11話「おき手紙」
伸ばし切った指がボタンに触れてから気が付いたけど、このマンションどう考えてもオートロックだよね。
「っと思ったけど、エントランスから押さないと明らかに変じゃない?」
呼び鈴を押し込む直前で莉子を振り返ると、何を今更と言わんばかりの表情でため息を吐かれた。
「もしかして八八地さ、こういうの初めて?」
それが他人の家への押し入りを指してるなら、初めてが正解なのでは? 色んな意味で。
口調からして不正解者というかもはや犯罪者っぽい莉子が、手を握ってきたから不信感を募らせながらもリンクを莉子に入れ替える。
「こういうのはさ──」
扉の奥でガチャっという物音が鳴って、案の定それが起こった。
「勢いが大事なわけ!」
インターホンには手も触れず、扉は不用意に開け放たれた。
そして文字通り土足で廊下に上がりこむ。
「邪魔するねー」
「ちょ、ちょっと莉子!」
今時家宅捜索でもここまでしないでしょ。
そう思いつつも、私は靴を脱いで莉子を追いかけた。
気のせいか、5月にしては室内が暖かい。
「さすがにこれはまずいって!」
「八八地は無駄に警戒しすぎ」
「警戒以前に礼儀的なところだよ!?」
「あのね、八八地。今回の相手、ハッカーでしょ? そういうヤツって大抵どこかしらにカメラなんかを仕込んでるわけ。扉の前で悠長に話してる時点でバレてるし聞かれてるの」
廊下を直進してリビングへの扉を開け放って、莉子は続ける。
「ね、東千鶴?」
開け放たれた扉の向こう、元町の景色を一望する窓を背に、背丈の小さな少女が猫のぬいぐるみを持って立っていた。
「……とは言え、西洋諸国の文化を持ち込むのは如何なものかね? 川上莉子よ」
首を傾けるしぐさで揺れる髪と服。彼女が着るにはかなり大きい厚手のシャツを一枚着こんでいるだけに見える。
部屋は一人暮らしにしては少し広い。綺麗なキッチンの他リビングから繋がる部屋がもう一つあるけれど、どこもシンプル。
片付いているとかおしゃれとかじゃなくて、物以前に生活感がまるでない。見受けられたのは隣の部屋のコンセントから押し入れに伸びるケーブルが一本くらいのものだ。
「え? 衝撃なんだけど……人様のPCには無断で入ってくる割に、土足なんか気にする倫理観は持ち合わせてるんだぁ?」
「いや、待って莉子。なんでそんなに喧嘩腰なの?」
「事実を言ったまでで、私に喧嘩するつもりなんて皆無なんだけど?」
本当に喧嘩する気がないならその言葉は出てこないんだよ、莉子。
莉子には聞こえてないけれど咲も、「初対面でこれとは、莉子もいい性格をしているな」なんて笑っている。
「それはすまないな、まさかアーティストがセキュリティーも設けず機密情報を保持しているとは思い至るまい」
「は? んなわけないでしょ? 喧嘩売ってんの?」
「……あの程度でセキュリティー足りえると? いや、まさか。であればそこらの中高生がセキュリティーを担当しているのかね? それならば……まぁ非は私にあろうか? ああそうだ、次回その人間を連れて来ることが叶うならば、私が0から指導してやろうか? 1回100万円くらいいただくが」
「──殺そう。八八地、リンク」
いや、しないって。当たり前に手を握ってくるけど、ここに来た目的それじゃないから。
深く触れないでおくけど、莉子がアーティストだった頃、ハッカーと何かしらの縁があったのかな。
「一応私たち、お願いがあって来たわけなんだけど……」
「無断で押し入っておいてお願いとは恐れ入る。して、私の名は知っているのであろう? まずは名乗ったらどうかね?」
「あぁ、その節は申し開きもございません、私が莉子を止められなかったばっかりに。改まってだけど、私は大黒八千代」
最悪な空気が漂う中で自己紹介をしていると、咲から「代わってくれ」っと声が掛かった。
「あなたと話したがっている人がいるの、今その人と代わるね?」
「話したい人? 代わる? 一体何を言っているのかね?」
「久しいな、千鶴。以前にもまして殺風景な部屋じゃないか」
「私と君の間に以前などないと思うのだが?」
咲と口を共有すると、勝手に言葉が零れ落ちる。
傍から見れば声も代わってないし、目に見える何かが起こったわけでもないからわからないのも仕方ないことなんだけどね。
「電界録上のパゴタニタ」
「……なっ、なぜ君がそれを!?」
「他にも色々知ってはいるが、まずはその格好だ。いくら室内とはいえ、だらしないしはしたないぞ? 私があげた服はどうした?」
「ま、まさか……咲、なのかね?」
「他に誰がいる? 私の知る限り私以外の友人などいなかったはずだが?」
微笑みかけられると、千鶴ちゃんの目頭が次第に赤く染まっていく。
抱きかかえていたぬいぐるみを、より強くむぎゅっと抱き締める。
「連絡が……遅過ぎるのではないかね? あんな手紙だけ残して……」
「悪かったな、あの時期にお前と関わっていたら巻き込んでしまう可能性が高かったんだ」
「無事、だったのか?」
「いいや、ちゃんと殺されたさ、首からグサッとひと突き、即死だった」
「……ではやはりあの手紙の内容は正しかったのだな」
潤んだ瞳を軽く拭って、平気そうに呟いた。
「ああ、この二人はそれを知っている数少ない味方だ」
「ま、待ちたまえ。私とて君がいなくなったあとから、情報を集めていた。君の手紙に書かれていた、『転生や転移を司る何者か』が、アーティストだというところまではわかっているんだ。川か──」
「それは大丈夫、莉子は仲間だよ」
二人の会話に割って入るのは気が引けたけど、それを証明できるのは私しかいないから。
「私も八千代から聞いただけだが、八千代がアーティストにたどり着けたのも、彼女の協力による部分が大きいらしい。それに今は元なのだろ? 私も、信用しているところだ」
「咲、君がそう言うのであれば信じることにしよう。それで、君達が私を訪ねてきたわけを話してみたまえ」
テーブルや椅子の一つもないからか、「簡潔に頼むとしよう、まさかとは思うがお茶の一つも出てくるとは思うまい?」なんて言いながら床にあぐらをかいた。
「だそうだ、八千代。私の要件も済んだところだ、あとは任せるぞ?」
「うん、ありがとう」
頭の中に咲の声が聞こえたから、私は咲とのリンクを切った。
咲にはアーティストに狙われているなんて話はしていないから、この先の話を聞かせれば余計な心配を掛けかねないし。
「私たちのお願いは一つだけ。アーティストのデータバンクにアクセスして、データの書き換えをしてほしいの」
「それだけでは判断しかねる。経緯を説明してもらおうか」
「もちろん」
私は千鶴ちゃんに莉子との出会いから今に至るまでの出来事を伝えた。
「ゴールデンウィーク明けに、シリカとやらからアーティストへ情報が流れることは防げない。であればその後に確認するであろう能力者のデータバンクそのものを書き換え、大黒八千代の能力では川上莉子の魔力回路を補完できないと誤認させる算段か」
これを思いついたのは一昨日、莉子と話耽った日のこと。たまたま莉子に次の予定を訊かれて、千鶴ちゃんのことが頭に浮かんだ。咲からハッカーであることは聞かされていたからピンときた。
『莉子が私と接点を持っていた』という事実は隠せないけれど、データバンクに書かれている私の能力をまったく別のものへと書き換えれば、『ハイジャックを止めた犯人が私達』と断定されることはなくなる。
これぞ、根本的解決というわけだ。
「よかろう」
「ほんと!? 結構危ない橋を渡ることになると思うんだけど」
「アーティストのデータバンクへは何度かアクセスしたことがある。今更さ」
「そ……そっか」
協力してくれることは嬉しい。でも私には一つ、気にかかっていることがあった。
「千鶴ちゃんはなんで、アーティストと敵対しているの?」
「……ある日突然姿を消した友人を、探していたんだ」
「良かったでしょ、見つかって」
「あぁ。どうやらまだ、面倒なことに首を突っ込んでいるようだがな」
どこか物寂しげな表情をしていた。
まるで未だ、何かを探し続けているかのような、そんな表情。
「さて、準備に入るとしよう」
あぐらを崩して立ち上がると、隣の部屋へと歩みだす。
「悪いが今日のところは帰ってもらおうか」
「え? 協力してくれるんじゃないの?」
「するとも」
思い返せばどこかこう、少しだけ違っていた気がするんだ。
「だがハッキングには準備がいる。明日また、同じ時間に訪ねてきたまえ」
「準備って何? 私達に手伝えることってある?」
「ないな。強いて言うなら、私の邪魔をしないでくれ」
「う、うん」
何がどうとかって上手く言い表せないけれど、それらの奇妙な感覚は全部、そこに起因していたんだなって。
どうしてもっと早く、こんな歪な形になる前に気が付いてあげられなかったのかな。
彼女が胸の奥底に仕舞っていた、恐怖と不安に。
「千鶴ちゃん……?」
日付が進んだ後になって、それを知った。
物音がしない扉の向こう。靴のない玄関。人が住んでいた痕跡など微塵もない室内。
「こっちにはいないっぽい、そっちは?」
「うんん、いない……」
1208号室から、千鶴ちゃんの姿がなくなっていた。もぬけの殻になった1208号室の中で、私と莉子は顔を見合わせる。
その日はエントランスからインターホンを鳴らしていた。
誰も出ないそれを不審に思いながら、莉子とリンクして再び千鶴ちゃんの部屋へと押し入った。
当然、名前を呼んでも返事は返って来なかったし、リビングもトイレもお風呂もキッチンもシューズクロークだって探した。
「ケーブルもなくなってる……」
物が極端に少なかったのはすぐに拠点を変えられるようにしていたから、だったんだね。
文字通り部屋中探し回って見つかったのが、押し入れに残されていた一通の便箋だけ。
中にはチケットと手紙があって、それにはこう綴られていた。
「来は二日後。円山総合競技場にて、大黒八千代を待つ。反故にした場合協力はしない。無論、リンクも禁止とする」
読み終えた手紙を閉じて、莉子に視線を向ける。
「要するに、私を信用できないってことね」
「なのかな……っていうかこのチケット、EATだ」
アリシアと修斗と私で行く予定だったEATの観戦チケット。
今からでは当然買うことなんてできないそれを、1枚だけ添えてある。千鶴ちゃんがどういう経緯でこれを手に入れたかは知らないけれど、私と莉子を切り離す口実としてちょうど良かったのだろう。
私たちとしてはむしろ、莉子の分までチケットが揃ったわけで好都合だけど。
「で、どうするつもり? 八八地は」
「とりあえず、席が指定されてるチケットだし、これは私が持ってた方が良さそう。当日だけどアリシアから同じチケットもらう予定だから、それを莉子にあげるよ」
「え? 何? もしかして八八地、EAT好きなの?」
「私っていうか修斗がね」
「ふーん」
言い回しがちょっと引っかかった。
「莉子は嫌い?」
「別に」
なんとなくだけど、多分好きではないんだろうな。
「まあそれはいいとして、これから八八地、買い物でしょ? 昨日で遠隔リンクの条件は満たしてるし、私はアトリエに戻ることにするわ」
「う、うん」
もともと予定していたことだから今更なんだけど、こんな時にのんびり買い物なんかしていていいのかなって。
部屋がいやに物静かだからか、そんな後ろ向きなことばかりが頭に浮かんだ。
「何辛気臭い顔してんの? どのみち二日後まで千鶴は見つかんないだろうし、それが最後のショッピングになるかもでしょ? 楽しまないともったいないんじゃない?」
「……そうかも」
頭ではわかってるけど、実際この状況で気持ちがついてくることなんてない。
むしろどうして莉子はそんなに気楽なのだろう。
いつもみたいにさっと手を取って、胸元に添えた。
「いい? 何かあったら迷わずリンクして。それと、私からの着信があったらその時もリンク。わかった?」
「大丈夫、わかってるよ」
「そ、じゃあ帰るの面倒だし、リンクしてくれない?」
目の前からぱっと、その姿がなくなった。
三人で買い物だなんて、本来は絶対楽しいはずなのに。
思ったよりもずっと、足が重たく感じていた。




