第80話 真紅の魔人、驚変す!④
痛む前頭部を押さえつつ何とか立ち上がり、洞穴の入口を振り返ったルコリトは、ボーアッグの指先が半分ほども塞いでいるのを目の当たりにして飛び上がらんばかりに驚く。
「なッ…あ、相棒よ、一体どうしたっていうんだッ!?」
夢中で駆け寄り隙間から既に夕刻となっていた外界を窺うと、悲惨極まる現実が明らかとなった──十数年以来の唯一無二の知己は、盟友を守り抜くために空中から死の爆矢を雨霰と浴びせかけてくる怪人どもを死に物狂いで迎撃し、全身を焼け爛れさせながらついにやり遂げたことを……されどその代償は文字通り老聖獣の命によって贖われたことをも……!
「ぐおおおおおおッ!ボ、ボーアッグッ、オ、オレのためにッッ!!
す、すまねえッ、だ、だがこんな形でおまえとお別れしちまうなんてッ!
で、でもよっ、たった一人の真の友であるおめえに逝かれちまったら、オイラは何を心の支えに生きりゃあいいんだッ!?
そ、それにオレらの庭だったこの森も侵略者に蹂躙されて今まさに死にかけてる……こ、こんな地獄みてえな場所に独りで暮らせってのかよッ!?……バカ言うんじゃねえ、耐えられるワケねえだろうがッ!?
た、頼むッ、最後の力を振り絞って、オイラの空っぽの頭を叩き割ってくれッ!!
そ、それでおめえの行く場所にこのオレも連れてってくれよォォォッッ!!!」
涙と鼻汁と涎をドッと噴出させながら、巨体の各部分から未だブスブスと細煙を上げる亡友の後頭部に縋りついて号泣するはぐれ聖獣師……この愁嘆場は実に4メッツ(約7分間)も続いたが、止めどなく込み上げてくる激情を吐き出してひとまず落ち着いた彼が伏せていた顔をふと横に向けると、そこには異様な怪物が蹲っていた!
「ぬぎゃッ!?……た、たしかテメエはダゴードの野郎が可愛がってた森の守備兵……だ、だがオレに一体何の用だッ、そ、それに命懸けで戦ったボーアッグに平然と腰かけやがって……この罰当たりがッ、と、とっとと名誉の戦死を遂げた英雄の躰から降りやがれッッ!!」
悲嘆に暮れるルコリトの非難通り、死せる力猿の背中の真ん中辺りに堂々と座しているのは全身が不自然なまでに白く染め上げられた、小柄な少年ほどの体格を有する巨大な蛙であった!
しかし人語を解さぬのか或いははぐれ者の戯言など聞くに値せぬと侮っているのか、針擊獣兵団〈野外戦闘組〉最後の1種=跳撃獣兵は不気味に底光りする灰色の両眼を激昂する聖獣師に向けたまま微動だにしない。
かくて足元に転がっていた拳大の石塊を拾い上げて身構える野人と怪物の睨み合いが1メッツに達しようとした時、これまでどこに潜んでいたのか“飼い主”である真紅の魔人が巨猿の傍らに立っていたのである。
「おまえ……腕が……!?」
呆然たる表情で相手の肘から先が消失した左腕を指さすルコリトであったが、これまでゼトゥス守護隊長としての威厳と悠揚迫らざる態度を些かも崩すことなく彼に接してきたダゴードの鉄仮面を連想させる無機的な風貌が微かながらも苦渋に歪み、いつも傲然と張られていた岩盤のごとき胸板が若干前屈みとなっていることからも、もしや生涯初の敗北を喫したのであろうかと訝らせるに充分であった。
野人が声をかけてからまたしても1メッツを経てようやく魔人は口を開いたが、その声音は従来の深みと凄味を根こそぎ喪失し、ただ悪意と非難の響きのみを帯びていた。
「……おまえ、国王様に託された任務を放り出して逃げ出したな……なぜだ?」
「そ、それは……」
相手が答に窮していると見て取るや、昏く翳っていた金色の双眼が突如として爛々たる光を放ち始め、常時謹厳に結ばれていた彫刻的な唇がニタ〜ッとこの上なく不気味な笑みの形に吊り上がるのを信じられぬ思いで凝視するルコリト・ユドン。
「クッククク、どうやら言い訳すらできんと見えるな……とにかく天をも恐れぬ王命反逆者、いや唾棄すべき敵前逃亡者にすぎぬオマエのせいで調子の狂ったベガモ兄弟も惨敗を喫してしまい、最強を謳われた巨鳥部隊の敗退もまたキサマが伝播させた怯懦の精神波動が遠因となったことは間違いない……されど最大の被害者がこのボーアッグであることは衆目の一致するところだろう──そう、防衛隊草創期の混乱に紛れて闖入してきた馬の骨などではなく、キーナス総帥の薫陶を正式に受けたまともな聖獣師と組むことさえできればこのような悲惨極まる末路を辿ることはなかったであろうに……まさにその罪は万死に値すると断じざるをえん……!」
「テッ、テメエッ!黙って聞いてりゃグチャグチャと勝手なゴタク並べやがってッ!!
オレとボーアッグの絆がオメエみてえな化け物に理解できてたまるかッッ!!!」
怒号と共に全力で投じられた石塊を右掌で事も無げに受け止めた真紅の狂魔人は、未だ健在の怪物的な握力によって易々と粉砕すると、白い妖蛙に「ヒュノマ、殺れッ!」と顎をしゃくる。
──キュグルルルルルルッッッ!!!
M字に折り畳まれていた後肢が瞬時に伸ばされて一気に10ヤーン(約16m)も飛び上がった跳躍獣兵は、悲鳴を上げながら逃げ出したはぐれ聖獣師の頭上に正確に落下すると、まずは両前肢の8本の指先から飛び出した毒針を深々と剛毛に覆われた両肩に撃ち込んでから、全開した大口で獲物の頭部を悠々と咥え込んだのである!




