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死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~  作者: 伊達ジン
第二章:黒い履歴と白い嘘

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第52話 偽りの遺言(後編)

 神保町の地下、『デジタル・アーカイブス社』。

 所長の阿部邦彦がエンターキーを強く叩き込んだ瞬間から、地下室の空気は冷ややかな戦闘状態へと移行していた。

 亡き父が全財産を謎の団体『オラクル財団』に寄付するという、不自然極まりない動画遺言。

 それが最新のAI技術を用いた「ディープフェイク」であると看破した阿部、エミリー、みずほの三人は、さらに深い領域へと解析を進めていた。


「……クニ、この動画の生成アルゴリズム、かなり高度よ」


 カナダ人ハッカーのエミリー・ローレンスが、七色に光るキーボードを叩きながら言った。


「GAN(敵対的生成ネットワーク)の最新モデルを使ってるわ。ノイズを極限まで減らして、肌の質感や筋肉の動きをシミュレートしてる。……でも、学習データが少し足りなかったみたいね。首の動きと声帯の連動に、わずかなタイムラグがあるわ」

「ええ。声のサンプリングも甘いよ」


 絶対音感を持つアルバイトの小川みずほが、ヘッドホンをずらして同調する。


「言葉のイントネーションは本物そっくりだけど、『さ行』の摩擦音と、息継ぎの音に、人工的な合成特有の不自然な周波数が乗ってる。……肉声の温かさがない、ただのデータの継ぎ接ぎだね。素人には分からないだろうけど、私の耳は誤魔化せないよ」


 二人の天才による完璧なプロファイリング。

 阿部はモニターを見つめながら、鋭い目をさらに細めた。


「動画が偽造であることは証明できる。だが、それだけでは足りない。法的に相手を追い詰めるには、『誰が』『どのように』この動画を作ったのか、そのプロセスを暴く必要がある」


 阿部は依頼人の藤堂麻衣さんに向き直った。


「麻衣さん。親父さんのスマホか、パソコンのクラウドバックアップのアカウント情報は分かるか?」

「えっ? はい、父のスマホは私が管理しています。パスワードも分かりますが……」

「……貸してくれ」


 麻衣さんが差し出したスマホをケーブルに繋ぎ、阿部はクラウドのアクセスログを洗い始めた。


 緊迫した空気が流れる中、私は麻衣さんを落ち着かせるために、温かいほうじ茶を淹れ直した。

 麻衣さんは青白い顔でカップを両手で包み込んでいる。


「……ミャァ。ニャッ!」


 その時、足元から元気な鳴き声がした。

 茶白の子猫、チビだ。

 チビは私の足にすり寄り、二本足で立って「おやつを寄越せ」とばかりにミャーミャーとアピールしている。緊迫した空気など、この小さな毛玉には関係ないらしい。


「ふふっ、お腹すいたのね」


 私は引き出しから、スティック状の猫用おやつ『ちゅ〜る』を取り出した。

 袋の端を切り取って差し出すと、チビは目を輝かせて飛びつき、ピンク色の小さな舌で夢中になってペロペロと舐め始めた。

 しかし、勢い余って顔を近づけすぎたせいで、ちゅ〜るのペーストがちょこんと、チビの小さな鼻の先にくっついてしまった。


「あ、チビ。お鼻についてるよ」

「ニャ?」


 チビは不思議そうな顔をして、自分の鼻の先をペロッと舐めようとした。

 しかし、微妙に舌が届かない。

 チビは寄り目になりながら、何度も何度も一生懸命に舌を上へ伸ばすが、どうしても鼻の先のちゅ〜るが舐めとれないのだ。

 その必死で間の抜けた表情があまりにも可愛らしくて、私は思わず吹き出してしまった。


「……ふふっ」


 隣に座っていた麻衣さんも、チビの姿を見て小さく笑い声を漏らした。

 こわばっていた彼女の肩の力が、ほんの少しだけ抜けたのが分かった。


「……可愛いですね。一生懸命で」

「はい。この事務所の、一番の癒やし担当なんです」


 私がティッシュでチビの鼻を拭いてあげると、チビは「もっと!」と私の指を舐めてきた。


「……見つけたぞ」


 不意に、阿部の低い声が響いた。

 癒やしの時間は終わりだ。私は背筋を伸ばし、麻衣さんと共にモニターを覗き込んだ。


「お父さんのクラウドストレージに、不正アクセスの痕跡がある。亡くなる数週間前から、密かに写真や動画、通話録音のデータが外部に転送されていた」

「そんな……! じゃあ、そこから……」

「ああ。やはり俺の推測通り、親父さんのスマホから日常のデータが盗み出されていたな。それを元にあの偽動画を作ったんだ。……動画ファイルのメタデータに、奇妙なシグネチャが残っている」


 阿部が画面の一部を拡大した。

 そこには、『Oracle_Engine_v1.2』という文字列が刻まれていた。


「オラクル・エンジン……」

「これが、このディープフェイクを生成したシステムの名称だろう。オラクル財団。……ただの怪しいNPO法人じゃない。高度なAI技術を持った、プロの詐欺集団だ」


 阿部は吐き捨てるように言った。

 他人の生きた証であるデータを盗み、それを切り刻んで偽物の人格を作り上げる。それはデジタル遺品整理士である阿部にとって、最も許しがたい死者への冒涜だった。


「……悪徳弁護士と、詐欺集団。とんだクソ野郎どもね」


 その時、地下室のドアが勢いよく開かれた。

 カツカツと高いヒールを鳴らして入ってきたのは、顧問弁護士の藤田涼子だ。

 彼女はハイブランドのジャケットを翻し、サングラスを外して不敵に笑った。


「エミリーから連絡を受けて飛んできたわ。……法廷の魔女の出番でしょ?」

「遅いぞ、藤田」

「うるさいわね。これでも急いだのよ。……それで? 証拠は揃ってるんでしょうね?」

「完璧だ。動画の偽造を証明する解析データと、不正アクセスのログがある」


 阿部がデータをUSBメモリに移して手渡すと、涼子はそれをまるで名刀のように掲げた。


「上出来よ。……麻衣さん、でしたね」


 涼子は麻衣さんの前に立ち、自信に満ちた笑顔を向けた。


「安心しなさい。貴女のお父様の財産も、名誉も、私が一ミリ残らず取り返してあげるわ。……今すぐ、相手の弁護士事務所にビデオ通話をかけるわよ。阿部、回線を繋ぎなさい」


 阿部が手早くセッティングを行い、相手の事務所の代表番号へビデオ通話を発信する。

 何度かの呼び出し音の後、秘書らしき女性が応対した。涼子が「藤堂氏の遺言に関する、極めて重大な法的通知よ。今すぐ先生に代わりなさい」と凄むと、ほどなくして画面が切り替わり、麻衣さんにあの動画を見せたという中年の弁護士が、渋々といった様子で画面の前に座った。


『……藤田先生。突然の通信、何の御用でしょうか。私は藤堂氏の正当な遺言執行人として……』

「寝言は寝て言いなさい、三流」


 涼子のマシンガントークが、開幕から火を噴いた。


「貴方が提示した藤堂氏の動画遺言、当方のデジタルフォレンジック調査により、最新のAIを用いた『ディープフェイク』であることが完全に証明されたわ。生成アルゴリズムの解析結果と、不正アクセスの証拠ログは、今そちらにメールで送信したわ」

『なっ……!? ディ、ディープフェイクだと!? そんな馬鹿な……』

「とぼけないで。偽造私文書行使、および詐欺未遂。さらに不正アクセス禁止法違反の教唆。……それに、オラクル財団から貴方の裏口座に、多額の『コンサル料』が振り込まれている証拠も押さえてあるわよ」

『っ……!?』


 画面の向こうの弁護士は、決定的な証拠を突きつけられ、みるみるうちに顔面を蒼白にさせた。

 涼子の目は、獲物を逃さない鷹のように鋭い。


「今すぐ、オラクル財団への寄付の手続きを撤回し、麻衣さんへの正当な遺産相続を認めなさい。さもなければ、弁護士会に懲戒請求を出した上で、警察に刑事告発するわよ。貴方の弁護士バッジ、へし折ってあげる」

『わ、分かった……! 手続きは全て取り消す! だから告発だけは……!』


 完全勝利だった。

 涼子は「賢明な判断ね」と冷たく言い捨て、通信を強制的に切断した。


「……終わったわ。遺産は全て、正当な相続人である貴女のものよ」


 涼子が振り返ると、麻衣さんはソファに崩れ落ちるようにして、両手で顔を覆っていた。


「よかった……。本当によかった……」


 麻衣さんの肩が激しく震え、大粒の涙が溢れ出した。

 それは、財産を取り戻した安堵の涙ではない。


「父が……私を捨てたんじゃなかった。あんな冷たい言葉、父の本心じゃなかった……。それが、何よりも嬉しいです……っ」


 自分を愛してくれていたはずの父が、最期に自分を拒絶したという絶望。

 その偽りの呪縛から解放された、魂の救済の涙だった。

 私はそっと麻衣さんの背中を撫でた。チビも、心配そうに彼女の足元で「ミャー」と鳴いている。


「……麻衣さん。もう一つ、見てもらいたいものがある」


 阿部が静かに声をかけた。

 モニターには、先ほどの偽造動画ではなく、別の動画ファイルが表示されていた。


「お父さんのクラウドの奥深くに、未送信のまま残されていた動画ファイルだ。……作成日時は、お父さんが亡くなる二日前。おそらく、これが『本物』だ」


 阿部が再生ボタンを押す。

 画面に映し出されたのは、自宅の書斎の椅子に座る、初老の男性の姿だった。

 ディープフェイクの動画のような、不自然なほど滑らかな動きや、冷たい無表情ではない。

 彼は胸を強く押さえ、苦しそうに息をしながらも、カメラを見つめる目には、確かな温もりがあった。心不全の発作が起きる直前に、最後の力を振り絞って撮影したものに違いない。


『……麻衣。これを、お前が見ているということは……私はもう、ダメだったということだろう』


 かすれた、本物の肉声が響く。


『今まで、厳しくしてすまなかった。お前の結婚資金、少しだが残してある。……好きなように使いなさい』


 お父さんは、痛みを堪えるように目を細め、そして、不器用に微笑んだ。


『お前が幸せになることだけが……私の、たった一つの願いだ。……元気でな。愛しているよ』


 動画は、そこでプツンと切れた。その直後に彼が倒れたことを暗示するように。

 短く、飾らない、本物の愛情。

 麻衣さんはモニターにすがりつくようにして、声を上げて泣き崩れた。


「お父さん……! お父さん……っ!」


 偽物の冷たい言葉は消え去り、本物の温かい愛だけが、デジタルデータを通して娘の心に届いたのだ。


★★★★★★★★★★★


 麻衣さんが何度も深く頭を下げて帰っていった後。

 地下室の空気は、事件を解決したというのに、どこか重く沈んでいた。


「……オラクル財団」


 阿部が、モニターに残されたその文字列を忌々しげに睨みつけた。


「クニの推測通り、ただのNPOじゃないわ。裏付けが取れた」


 エミリーが自分のPCを操作しながら言った。


「『永遠の記憶』とか『肉体を捨てた魂の救済』とかいうキャッチコピーを掲げて、死への恐怖に漬け込んでいるわ。資産家や、大切な人を亡くした遺族から、莫大な寄付金を集めている新興のITカルトみたい」

「……死者のデータを勝手に盗み出し、AIで都合のいい人格をでっち上げて、生者を洗脳する。吐き気がするほど悪趣味だな」


 阿部が拳を握りしめる。


「ファントムのような、力で国民を支配する国家の闇とは違う。……こいつらは、もっとタチの悪い、人間の『心』の隙間につけ込む新興のITカルトだ」


 阿部の瞳に、冷たい怒りの炎が宿っていた。

 国家の監視システムを破壊した私たちだが、テクノロジーの進化は止まらない。

 死者のデータを弄り、生者を欺く新たな敵が、すでに暗躍を始めているのだ。


「……気をつけてね、みんな。奴らはきっと、また私たちの前に現れるわ」


 涼子がサングラスをかけ直し、静かに警告した。


 パンドラの箱は、まだ完全に閉じられたわけではない。

 春の深まる神保町の地下室で、私たちは、新たな戦いの気配を肌で感じていた。

 それでも、私たちは逃げない。

 死者の本当の想いを守るために、私たちは戦い続けるのだ。



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