第31話 念殺士シェリスの報告①
艷やかながらも不吉に底光りする黒水晶製の床板に大の字となったイヴェロイ・ドゥヌバは白目を剝き、ブザマにもヒビ割れた唇の両端から涎まで垂らして痩せさらばえた全身を痙攣させていたが、それを見下ろす魔少年の翡翠色の瞳は文字通り鉱物のように冷ややかであった。
そしてこの一瞬の昏倒劇を待ち受けていたかのごとく、彼の背後からあたかも鎧刃部隊の一員のごとき漆黒の筋肉を誇示する袖無しの銀色革鎧に身を固めた巨漢が現れ、徐ろに身を屈めると、まず懐から取り出した黒い布で老龍氣師の唇を入念に清めてから軽々と右肩に担ぎ上げる──むろん汚れた布は右手に握りしめたままであった。
「──後は頼む」
小さく頷きつつ投げかけた声は あどけなささえ残した10代半ばにしか見えぬ容貌からは考えられぬほどに落ち着いたものであり、今披露した奇怪な技も相俟って、その乗り越えてきた修羅場の凄まじさを感得させる。
慇懃に一礼して黒い衛士は去り、敗残の老兵が視界から消え失せたところで仮面の絶対者は上機嫌で侵入者に呼びかけた。
「おお戻ったか、龍氣師に並ぶ将士団最強位を占める【念殺士】シェリス・エルアーよ。
パヅァルア全土を縦横無尽に駆け巡っての〈怒れる王国民一斉蜂起作戦〉の直前準備並びに王国軍内部における〈反乱将校蹶起計画〉の最終調整、まことにご苦労であった。
内容については逐一詳細な“鏡晶珠報告”を受けておるが、今一度おまえの口から直接に聞かせてもらいたいものだ──さあ、気に食わぬかもしれぬがそこ(巨大な黒真珠の指輪を嵌め、黒マニキュアで不気味に染め上げられた左手人差し指でイヴェロイが占めていた空間を示して)に座して共に闘示盤を眺めつつ語ってもらおうではないか……」
魔龍皇としては破格ともいえる丁重な申し出に苦笑しつつ、いずれも最高級の生地で仕立てられた、双眸に準じる翡翠色のスタンドカラーの上衣とスラックス調のズボン、そしてモスグリーンに染められた雷牛革靴という、王国民で纏うものは殆どいない奇抜(地上的)な意匠のファッションに身を固めたシェリス少年は、不敵にも両手をポケットに突っ込んだまま流れるような優美な足取りで首領の左側に立つと、いかにも恐縮といった口調でこう願い出た。
「できうるならば、こうして立ったままお話できれば幸いなのですが……お赦し頂けましょうか?」
この破天荒ともいえる申し出に、右脇に侍す女龍氣師の方が面食らった様子であったが、一瞬念殺士を睨み据えたもののすぐに苦笑しながら自身の戦闘に舞い戻るのであった。
「くふふふふッ、いつもながらおまえの天衣無縫ともいうべき豪胆さには感心させられる……一度訊いてみたかったのだが、はたして余を何と心得ておるのだ?
いかにおまえが腕に覚えがあろうとも、余がひとたび魔念を凝らせばその細首を一瞬にしてヘシ折ることが可能なのだぞ……その事実が恐ろしくはないのか……!?」
この婉曲な脅しに対し、疾駆する6個の鏡晶珠が送信してくる鬱蒼たる森の内部を興味深げに見つめながら魔少年は涼しげな表情で応じる。
「もちろん震えるほど恐ろしいですとも。
ですが、僭越ながらわたくしなりに自ら厳守を誓った〈血の掟〉というものがございまして……それによれば、元より敵わぬ相手であれば、退くよりむしろ我を張り通して死するがよい、さすればたとえ肉体的惨敗を喫しようとも精神的敗北、即ちまことの敗けは免れているのであると……!」
この放言によって龍眼の間はまたもや異様な空気に包まれたが、暫しの沈黙を経てズザ・ビラドは彼には異例中の異例である人間的な声音でさも愉快げに笑ったのだった。
「ふはははははッ!なるほどな、まさに全将士団員が心に銘記すべき殊勝な心がけだッ!
いや全く感じ入ったわ、たしかに今この瞬間におまえを縊り殺そうともその太々しい残像が脳裡に明滅する限り、ひたすら言いようのない後味の悪さに苛まれるだけであろう……聞いたかウォセメルよ、“負うた子に教えられる”とはまさにこの一事のごときをもっていうのであろうな!?」
「は、はい、本当に……!
わたくしも現状に甘んじることなく、常に日々命懸けの精進を重ねてゆきたく存じます──とはいえあくまでも敗北という名の死神を常に遠ざけ、まことの勝利を獲られますように……!!」
「うむ、見事な覚悟だ──そのとおり、魔龍皇将士団の頂点に立つ龍氣師たるものの心構えは是非ともそうでなくてはならん。
されどこの少年が今表明してのけた信条もまた、星覇獣国の旗の下に集いし者が胸に刻むべき金言には違いない……」
ここで言葉を切った魔龍皇はまたも杯を握って酌を促し、なみなみと注がれた赤黒い魔酒を一息に飲み干してこう告げた。
「とはいえ深宇宙より襲来せし見えざる悪鬼に対して絶対の勝利を確信するこのズザ・ビラドとっては無用の文言というものだがな……!!」




