2.学友との再会
世に蔓延る霊魔を伐ち消す霊術士。
その頂点に立つ、四つの大霊術士の家門を【四大家】と言った。
四大家が一つ、燁家に蓮睡は生まれた。
高潔と名高い燁家で育った蓮睡はかなりの潔癖な性格だった。
だがそれを狂わせる男がいた。それが霙霞藍という男だった。
学舎を卒した後も、早二年が経とうとしているが、何故かそいつの夢を見るようになった。
見るのはいつも煩わされる懐かしい夢ばかりだ。
(非常に迷惑だ!)
小言をぶつくさと零しながら、人で賑わう【万桂】という街の大道を歩く。
万桂は燁家が邸を構える大きな街だ。
蓮睡は霊術士の目印とも言える剣を腰にぶら下げている。立派な鞘には燁家の家紋である蝶が施され、その美しさに目を引かれる者も少なくはない。
「あれから顔を見てないが、働きもせずにふらふらと女を引っ掛けてるんじゃないだろうな?」
(あいつならばあり得るな!)
ますます腹立たしく思えていると、突然大きな音と共に背中に強い痛みが走った。その衝撃で思わずむせ返りながら、ジンジンとする痛みに目には薄っすらと涙が浮かぶ。
(このっ、馬鹿力は……!)
振り返るとそこには見慣れた顔と見覚えのある顔があった。
「なぁに、ぶつぶつ言ってんだ蓮睡?美人顔が台無しだぞ」
大男が豪快に笑う。
腰に佩く剣は一際太く、柄の悪そうな人相は近寄りがたい雰囲気を出している。
男の名は旻汪洋。燁家家従、旻家の長男坊だ。
蓮睡とは幼馴染といった所か。幼少期から常日頃と護衛役として側にいたが、学舎を出た後はその任を解かれて霊術士としてあちらこちらへ飛び回っていた。
「あ、えっと……久しぶり、だね燁蓮睡」
聞こえてきたのは弱々しい声。顔向ければ、相手の機嫌を伺うような怯えた目と合った。
大男に細首を締め上げられて──否、肩を組まれている華奢な男に会うのは何時ぶりか。あまりにも久しぶり過ぎて一瞬名を忘れていたぐらいだ。
「……あぁ、久しぶりだな。黄春李」
「お前なんか忘れていた、って顔してるね」
まさにその通りで気まずさを隠すように顔を背ける。
否定をしない蓮睡の様子に、春李は苦笑いを浮かべ、誤魔化すように右の手で頭を掻く。
中指には昔と変わらず、家紋である鳥紋が施された太い指輪が嵌められて、細い指との不釣り合いさで目立っている。
「まあまあ久しぶりに学友に再会したんだ、これから飲みに行くか!俺が良い店連れて行ってやるよ」
汪洋は空気を遮るように声を上げると二人を無理やり引きずって歩き始めた。
剣や霊術の腕ならまだしも、体格も力も分が悪い。
蓮睡はむすっと顔を顰めながらも太い腕を振り解く事は出来なかった。
汪洋は霊魔討伐が立て込んで暫く街を離れていた。大の豪酒な男が仕事で禁酒を強いられて、きっとそろそろ辛抱ならない頃だ。
浮ついた顔を見れば、酒を欲しているのが表情から伝わってくる。
(こいつ、単に酒を飲む口実が欲しかっただけだろ)
相変わらず強引な男だ、とため息を吐くと春李を盗み見た。
昔から体の線が細いがますます細くなったように感じた。剣を扱うのが不得意で、腰に下げたどの霊術士よりも小さな剣だってただのお飾りだ。
黄家は四大家の一つだ。そして春季はその長子。
本来は一族を率いる立場にある筈だが、しかし春李は霊術士としての務めすら果たしていないようだった。
(『黄家の坊っちゃんはずっと家に引き篭もっている』とか聞いたな)
なので外に出ている事が珍しく思えた。
しかも黄家の本家があるのは、ここから五日ほど歩いた先にある街の【緑桐】だ。
黄家の長子と生まれながらもどこかぱっと冴えない。控えめで、うじうじとした男。
それが蓮睡が春李に抱く印象だった。
汪洋は学友と言ったものの、春李とは特に仲が良い訳でもなく、むしろ彼と仲が良かったのは霞藍だった。
(……霞藍)
その存在が頭に浮かび上がり目を伏せる。
霙家も四大家の一つだった。
その当主であり、大霊術士として名高い霙朧菫の話は嫌ほど耳にするが、その弟の霙霞藍の話は不思議と聞いたことがなかった。
霞藍は今何をしているのかなど、全くもって耳に入っては来なかった。
四大家に生まれた霊術士ならば少しぐらいは噂を立てられても良いはずだ。春季の引き篭もりの噂ですら耳に入ってくるのだ。
しかし霞藍に限っては全く無かった。
(春李なら何かあいつの事を知っているだろうか?)
別に聞きたいと言う訳ではなく、少し気になっているだけだ。
蓮睡がそう自分自身へ言い訳をしている内に、三人は酒場へと着いていた。
酔っぱらい共の騒ぎが耳障りに感じながら、無理やり持たされた杯に勝手に注がれた酒を啜る。
暫く他愛もない話が続き、頃合いを見て蓮睡はさりげなく霞藍の名を口にした。
すると「えっ……?」と春李は困惑の声を漏らし、助けを求めるようにおどおどとした目を汪洋へと向けた。
春李の視線を追えば、汪洋はしまったと顔を顰めている。
蓮睡はがらりと空気が変わったのを感じた。
「えっと⋯…蓮睡は知らないの?」
戸惑う春季は目を泳がせながら尋ねてきた。
久しぶりにかつての学友に会い、あいつ──霙霞藍が今はどうしているのかを聞きたかっただけ。それでさり気なく話を切り出した。
それなのにどうしてそんな言葉が返ってくるのか理解出来なかった。
ただ、隣にいる汪洋はずっと苦虫を噛み潰したような顔をしていて、どこか様子がおかしい事だけは察した。
「…⋯何をだ?」
平静を装って尋ねたものの、声はやっとの思いで絞り出した。
嫌な予感に胸の音がけたたましく鳴り、体が動かない。蓮睡は初めて恐怖を感じていた。
目の前の男が躊躇いがちにゆっくりと口を開いた。
「……霞藍は亡くなったんだよ、一年ほど前に」
「は……?」
その言葉に、燁蓮睡は頭が真っ白になった。
(あいつが?死んだ?まさか)
そう安々と死ぬような男ではなかった。少なくとも蓮睡はそう思っていた。
(一年も前と言ったか?俺は聞いていない)
汪洋を見れば気まずそうに目を逸らし、意図的に黙っていたのは明らかだった。
「……どうして俺に言わなかった」
何とか吐き出した声は自分でも驚くほどの低く沈んだ声だった。
「……霙家が公には言っていない事だ。だからお前に言う必要ないと」
「何だと!」
「ま、待って」
ぶっきらぼうに答えた汪洋に掴み掛かり今にも殴りかからんとする蓮睡を、春李が慌てて遮った。
「霙家は確かに霞藍の死を公表してないんだ。四大家は其々が持っている情報網があるから知った事だし、黄家もそうで、僕も知ったのはかなり後で。世間だって『最近見ないからそうなんじゃないかな~』ってぐらいの噂程度だし、ね?だからまずはその手を離そう?」
蓮睡は胸ぐらを掴んでいた手を離すと力なく椅子に腰つけた。
「そうか、俺だけが知らなかった事か……」
と、額に手を当てる。
「……公にしてないってどういう事だ?あいつは四大の、霙家の次男坊だろ。ならばそれ相応の葬儀をしている筈だ。そんな話を私は耳にしていない」
「あ、その……葬儀はされていないんだ。霞藍は庶子だから、その、昔から霙家ではあまり立場が良くなくて」
「火葬もされず、東の犬山に捨てられたって聞いたぜ?殴り殺された上に犬山行きとは悲惨な末路だな」
「えっ、ぁ、うん。そうみたい……」と春李はどこかぎこちなく目を伏せた。
東の犬山──それは東部にある、亡くなった罪人が捨てられる山の名だ。
いつからか獰猛な野犬が住みついて、気性の荒い烏までも塒にしているらしい。捨てられた屍は目も当てられない惨い末路を迎えという。
その所為で山の麓からそれはもう異臭が漂っているそうで、人々から犬山は毛嫌いされていた。
おまけに死人の恨み辛みが膨大な陰気となって山を包んでいるので、霊術士すら近づくのを尻込みする程だ。
そんな山に捨てられると言うことは、霙家での霞藍の立場を知るには十分だった。
「……そもそも何であいつは死んだ?殺されたって?」
「うん……北部の山の方に霊魔を討伐に行ったみたい、なんだけど、その、相手が凶悪だったんじゃないかって言われてて……四肢を潰されて……顔、も分からないぐらい、悲惨な有り様だったらしい」
詳しくはなんとも……語る春李の握り締めた手は震えていた。
(凶悪な霊魔だと……?)
果たしてそれは霊か魔物か鬼か。
霞藍は講義をサボっていたとはいえ、霊術士として素質は高い方で決して弱くはなかった。
そんな男を散々な目に合わせる程の霊魔が存在する事に驚いていた。
(あのけらけらと笑う顔を殴ってやりたいと思った事はあるが、それでも……!)
蓮睡は手を握りしめると、ただ無言のまま立ち上がった。
「おい蓮睡?」
汪洋の声が聞こえたが、返事をする気にもならず、そのまま酒場を後にした。
街を歩く蓮睡の足取りはふらついていた。
呆然とするあまり、人気のない路地に迷い込んでいる事すら気づかずにいた。
(あいつが、死んだ……?)
胸がズキズキと痛んで、まるで酷く鋭利な剣で斬りつけられたような痛みだった。
今思い返すと、夢を見始めたのは一年ほど前。
(だからといって何だというんだ)
足を止めて空を見上げる。
どんよりとした黒い空が滲んで見えた。
「あいつはもう、何処にもいないのか……」
瞼を閉じれば、瞳から溢れた何かが頬を伝ってこぼれ落ちていく。
この胸の痛みは──。
「もしかすると……、俺は、あいつが──」
蓮睡の呟きは降り出した雨の音にかき消された。




