表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/20

15話

 骨董品店から出ると、まずは新鮮な空気が肺に入り込んできた。まだ夜になったばかりではあるが、空気は十分に冷えている。冷気が肺を刺すのを心地良く感じる。


「ご苦労だったな。なかなか酷い現場だ」


 ハリムの上司、ボーラスがニコラスに声を掛ける。声に圧はあるが、男性にしては痩せた体型に、丸眼鏡を掛けた姿は、覇気がなく見える。それなのに、体格が大きいダラスを軽々と肩に担いで平然としているのは、どうしても違和感が強くなる。


「ハリム、次はどうする?」


「次は“コレ”をヴィオラ様に突き付けようかと」


 大貴族ノビスリム家の屋敷を取り仕切っていた執事が、帝国と組んでいただけではなく、契約労働者に反乱を唆していた。世に出れば大事件の類だろう。


「揉み消されるだろう。そうしたら膿は残ったまま終わるぞ」


「そう、揉み消すんです」


 ボーラスの片眉が上がる。


「今回の事件は、契約労働者の環境の悪さが原因です。それを何とかしなければ、結局別のところで火が付くでしょう」


「……分かるが、それがどう繋がる?」


「揉み消すことを条件に、契約労働者の待遇を改善するよう、夫人に進言します」


「……未来の反乱を防ぐ、その実績作りを夫人に手渡すということか」


 ふむ、とボーラスは少し考えを巡らせる。


「分かった。夫人との交渉は俺で良いな?」


「助かります。ただの訓練兵の出る幕ではないですから」


 くっくっくと喉を鳴らして笑うハリムをニコラスは見ていた。ボーラスという人物をハリムが心から信頼している証拠だと、ニコラスには思えた。


 思った瞬間、ニコラスは急に力が抜け、その場で倒れるように座る。


「……ニコ!」


 ハリムがニコラスに声を掛ける。しかし、ニコラスは返事が出来ないでいる。呼吸が荒く、汗も尋常ではない量が出ている。


「少し吸いすぎたか」


 臭いが部屋中に漂っていれば、手拭いでは防ぎきれなかったようだ。


「きつい部類の薬物ですか?」


「いや、恐らく興奮させる成分でも入っているな。酒に酔ったようなもんだ。じきに治まるとは思うが……」


 ボーラスがハリムを見る。ハリムが焦っている姿は珍しい。苛立ったり、怒りに駆られる姿は何度も見てきた。しかし、こうやって他者を心配する姿は、商会では見せていない。ボーラスは口元が緩みそうになるのを堪える。


「これを嗅げ」


 ボーラスがニコラスに何かを嗅がせる。少し嗅いだ後に、ニコラスがふらっとその場で倒れそうになるのを、ハリムが寸前で止める。荒かった息が静まり、規則正しい寝息に変わっていた。


「……眠り香ですか」


「こいつに嗅がせたのと一緒だ。朝には目覚める……とびっきりの頭痛はするだろうな」


 それを聞き、ハリムがニコラスを丁寧に抱き抱える。


「さて……どうするかな」


「天才も女の扱いは苦手か」


「……揶揄わないでください」


「揶揄うものか。安心したぐらいだ」


 どうにも据わりが悪く、ハリムは顔を顰める。女性のあしらい方も惚れさせ方も知っている。経験もない訳ではない。だが、ニコラスには調子が狂う自覚がある。踏み込みすぎてはいるが、踏み込まずにはいられない。


 だが、不快ではない。


「どうしたものかな……」


 ハリムが小言で呟く。これからのことか、ニコラスとのことか。どちらを指して口を衝いたのか、ハリム自身にも分からなかった。


――――――――


 ニコラスが目を覚ましたのは、明け方だった。


「……私の部屋、か」


 身体を起こし、見慣れた風景を見渡す。自然と溜息を吐く。頭は靄が掛かるようにはっきりせず、全身が気怠い。起こした身体を再びベッドに倒し込む。


 ぼやけた頭に浮かぶのは恥ずかしさ。盾に剣になると言ったのに、無様にも最後まで立っていられなかった。大口を開いてのこの結果を、ニコラスは恥じる。


「……くっ」


 涙が流れる。隣に並びたい相手は、最後まで平然としていた。迫る相手を容赦なく叩きのめし、自分から潰しに行ける暴力。補助になれたかすら怪しい。ニコラスはそう感じていた。ただ悔しかった。涙だけでは収まらず、口から嗚咽が漏れ出す。

 

「……ニコ、起きたのね」


 不意にエリザの声が聞こえ。ニコラスは慌てて飛び起きる。一人だと思い込み、油断をしていた。再び部屋を見渡すと、ドアの影に隠れて、エリザが顔だけ出して覗いている。


「……エリザがなぜ?」


「えへへ……話せば長いんだけど……」


 エリザがニコラスの側に来て、ベッドに腰掛ける。右手を見ながら、もじもじと動いている。どうしたのだろうかと、ニコラスは疑問に思う。


「まずはニコ。良かった。起きて安心したよ」


 そう言ってエリザがニコラスの頭を撫でる。かなりの子ども扱いをされている気もするが、不思議と嫌悪感はなかった。そして涙が再び溢れてくる。


「……私は無力だったよ、エリザ」


 弱音が出る。“らしく”ない。もっと強いと思っていた。けれど現実は何も出来ず、足を引っ張るだけだった。そんな弱気は、ハリムにも、誰にも言いたくなかったが、エリザには言っても良いと思えた。


 エリザがニコラスの頭を抱き寄せる。ニコラスもされるがままに、エリザの胸に頭を任せる。柔らかなエリザの感触がニコラスを安心させ、少しづつ心を落ち着かせる。


「……そう言うだろうからって、伝言を預かってるの」


 エリザが私の頭を軽く叩く。


「俺もお前もまだまだ足りない、これからも頼む、だって」


「……そうか」


 その言葉の通り、ニコラスにとって足りないものが多い事を痛感する件だった。今は心を奮い立たせる余裕はないが、このままで良いなどとは思ってはいない。まだ伸び代があるはずだ。とニコラスは自分言い聞かせる。

 

「ありがとう、エリザ。落ち着いたよ」


「良かった」


 ニコラスはエリザの胸から離れ、うん、と身体を伸ばす。エリザを見ると、少し神妙な顔をしていた。


「どうした?」


「……ん、いや。大したことじゃないんだけど」


 いつもハキハキと堂々としているエリザの歯切れが悪い。


「……ニコ。今度でいいからさ、一緒にハリム様に謝ってくれない?」


「ハリムに?」


 エリザがハリムに謝ることなんてあるのだろうか。


「……私、彼の頬……思い切り叩いちゃった」


 エリザが自身の右手を見る。さっきまでニコラスを支えていた手が。今はワナワナ震えている。思い出したのか、エリザが笑顔で固まっている。だからニコラスは聞く。いつかエリザがそうしたように。


「詳しく聞かせてもらおうか、エリザ」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ