1.夢
昔、学び舎に嫌いな男がいた。
不真面目で身勝手で女癖の悪い所が嫌いだった。
あの頃はその存在がうっとおしくて、どうして同じ部屋で就寝を共にしないといけないのかと直談判した事もあるほどだ。
学び舎を後にして随分と経つが、いつからかその頃の夢を見るようになった。
それは次第に頻繁と見るようになり、この頃は毎夜夢に出てくる。
そしてまた今夜も懐かしい夢を見る──。
『──霞藍!霙霞藍!』
『どうした蓮睡?美人な顔が鬼みたいになっているぞ?』
蓮睡が宿舎に戻ってくると、霞藍は窓のそばに置かれた椅子に腰掛けて呑気に本を読んでいた。こちらが怒っている理由など分かっているのに白々しい態度だ。
嫌みを言われたことに「何だと!」と声を荒げるのをぐっとこらえ、蓮睡は憎い男を指さした。
『お前また講義サボっただろう!おかげで同室である俺が小言を言われたんぞ!』
『今時連帯責任なんて古いな。流石は豪先生だ、伊達にお年を召してない』
笑う顔が憎らしくて、蓮睡は白い頬を赤くし、目をますます鋭くさせた。
『大体学舎に来てなんでまともに授業を受けないんだ!お前だって霙家の者ならば優れた霊術士になるべくしてここに来ている筈だ!』
『相変わらずの真面目さだ、燁蓮睡。燁家の若君らしい殊勝な考えだ。だがひとつ間違いがある。俺は別に優れた霊術士になろうとしていないし、なる必要もない』
『ならどうしてここに来た!』
『さぁ、どうしてだろう?』
そう言うと霞藍は窓の外へと目を向けた。その見つめる先には空を大きく羽ばたく鳥がいた。
見つめる瞳はどこか虚ろとしていて、どうしてそんな目で鳥を見つめるのか分からない。
ただこの時は、軽くあしらわれたような気がして腹が立った。
『おい!無視をするな!』
ムッとして声を荒げると霞藍は持っていた本を置いて立ち上がった。そして静かに側へと向かってくる。
先ほどまでニヤけていた口元は、今一文字に結ばれていて感情は読めない。髪で陰り光を失った目は、真っ直ぐとこちらを見つめており、思わず一歩後ず去っていた。
顔の距離が徐々に近づいて、そして──。
『…………へ?』
間抜けな顔をした蓮睡は、ぱちぱちと瞬いて唇を触れる。
ほんの一瞬の事だった、唇に何かが触れた。直ぐにそれは離れたが確かに何か柔らなものを感じた。
状況を処理できずに呆然としていると、霞藍は腹を抱えて笑い出した。
(こ、こいつッ!)
蓮睡の顔がカッと真っ赤に染まった。
『お、お前!今!な、何をした!』
『何って、あまりにも口喧しいから塞いでやったんだ。それが何か?』
『何か?じゃない!お前今俺に、く、口づけしたんだぞ!』
『お?その過剰な反応は初めてだったのか。それは気が付かなくて悪かったな――初めてならちゃんした方が良かったか?』
『ふざけるなー!』
蓮睡は大声で叫んだ後、袖で唇を何度も何度も強く拭く。
胸がどきどきと激しく鼓動を胸を打って、中々収まらなかった──。
蓮睡は目を覚ますと体を起こした。
窓から見える暗い空は雲に覆われて、月影は霞かかっている。
ぼんやりとしたまま、唇に手を当てる。
確かにあの時二人の唇は触れていた。
霞藍の女遊びは学舎では有名で口づけなんて数え切れない程にしていたのだろうが、蓮睡にはあれが人生で初の口づけだった。
二人が口づけをしたのはあの一回だけで、そのぬくもりも、感触も覚えてなどいない。
それでもあの瞬間は今でも忘れられず、思い出せば今も胸をどきときとさせる。
「なんであの時の事を思い出すんだ……!」
嫌いな夢を見てしまい苛立つ蓮睡だったが、その頬は薄っすらと赤らんでいた。




