13話
ニコラスは自分の部屋に着くなり、ベッドの上に倒れ込んだ。やはり答えが出なかった自問自答が、いまだに頭に残っている。
この国を守ることは正しいのか。ニコラスは知らなかった。ノビス王国は、平和で、豊かで、幸せに溢れている国だと、そう信じていた。その信じていた国が、裏では明らかに非道な人の扱いをしていた。足元が崩れていくような感覚をニコラスは覚えた。
生きる為に訓練兵になった。だが根本的にも、この国を守ることにも意義があると、無意識にそう信じ込んでいた。信心が崩れた今、この国を守ることは正しいのだろうか。
答えは出なかった。
あの親子はあの後はどうなったか。二人とも病的に痩せていた。食事を碌に食べることが出来なかったのか。デネブはきっと、彼らの力になってくれるだろう。
ハリムはどうだろう。現実を見つめていた上で、決意を立てている。やはり強い男だとニコラスは思い直す。出来れば彼の力になりたいと、ニコラスは思う。同時に、ハリムがニコラスに頼るのを躊躇しているのを疑問に思う。力不足だろうかと悔しくなる。
それに、彼が夫人から誘われていたのを思い出し、ニコラスに腹立たしい思いが過ぎる。彼が姿も知らぬ年上の女性の身体を触らせられたことも、恐らく彼も欲を掻き立てられたことも、それに抗っていたことに気が付けなかったことにも。全てが腹立たしかった。
無視できない感情があるのをニコラスは認める。それでも無視をし続けることをニコラスは決めた。この感情には名前を付けてはならない。鈍くなるのが恐ろしいから。
次の日の午後、ニコラスは約束通りに屋上でハリムを待つ。答えは出ていない。
「今までみたいな、生半可じゃいられないか」
独り言が洩れる。今までの使い走りのような気軽さはない。闇雲に進んでしまったら、簡単に引き返せるとも思えない。
「待たせたな」
ハリムが屋上に到着する。
「予想通り、執事が反乱を唆したみたいだな。昼前には屋敷から消えたってさ」
「そうか。ここで油を売っていて大丈夫なのか?」
「俺の本分は訓練兵だしな」
「何か今更な気がするな」
ニコラスは苦笑混じりに呟く。そう。今回の件は、訓練兵がどうにかするような事態ではない。そこで初めて意識が回る。ハリムは今までこんな世界と、私といるような日常を行き来してきたのかと。
「……君は強いな」
「そうでもない。今だって俺の弱さに苛立っている」
ハリムは本気でそう思っているのだろう。先ほどから目を合わせようとしないが、普段のようにふざけるような顔ではない。
「ハリムにとって、力ってなんだ」
「そうだな。自分が成したいことを成す。それが出来るのが力だ」
「なら、成したいことを決められない私は無力なのだな」
ニコラスは、力というものを理解しているつもりでいた。生きていく力、そのものはニコラスは十二分に備えている。だが、何も出来ずに倦ねている現実がある。ニコラスが無力感に苛まれるのも無理はない。
「ニコ、それは目指す場所が違うからだな。俺は俺の道を行く。人に仕えて終わるなんて、そんな人生はごめんだ」
「ハリムらしいな」
「俺らしいか。じゃあニコ、君“らしさ”はなんだ」
ニコラスは考える。自分らしさ。だが。
「駄目だな。私には、何が私らしいのかさえ分からない」
自分のことさえ分からず、囀ってばかりの自分に、微かな恥ずかしさを覚える。
「ニコはそれでいい。無理に型に嵌ろうとするのは、“らしく”ない」
「そういうものか」
「そういうものだ」
ハリムはそう言って、喉を鳴らしながら笑う。久しぶりに見かける光景に、ニコラスは心が少し軽くなった気がした。
しばらく沈黙が続く。本格的な冬はもう少し先だが、風が吹く屋上に長居をしていれば、どうしたって体が冷えてくる。ニコラスは羽織っている外套を掴み、寒さを誤魔化す。
「ハリム」
考えはまとまっていない。自分が何をしたいのかも知らないし、自分の力も碌に分かっていない。それでもニコラスはハリムに問う。
「私の力は、ハリムの役に立つのか?」
「立たないってことはないな」
「国のことは、今は信じられない。何が起きてるかさえ、正直に言えば分からない。だから私が口を挟むのは違うかもしれない」
止まらずにニコラスは捲し立てるように話す。これは自分らしくはないと内心で思う。
「だけど、目の前の酷い現実を見てしまった。知ってしまったんだ。今更、目を瞑れる訳がない」
だからこそ、ニコラスは覚悟を決める。
「私を使ってくれないか。お前なら、私を上手く使えるだろう?」
「……商会に所属する、ということか?」
「いいや、商会ではない。ハリム、君に使われたいんだ」
風が一際強く吹く。それでも。ニコラスは目を逸らさずに、真っ直ぐハリムを見据える。ハリムはニコラスの真意を掴めずにいる。
「ニコラス、お前は道具に成り下がりたいのか」
ハリムは少し怒気を含んで言葉を放つ。少なくとも“使われる”という意識に良い印象は持てなかった。対等に立っていたはずだという気持ちが、怒りを含ませる。
「少し違うな。私を武器として、盾として使え。それとも私じゃあ力量が足りないか?」
「……そんなに甘くない。そこらの下っ端だけを相手にするのとは訳が違う。生半可は死ぬ世界だ」
「分かっているさ。それでも君はやるんだろう?」
ニコラスの問いに、ハリムは苛つきを隠すように髪を掻き上げて、渋々と頷く。
「……ああ、やる」
「なら、私の力が役に立つというならば。それを使うのが“ハリム”という男だろう?」
「……悔しいが、その通りだな」
ハリムはニコラスから目を逸らす。ニコラスの真っ直ぐな目を直視し続けるのが難しくなっていた。
「……ただ、俺はお前と対等でいたい。それが条件だ」
「それはそうだな。これ以上は友人を減らしたくない」
「ふっ、友人か」
嬉しくも寂しいような気持ちが、ニコラスの心に訪ねてくる。友人という線引きからは出ないという、自身を縛る呪いだ。ただ、ハリムと対等でいるために。隣にいるために。




