12話
このままでは計画が崩れてしまう。あいつは、情報を流せば、俺の家族だけは助けてくれるって言った。他の奴らを裏切っているのは分かっている。けれど、それでも、息子を救いたい。
ノジムさんは分からないとしか言っていないが、あいつは何か掴んでいた。学がない俺には、何を掴まれたのかさえ分からない。このまま放っておく訳にはいかない。
契約労働者の若い男は、廃屋を出てから、寝所とは違う方向に向かう。緊急連絡用の印を設置しておけば、あの人に伝わるだろう。自分は死ぬが、息子だけは助けたい。その思いが、彼の注意を散漫にさせていた。
「お前、執事に会っているな?」
背後から肩を掴まれ、耳元で囁かれる。肩から伝わる、圧倒的な力の差に、男は抵抗を諦めた。
ハリムはそのまま男の耳元で聞く。
「正直に言えば何もしない。つまり……分かるな」
男は答えずに頷く。
「執事はどこだ」
「……会うことはない。計画が悪くなりそうなら、あの木に印をつけろって」
「いつ確認する」
「し、知らない。この方法を使うのは初めてだから」
肩を掴む手に力を込める。ほぼ皮と骨ばかりの男の肩が、鈍い音を立て、男の顔が恐怖と痛みに染まる。それでも男は首を振るばかりなのを確認し、ハリムが込めた力を抜く。
「なぁ。息子がいるって言っていたな」
その言葉で男の顔が青ざめる。
「早とちりするな。逆だ。息子に会いたいか」
「ッッ……!」
叫び出そうとした男の口を、ハリムは手で塞ぎ、自分の口の前に人差し指を立てる。
「……会いたいに決まってるだろ…」
「それなら会わせてやる。ついでに、この件が落ち着くまでは匿ってやる」
男が唾を飲む。
「……何をすればいい」
「何も。今は何もしないでくれ」
一回聞いただけでは旨すぎる話に、男が警戒する。
「君が良ければ、今すぐ連れ出す。場所は分かるか」
「…ノビスリム邸にいるって聞いた。男の子どもは少ないから、すぐ分かると、思うが…」
屋敷では少年は一人しか見ていない。あの子か、とハリムは思い浮かべる。身体に残る鞭の痕が印象に残っている。
「聞いたな。それじゃあ頼む」
ハリムの言葉で、少し先の闇が動く。男は気が付いていないのか、怪訝な顔をしている。
「それじゃあ俺たちも行くか」
――――――
「という訳だ。デネブ、悪いが少し間だけ頼む」
場所はデネブ食堂。もう閉店しており、僅かな灯りが店内にいる者の影を揺らす。この場にいるのは、ハリムと男、デネブ、それにニコラス。今までの話をハリムはデネブとニコラスに説明をした。
「それは構わねぇが…ハリム。お前、そいつにちゃんと伝えたんだな」
「ちゃんと伝えたさ、“何もしないでくれ”ってな」
「ったく、悪ガキなのはいつまでも変わらねぇ」
そうデネブがハリムに毒つき、男に近づく。
「あんた、大変だったな。名前は?」
「…カイダって呼ばれている」
「そうか。なぁカイダ。こいつに言われた通り、“何もしていない”んだな?」
若い男――カイダは意味がいまいち掴めず、返答が出来ないでいる。
「屋敷から子どもが一人消える。明らかな異常事態だ。だが緊急の印は何もない。それでお前まで消えたら」
デネブが一息吐く。
「執事はこう思うだろうな。“裏切ったな”と」
「……あ」
「そこまでは考えなかったか?」
「だって!…だって、息子に会わせてやるからって、そしたら俺は…」
カイダが大声を出そうとしたところで、ハリムに睨まれ、勢いが削がれる。ボソボソと話し出すが、最後の言葉は尻すぼみに消えていく。
「カイダ。お前を責めるつもりはねぇよ。けどな、お前の考えなしで、他の奴らが危険な目に合うかもしれねぇ。それは分かっとけ」
「……息子は、それは」
「ああ、そいつは平気だ。別に難しいことじゃあない。じきに連れてくるだろう。あいつは、他人なんてどうでも良いって思ってるが、嘘は付かん」
「悪いな。騙すつもりは……あったな。けれど、悪くするつもりはない。大丈夫、なんとかなるさ」
ハリムが悪びれた風な表情で軽く謝る。どうにも演技臭さがあるのがハリムらしい。この間よりだいぶ“らしく”なってきているのを確認して、ニコラスは安心する。
「ハリム」
ニコラスがハリムに話し掛ける。
「面倒ごとになりそうだな。……帰ってもいいか?」
「ああ、面倒だ…ん? 帰る?」
予想していなかった言葉に、思わずハリムは聞き返す。
「ああ、今回の私は蚊帳の外だろう? 面倒なことをこれ以上聞く前に、帰って明日の訓練に備えたいんだが」
「……ニコ、もしかして、何か怒っているか?」
「いいや、いつも通りだが」
気まずい沈黙が周囲を包む。目も合わさず、あからさまに仏頂面をしているニコラスに、ハリムは次の言葉を投げるのを躊躇する。
「……まさか今日の客に、尻を触られそうになったことを」
「尻だと…⁉︎」
「違う!」
ニコラスが珍しく声を荒げる。ニコラス自身も驚いているが、すぐに苦々しい顔を浮かべる。
「すまない。今日は帰る」
「おい、ニコ……」
ハリムがニコラスの腕を強引に掴もうとするが、ニコラスは巧みに避けて、そのままドアに手を掛けようとする。しかし、そのドアが勝手に開き、小さい体が店内に勢いよく入り込む。
「父ちゃん!」
少年は一目散にカイダに突っ込む。カイダは無言のまま、少年の体当たりのような飛びつきを受け止める。必死に手を少年の背中に回し、力の限りに抱きしめる。荒く浅い呼吸。視線は定まらない。次第に背中が小刻みに震え始め、床の木板が濡れ始める。
「問題なく。誰にも気付かれてません」
いつの間にか、ハリムの隣には、ニコラスがいつか見た、落ち着いた雰囲気の年配の男が立っていた。
「助かった。持ち場に戻ってくれ」
そのまま音を立てずに消えていく。
「ハリム」
ニコラスがハリムに問う。
「あの子の鞭の模様はなんだ。あの痩せ細った身体は。服だってまともではない。この国は、これが許されるのか」
「ああ、ニコ。これが俺たちがいる国の姿だ」
「……ハリムはその国を守っているんだな」
「……そうだ」
その温度のない言葉を聞いた瞬間、ニコラスはハリムの襟首を掴み、力を精一杯に込める。しかしハリムは微動だにともしない。それが更にニコラスを苛立たせる。
「……お前は、お前はこれが正しいと言うのか」
「正しくはない。が、俺に変える力はない」
「そういうことでは…そうではないだろう…」
絞り出すようなニコラスの声。ニコラスは俯き、襟を掴んでいた手は、ハリムに縋り付く様に肩に置かれる。
「……じゃあ、ニコ。お前ならどうする」
ハリムの返しにニコラスは黙る。瞬時に思考が巡るが、何も出来ないことを理解させられるだけだった。
「少なくとも商会は、これを正しいとはしない。けれどな、まだまだ力が足りてねぇ」
デネブが穏やかなしゃがれ声で、ニコラスに話す。
「この国の姿を嘆いてくれるなら。良かったら、お前の力も貸してくれねぇか」
それだけ言い残し、デネブはカイダ達を空き部屋に連れて行く。
「……ニコ。デネブの言う通り、俺たちには力がない。お前が力を貸してくれたら、正直心強い。だけど俺は」
「ハリム」
ニコラスがハリムの言葉を遮る。
「一晩考えさせてくれ。明日、いつものところで待ってる」
「……ああ」
そしてニコラスは店を出た。
帰り道の夜は深く、先は見えにくい。迷わずに進めるのは見知った道だから。だが、知らない道ならどうだろうか。その道を選ぶ勇気があるのか。答えの出ない自問自答を抱えて、ニコラスは帰路についた。




