↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/2

第2話「もう一度、君の歌を」

 翌日の夕方。


 久世亮太は、アルバイト先のコンビニでレジに立っていた。


「いらっしゃいませ」


 いつものように客を迎え、商品のバーコードを読み取り、会計を済ませる。


 何も変わらない日常。


 昨日と同じように時間が過ぎ、今日もまた一日が終わっていく。


 それなのに、亮太の頭の片隅には、昨夜の出来事が妙に残っていた。


 月明かりの下でギターを弾いていた少女。


 そして、あの歌声。


 透き通るような声なのに、どこか寂しさを感じさせる不思議な歌だった。


「ありがとうございました」


 客を見送った亮太は、レジの横にある時計をちらりと見た。


 夜の八時を少し過ぎたところだった。


「……もうこんな時間か」


 小さく呟き、再びレジに目を向ける。


 別に、あの少女のことを考えていたわけではない。


 ただ、ふと思い出しただけだ。


 そう自分に言い聞かせるように、亮太は小さく息を吐いた。


 *


 同じ頃、病院の一室。


 窓際のベッドに腰掛けた雪乃は、膝の上に置いたノートを開いていた。


 そこには、いくつもの歌詞や音符が書き込まれている。


 ところどころ消しゴムで消した跡があり、書き直した言葉も少なくない。


「うーん……」


 雪乃はシャープペンシルを持ったまま、首を傾げた。


「なんか違うんだよなぁ……」


 ノートの端を指でなぞりながら、しばらく考え込む。


 やがて、窓の外に目を向けた。


 病院の敷地に隣接した小さな公園。


 木々の葉は少しずつ色づき始め、夕暮れの風に揺れていた。


 昨夜、あの青年と出会った場所。


「……また来てくれるかな」


 雪乃は小さく呟いた。


 もっとも、あのときの彼は、あまり愛想が良いとは言えなかった。


 それでも、最後に自分の歌を褒めてくれた。


 自分が作った歌を、誰かに良いと言ってもらえたことが嬉しかった。


 雪乃はノートを閉じると、ベッドの横に置いてあるギターケースに目を向けた。


「……もう少し、頑張らなくちゃ」


 そう言って、彼女は微笑んだ。


 *


 午後九時を過ぎた頃。


 亮太はコンビニの制服を脱ぎ、帰り支度をしていた。


「久世くん、お疲れさま」


 店長が声をかける。


「お疲れさまです」


「今日はもう上がっていいよ」


「はい。お先に失礼します」


 店を出ると、夜風が頬を撫でた。


 亮太は上着のポケットに手を入れ、駅とは反対方向へ歩き出す。


 自宅へ帰る道はいくつかある。


 普段なら、わざわざ遠回りなどしない。


 けれど、その夜はなぜか、昨日の公園の近くを通ってみようと思った。


 別に理由などない。


 ただ、少しだけ気になった。


 公園に近づくにつれ、周囲は静かになっていく。


 街灯の明かりが歩道を照らし、木々の葉が風に揺れていた。


 亮太は何気なく公園の中へ目を向ける。


 ベンチのそばには、誰もいなかった。


「……なんだ」


 自分でも何を期待していたのか分からず、亮太は苦笑した。


 そのまま通り過ぎようとしたときだった。


「こんばんは」


 不意に声がした。


 振り返ると、公園の入口近くに少女が立っていた。


 肩にはギターケースを背負っている。


「あ……」


 亮太は思わず足を止めた。


 昨日の少女だった。


「昨日のお兄さんだ!」


 雪乃は嬉しそうに笑った。


「……こんばんは」


「本当に来てくれたんだね」


「いや、別に。たまたま通りかかっただけだよ」


「ふーん。たまたま、ね」


 雪乃は少しだけ意地悪そうに笑う。


「まあ、そういうことにしておこうかな」


「……好きにしてくれ」


 亮太は小さく肩をすくめた。


 雪乃はそんな彼を見て、くすっと笑った。


「ねえ、今日は時間ある?」


「どうして?」


「また歌を聴いてほしいなと思って」


「昨日も聴いただろ」


「昨日は昨日。今日は今日」


 雪乃は当たり前のように言った。


「それに、今日は違う曲も聴かせてあげる」


「違う曲?」


「うん。私が作った歌」


 そう言って、雪乃はギターケースを下ろした。


 亮太は少し迷ったあと、ベンチに腰を下ろした。


「……少しだけなら」


「やった」


 雪乃は嬉しそうに笑い、ギターを取り出した。


 *


 雪乃はベンチに座り、ギターを膝の上に置いた。


 弦を軽く鳴らし、音を確かめる。


「今日はね、昨日とは違う歌を歌うよ」


「昨日の歌とは違うのか?」


「うん。こっちは少し前に作った歌なんだけど……まだ完成してないんだ」


「完成してない?」


「そう。歌詞が途中までしかできてないの」


「自分で作ったんだろ?」


「そうだよ。作詞も作曲も私」


 雪乃は少し誇らしげに胸を張った。


「すごいだろう?」


「……まあ、すごいんじゃないか」


「なんか反応が薄いなぁ」


「そう言われてもな」


 雪乃は笑いながら、ギターを構え直した。


「じゃあ、聴いてね」


 静かな夜に、ギターの音が響き始める。


 昨日の歌よりも少し明るい旋律だった。


 けれど、どこか懐かしく、優しい。


 雪乃は目を閉じ、ゆっくりと歌い始めた。


 その歌には、まだ完成していない部分があった。


 歌詞が途切れると、雪乃は少し困ったように笑い、再びギターを弾き始める。


 亮太は黙って聴いていた。


 やがて演奏が終わる。


「どうだった?」


「……いい歌だと思う」


「本当?」


「ああ」


「どの辺が?」


「どの辺って……」


 亮太は少し考え込んだ。


「なんていうか、聴いてると落ち着く。昨日の歌とは違うけど、こっちも好きだな」


 雪乃は目を丸くした。


「……そっか」


 そして、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう」


「別に。思ったことを言っただけだよ」


「それでも嬉しいよ」


 雪乃はギターを抱えたまま、夜空を見上げた。


「私ね、いつか自分の歌を、もっとたくさんの人に聴いてもらいたいんだ」


「たくさんの人に?」


「うん。小さなライブハウスでもいいし、いつか大きなステージで歌えたら素敵だなって」


 雪乃の瞳は、夜空の向こうにある何かを見つめているようだった。


「自分の歌で、誰かの心を動かせたらいいなって思うんだ」


「……歌手になりたいってことか?」


「そうだね。まあ、まだ夢みたいな話だけど」


 雪乃は少し照れくさそうに笑った。


「でも、夢を見るくらいは自由でしょ?」


「……そうだな」


 亮太は短く答えた。


 夢。


 その言葉を聞くと、なぜか胸の奥が少しだけざわついた。


 かつて自分にも、何か夢中になれるものがあったような気がする。


 けれど、今ではそれが何だったのかさえ、はっきりと思い出せない。


「ねえ」


 雪乃の声に、亮太は我に返った。


「お兄さんは?」


「何が?」


「夢とか、やりたいこと」


「……別にないよ」


「本当に?」


「ああ」


「そっか」


 雪乃はそれ以上、何も聞かなかった。


 ただ、ギターの弦を指で軽く弾いた。


「じゃあ、これから見つければいいんじゃない?」


「簡単に言うなよ」


「簡単じゃないから言ってるんだよ」


 雪乃は亮太を見て笑った。


「だって、これから先のことなんて、誰にも分からないんだから」


 その言葉に、亮太は返事をしなかった。


 けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


 *


 しばらくして、雪乃はギターをケースにしまい始めた。


「もう帰るのか?」


「うん。そろそろ戻らないと」


「戻る?」


「あっ……」


 雪乃は一瞬、言葉に詰まった。


「えっと……家にね」


「こんな時間まで外にいて大丈夫なのか?」


「大丈夫、大丈夫」


 雪乃は慌てて笑った。


「心配してくれるんだ?」


「別に、そういうわけじゃない」


「ふふっ。ありがとう」


 雪乃は立ち上がり、ギターケースを背負った。


 そのとき、彼女の表情がほんの一瞬だけ曇った。


 小さく息を吸い込み、胸元に手を添える。


「……大丈夫か?」


 亮太が尋ねる。


「うん。ちょっと冷えちゃっただけ」


「そうか」


「じゃあ、またね」


 雪乃は笑顔で手を振った。


「うん。またな」


 亮太も軽く手を上げた。


 雪乃は公園の出口へと歩いていく。


 その背中を見送りながら、亮太はふと思った。


 また、あの歌を聴きたい。


 昨日の歌も、今日の歌も。


 そして、彼女がこれから作る歌も。


 そんなことを考えている自分に、少しだけ驚いていた。


 *


 公園を出た雪乃は、病院へ続く道を歩いていた。


 街灯の下で立ち止まり、ギターケースを背負い直す。


 少し疲れたのか、呼吸が乱れていた。


「……はぁ」


 雪乃は小さく息を吐き、夜空を見上げた。


 そして、再び歩き始める。


 病院の裏口にたどり着くと、周囲を確かめてから、そっと中へ入った。


 廊下は静まり返っている。


 足音を立てないように病室へ戻り、ベッドの横にギターケースを置いた。


「雪乃さん?」


 そのとき、背後から声がした。


 振り返ると、看護師が立っていた。


「あ……」


「また外に出ていたの?」


 看護師は困ったような表情を浮かべた。


「ごめんなさい……」


「もう。心配するんだから」


「でも、少しだけだったよ」


「少しだけでも、無理は駄目。約束したでしょう?」


「……うん」


 雪乃は小さく頷いた。


 看護師は彼女の顔色を確かめると、静かにベッドへ戻るよう促した。


「今日はもう休みましょうね」


「はい」


 雪乃はベッドに腰掛け、窓の外に目を向けた。


 公園のベンチは、もう見えない。


 けれど、そこには確かに、今日も楽しい時間があった。


「……また、会えるといいな」


 雪乃は小さく呟いた。


 その手には、亮太に聴かせた歌の歌詞が書かれたノートが握られていた。


 まだ完成していない歌。


 いつか、誰かに届けたい歌。


 そして、今日出会った青年に、もう一度聴いてほしい歌。


 雪乃はノートを枕元に置くと、静かに目を閉じた。


 *


 その夜。


 亮太は自宅の部屋で、ベッドに横になっていた。


 天井を見つめながら、今日の出来事を思い返す。


 少女の笑顔。


 ギターの音色。


 そして、夢について語っていたときの、あの真剣な表情。


「……変な奴」


 亮太は小さく呟いた。


 けれど、その声には、ほんの少しだけ笑みが混じっていた。


 いつもなら、何も考えずに眠りにつく時間。


 なのに今夜は、なかなか眠れそうになかった。


 亮太は寝返りを打ち、窓の外に目を向ける。


 秋の夜空には、月が静かに浮かんでいた。


 そして、彼の頭の中では、雪乃の歌声がいつまでも響いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。