10話「その後の世界」
それはまるで、六面パズルの色を揃えるかのようでした。
土埃が舞った室内。いつかに崩れ落ちた壁や天井、ところどころ抜け落ちた床と窓。
とうに人の一人も住み付かなくなった侘しい古城だろうと、朝になれば今も陽は照らしてくれます。
魔法光源を点灯させずとも、崩れた天井から覗く空の青さだけで、その部屋には十分でした。
「グローリア様? 如何されましたか?」
部屋の中央に浮かび上がった、直径4メートルほどの魔法陣。
そこに6色の記号を描き込む作業中、グローリア様は不意に私へと視線を向けられました。
「研究は一旦中止だ、休憩にしよう」
「申し訳ございません。何か至らぬ点がございましたでしょうか?」
「あぁ、すまない、そうではないんだ。つい今し方、リンクが繋がってな」
少しずつ空気溶けてゆく魔法陣に目もくれず、私の前を通り過ぎたグローリア様は、そのまま部屋を後になされました。
その後ろに控えながら、私は尋ねます。
「彼のお方でございますか? 定期連絡なら先日済ませられたはずでは?」
「ああ、ただ、今回は急を要する案件のようだ」
老朽化の末、もはや屋外と言って差し支えない廊下を歩き、私達は中庭へと赴きました。
木陰に入ったところで地面が唐突に隆起し、腰を下ろすにはちょうど良い高さとなります。
私の、土を従える下級魔法です。
「すまない、助かる」
座面は無論、芝生です。
グローリア様が座られる直前まで細部にこだわり、西洋宮殿の中庭にある椅子のような、背もたれ付きのデザインへと作り変えておきます。
「しばしくつろぐ程度だぞ?」
「それでもです」
呆れたような、されど嬉しそうな表情で椅子に腰を下ろされるグローリア様に少しばかり見惚れた後、私はテーブルも用意しました。
面に一切の凹凸も許さないほど綺麗なテーブルを土から作り上げ、持ち歩いていた鞄からティーセットを取り出します。
「後日中庭用に椅子とテーブルを仕入れておきますので、本日はこちらでご容赦下さい」
「構わないさ。もういいからお前も休め」
「痛み入ります」
自分用に簡易的な椅子を作って座ると、グローリア様はまた嬉しそうな表情をしてくださいます。
声は出さないものの、グローリア様は今もなお彼のお方と会話なされています。
今の私達から見れば異世界、日本にお住まいの八千代様と。
コップにお口をつけるお姿も凛々しく目の保養になりますが、何を話しておられるのか聞くこともできない現状は、少しだけ切なさを感じてしまいます。
「———シェディ」
名前を呼ばれて反射的に「はい」と振り向いた目の前、グローリア様の手が差し出されておりました。
風が運ぶ、グローリア様の優しい香り。靡いた紫色の綺麗な髪。
嬉しくてつい、間髪開けず手を取ってしまいました。
ほんの少しばかり驚かれた後、グローリア様は微笑みかけて下さいます。
「覚えているか? 前にお前が記憶を覗かせてくれただろう? その時にも話したが、私の数少ない友人の一人、八千代だ」
無論、忘れられるはずがありません。
グローリア様の声は透き通り、耳から鼓膜を震わせて届きますが、彼のお方のそれは頭に直接届くのです。
「久しぶりだね、中下真理恵さん。1週間ぶ——」
「今はシェディでございます。それと、そちらでは1週間であれこちらではひと月経過してございますが?」
「え? あ、そっそうだったね……」
伝えようと思うだけで言葉が相手に届いてしまうこの感覚は、やはりまだ慣れません。
「シェディ、そう冷たくしないでやってくれ。こんなヤツだが案外根はナイーブなところがあるんだ」
「失礼致しました。グローリア様のご友人であらせられましたね。ご友人で」
「う、うん。一応ね……」
絵に描いたような白々しさですね。
帝都の大根役者の方が、まだマシな程に。
「八千代。こう言ってはなんだが、誤解しないでやってくれ。普段は礼節を重んじるいいヤツなんだ」
「う、うん、大丈夫……ていうか咲、メイドとし———」
「グローリア様。です。そして私はただのメイドではございません。弟子兼アシスタント兼秘書兼メイドです」
そもそも日本に戻らないと決めた人に対し、以前の名前で接するなんて言語道断では?
「あ、いや、シェディ? 八千代は良いんだ……そ、それより今日はなんだか疲れてないか? 無理せず休んでいいんだぞ?」
はっ。またやってしまいました。
たまたま偶然、成り行きというか最早背に腹はかえられないレベルの仕方なさの結果、形式上友人として処理せざるを得なくなっただけの言わば、成金ならぬ成友人でしかないお方だとしても、グローリア様のご友人であられるというのに。
そう、ただのご友人だというのに。
「……申し訳ございません、グローリア様。少しばかり休ませていただきます」
「ああ。そうすると良い」
これ以上私情を挟むわけにはいきませんね。
お二人のお話が進まないどころか、私に精神的ストレスが溜まり、彼のお方も気分を害するでしょう。互いに良くありません。
なによりそうなれば、私がグローリア様にお仕えできなくなりかねません。
引き時でしょう。
「すまないな、お前が頼りになり過ぎるあまり、私はついついお前に甘えてしまう。心を入れ替えねばな」
「そ、そのようなことは決して。決っしてございません。グローリア様のお側にいられることこそ、本望でございます」
「そうか……お前というヤツは本当に」
それだけ言って、グローリア様はこの世界を照らす太陽のような暖かさで微笑まれました。
「まぁ、今日のところは自室で休むと良い。それと疲れているところ悪いが、サクヤかリーゼに変わりを頼んでおいてくれないか? 八千代との話が済んだ後、研究を再開したいんだ」
私はなにも本当に疲弊しているわけではございません。
その処置はあまりにもです。
「ん? どうかしたのか? 一人では戻れそうにないか?」
「……」
心に溜まった、このムーっとした気持ち、グローリア様にはわかるわけがありませんね。
私は無言のままグローリア様の隣に立ち、グローリア様が座られている椅子をソファへと変形させます。
「お、おい。休むならベッドの方がいいんじゃないか?」
「本日のグローリア様当番は私です!」
この時だけは私情を優先して、グローリア様にさえ有無を言わせず、ソファに寝そべりました。
「まったく……お前は本当に」
心落ち着く香りがします。
柔らかさに沈み込む頬から暖かさが伝わって、吹き抜けるそよ風が優しくて。
ですが一番に堪え難いのは、頭に添えられた手のひら。
瞬く間に意識を溶かされてしまいそう。
この感覚を、幸福と呼ぶのでしょう。
「騒がしくて済まない」
「大丈夫だよ、それよりシェディちゃんもそっちの生活に慣れたみたいで良かったよ」
おかしいですね。まだ彼のお方の声が聞こえます。
彼のお方が、二重リンクを切り忘れておられるのでしょう。
手のひらに限らず膝、というより太ももに触れているだけでも繋がってしまうとは。
ですが良いでしょう。今の私には、わざわざこの心地よさを壊してまで反論するメリットが皆無ですから。
今回に限り好きに囀らせてさしあげましょう。
「あの頃と比べるとすっかりな。それで、定期連絡以外で連絡してくるなんて珍しいじゃないか?」
「まぁ、うん。色々あってね。これから咲にお願いされてた子に会いに行こうと思っててさ」
「ああ、千鶴か」
お願いされてた子? 千鶴?
初めて伺う話ですね。
「アイツもまた一癖も二癖もあるからな。根は悪いヤツじゃないから、会えたら仲良くしてやってくれ」
「うん、そのつもり。それでさ、その子とはどうやったら会えるかな? 住所とか知ってる?」
「正確な住所まではわからないが、どの建物の何号室かはわかる。そうだな、まずは元町駅に向かってくれ、そこから視界を共有してくれれば私が案内しよう」
「ほんと!? ありがとう!」
「礼は不要だ。頼んだのはこちらだからな。ただ、アイツにはちゃんと別れを告げられなかったんだ、時間があれば私からも話がしたい」
このままここにいれば、私も見られるのでしょうか。
「うん、わかったよ。因みになんだけどさ、その子ってどんな子?」
「前にも話したが、パソコン関係にかなり強い、いわゆるハッカーだな。だがその代償か、人間性が著しく欠如している。冷静沈着で合理的かつ論理的、情緒や風情、趣といったものを一切感じ取れない機械みたいなヤツだな。容姿としては、まず背が低い。中学に入ってから背が伸びていないらしいからな、そして髪も瞳も黒く吊り目。そんなところか」
「ごめん、聞いた感じ仲良くなれる気がしないんだけど」
「まぁ、まずは会って話してみるといい、人の心がわからない癖に小説家になろうと頑張っている可愛い一面もある。減らず口だが面白いヤツさ。最悪、相入れなかったとしても目的は似たようなもの。協力はしてくれるはずだ」
「う、うん。わかったよ。駅に着いたらまたリンクするね」
それからグローリア様の言葉も聞かず、リンクは切られました。
静かになって、微かな音でさえ耳に届きます。
鳥の鳴き声、水が流れ行く音、風が草木を揺らす音。そして、ボロボロと剥がれ落ちる石片の音。
いつ朽ち果てるのか、きっとそう遠くない古城ですが、この古めかしさと言いましょうか、儚さと言いましょうか。
終わりをそばに予感しながらも、平等に流れる時間をゆったりと感じとれるこの拠点が、私はとても気に入っています。
「……」
今もまだ、私の頭には暖かい手が添えられたままです。
さっと、暖かい風が吹き抜けました。
「ふふっ」
風に連れ去られた前髪を、耳にかけ直してくれた優しい指先。
瞼の裏からでも、その慈愛に満ちた表情が透けて見えました。
駅に着いたらリンクするとおっしゃっていましたが、彼のお方は一体どれだけ待たせるつもりなのでしょうか。
日本の10分程度はこちらだと40分以上。
いくらグローリア様といえど、それまでずっとこうしておられるおつもりではないはずです。きっと私が休まるまでの間、このまま動かれないおつもりなのでしょう。
グローリア様にお使えするこの身が、グローリア様の負担になってはとんだ笑い者。
この先もう二度と得られないとしても、この幸福感に屈している場合では———
「まだ寝ていた方がいいぞ?」
瞼を開いて膝から少し浮いたところで、柔らかい両手に伏せられてしまいました。
明順応で朧げな時に、視界を一杯に埋めるグローリア様の優しい笑顔。
「ですが研究が……」
「シェディより優先される研究なんて、あるわけないだろう?」
私は目を瞑って寝そべっていただけで、眠いわけでも疲れているわけでもありません。
ですがグローリア様のことです、私の先ほどの言葉をまったく疑ってなどおられないのでしょう。
「それに、すぐに八千代から連絡が来ることになっているから、せめて終わるまでは休んでいたらどうだ?」
この、蜜を舐めとった際と似た、甘く蕩けるような幸福感に浸されては奮い立たせた意志でさえ、溶かされきってしまいます。
そして、蜜の上からシロップをかけるように甘く、そっと瞼に手のひらが覆い被さりました。
「聞こえる? 咲。遅くなってごめんね」
彼のお方の声が聞こえてきたのは、その後すぐのことでした。
「いや、そんなに待っていないぞ。むしろ思っていたよりずっと早いくらいだ」
「そっか、なら良かったよ」
たまたま近くにいたのでしょうか?
こちらの時間で10分もかかっていないということは、向こうの世界では2分と過ぎてはいないはずです。
「で、ここからどっちに行ったらいい?」
途端に、目を瞑っているはずの私にも、どこか見覚えのある景色が見えました。
「ここは……駅の出口か」
「うん。2番出口」
「2番か。ならまずは正面の信号を渡って右に曲がってくれ」
「あー、えっとさ、ここから大体この辺の建物とかってわからない? もしくは目印になる建物とか」
「ん? それでいいなら、そこから歩いて8分ほどのところに、イイーオンという大型ショッピングモールがあるはずだ。千鶴はその裏手に建つ16階建てのマンションの1208号室に住んでいる。確か茶色の建物だったはずだ」
「あぁ、あの辺りね、多分わかったよ」
住み慣れた街であればそれくらいの説明で辿り着けるのでしょうが、お二人と住んでいた地域が異なる私は、右も左もわかりませんね。
「そうか、それならば良かった。ではもし会え——」
「今1208号室の前に着いたんだけどさーって、ごめん。今何か言おうとしてなかった?」
な、何が起こったのでしょうか。
景色が、一瞬で切り替わりました。徒歩で8分といえど何かに乗って移動した、なんて話で片付けられるほどの速さではありません。
そもそも今立っているのは1208号室の扉の前。マンションのオートロックさえ飛び越えてしまってます。
「……い、今のが噂に聞いていた絶対領域というものか」
「ん? あっ、ごめんそうだったね。前もって飛ぶって言われないと驚いちゃうよね」
……絶対領域?
確か、アーティスト第三席の川上莉子という方の能力だったはずです。けれど彼女は魔力回路が焼き切れていたと記憶しているのですが。それにそもそも何故、彼女の能力が?
「あ、ああ。いや、いいんだ。川上莉子は今も隣にいるのか?」
「うん、いるよ。遠隔リンクの条件がまだ満たせてなくて」
「そ、そうか」
視界が右上に回ると、青く長い髪が目に止まりました。
彼女が、川上莉子さんですか。
高身長の割に細身でスタイリッシュ、確かに綺麗と言えるでしょうが、胸の大きさも含めてグローリア様には遠く及ばないですね。
「八八地、リンク」
「八八地?」
「あ、いや、咲は気にしなくていいよ」
同時に僅か数秒間、リンクが途絶える気配がしました。
グローリア様のお話では、リンクにも『同時接続人数』、いわゆる『同接』の上限があるそうで、おそらく川上莉子さんと接続するために私たちとの接続を切ったのでしょう。
扉の前まで移動した先ほどは、リンクの途切れを感じ取れないほど素早かったため気が付かなかったのかもしれません。
こと異能力の扱いに関しては存外、彼のお方も只者ではないということなのでしょう。
「見えたでしょ? 部屋の中」
「う、うん、見えないものが見えるってこんな感覚なんだ」
「領域展開中は星の数ほどの情報量が入ってくる。八八地はまだ、本来の5分の1も展開できないけど、当然その情報の全ても拾いきれないし、領域内の全てに同時に干渉することもできない。せめて私の半分程度までは展開できるようになって」
彼のお方の能力で、他人の異能力を借り受けられるとしても、それを使いこなせるかはまた別みたいですね。
「5分の1!? 今のでも結構疲れたんだけど」
「八八地のリンクもそうだけど、私の絶対領域も分類で言えば『異能力』。魔法とは違うから、マナも魔力も消費してないはずだけど?」
「……莉子は疲れないの?」
「疲れっていうか、情報量に当てられてるだけじゃない? 私も最初はそんな感じだった気がするけど、情報の取捨選択ができるようになったから、疲労感とかないし」
「そ、そうなんだ」
「話し込んでいるところ悪いが、千鶴のヤツはいたのか?」
「ごめん、まだリンクの最中だったね。それっぽい人はいたよ、もしその人が千鶴ちゃんだったら最初は咲に話してもらっていい? 私達、少し込み入った話をしなくちゃいけないし」
「構わない、こちらは少し話せればそれで良い」
「じゃあそういうことで。インターホン、押すね?」




