、とりあえず「待って、余裕ない」って伝えた。
「……結果なんてデータバンクを見ればすぐわかるでしょ」
一言もなく思考の繋がりが途絶えたけど、リンクはまだ繋がってる。
「言ったでしょ? ちょうどさっき会ったのよ。彼女、旅行って言ってたかしら」
そういえばシリカ、この前会った時そんなこと言ってたっけ。
まさか東京でも邪魔されるなんて。
こんなことなら高いお土産でもせびっとくんだった。
「ふーん、明日から学校なのに、随分余裕なんだね、シリカって」
「ワープポイントでしょ。エキストラだもの、バイトなんて笑っちゃうくらい貰ってるはずよ。貴方だってそうだったでしょ?」
「まーね」
「で、どうなの実際、魔力回路が復元できたら戻ってくる気はあるの? っていうのか、そもそも回復できたのかしら?」
「できてたらこうしてここにはいないって」
「そう……でもシリカの話じゃ、大黒八千代さんとは随分親しいみたいじゃない? こう言ってはなんだけれど、貴方、結構友人は選ぶ方じゃなかったかしら?」
どうしたものか。
普通なら、ただの友達だって言えばそれで済む話なんだけど、それで怜夏が納得するとは思えない。
「……あんまり言いたくないんだけど」
「意外。貴方も言い渋ることがあるのね」
どう答えるべきか、それはわかってる。
それでも言葉より先に、ため息が零れた。
八八地の友達なら別にいいんだけど、怜夏には正直、知られたくなかった。
でも、しょうがない。
「……ユニット、組んでるの」
「ユニット? まさか音楽活動でもしてるのかしら」
「そのまさか」
「……驚いたわ。いいえ、ごめんなさい。別に貶すつもりはないの」
「別に。貶されたからって辞めるつもりもないから」
「貴方ならそうでしょうね……それより、この後、一緒に作戦本部に来てもらえる? 貴方が接触した子達のこと、知っておきたいの」
ひとまず、八八地との関係性をこれ以上深堀されることはなさそう。
心を削った甲斐は、あったかな。
「なんで怜夏が?」
「異能力の本質はできることじゃない。どう使うか、よ。貴方の能力が戻ってくるのなら、それにこしたことなんてないわ。同じアーティストに所属していた仲間として。一人の友人として」
この前のハイジャックの件、怜夏は間違いなく関わっている。それは確信している。
だから、証拠なんてないけどその言葉に私はこう思っていたよ。
よくもまぁ、仲間なんて言えるなって。
「だからもう一度、考え直してみるのはどう? これでも貴方よりかは頭が回ると自負しているのだけれど?」
「伶夏から冗談が聞けるなんて思わなかった」
「面白いでしょ?」
「腸が煮えくり返るほどにはね」
上辺だけ綺麗に取り繕うことも、嘘に罪悪感を感じないこともお互い様だから、この嫌悪感さえただのエゴだ。
「喜んでもらえて光栄よ。で、どう?」
「断る理由なんてないでしょ? まぁ、無駄だろうけど」
少なくともあと1時間ちょっとは、ここに怜夏を縛っておける。
「じゃあ決まりね、例えそれが、本当に無駄でも。ね」
少しだけ含みがある言い方に聞こえた。
勘ぐってしまう。そこに私を連れていきたい他の理由でもあるのだろうか。
わからないけれど、それより今は八八地の状況が気にかかる。
目を閉じて、揺れ動く視界に意識を向けた。




