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死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~  作者: 伊達ジン
第二章:黒い履歴と白い嘘

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第46話 最後の依頼人(中編)〜残された暗号〜

 冬の冷たい雨が、銀座のネオンを滲ませていた。

 並木通りに面した、隠れ家的な高級ワインバー。仄暗い間接照明に照らされたマホガニーのカウンターで、不釣り合いな男女がグラスを傾けている。


「……で? わざわざ俺をこんな所に呼び出して、何の用だ」


 所長の阿部邦彦が、不機嫌そうにロックグラスの氷を揺らした。

 隣に座るのは、弁護士の藤田涼子だ。彼女は漆黒のベルベットのドレスを身に纏い、ボルドーの赤ワインを優雅に味わっている。


「デートよ。たまには、むさ苦しい地下室から出て、大人の時間を楽しみなさいな」

「……スーツを着せられた時点で嫌な予感はしていたがな」


 阿部は窮屈そうに首元を緩めた。

 涼子はふふっと笑い、グラスを置いた。


「まあ、半分はデートで、半分は仕事の話よ。……昨日、新しい依頼人が来たそうね。結城っていう、余命宣告を受けた青年」

「……お前、うちの事務所に盗聴器でも仕掛けてるのか?」

「大家さんから聞いたのよ。『阿部くんがまた、面倒な爆弾を抱え込んだみたいだ』ってね。……依頼内容は、『デッドマンズ・スイッチによる死後削除』ね?」

「そうだ」


 阿部は短く答えた。


「法的には有効な生前契約だ。俺のサーバーから毎日生存確認のアラートを送り、3日間応答がなければ、指定されたクラウド上のデータを不可逆的に消去する。弁護士の出番はないぞ」

「ええ、契約自体に問題はないわ。……問題なのは、貴方がそれに『納得していない』ことよ」


 涼子の鋭い視線が、阿部を射抜く。


「……」

「天才ハッカーの貴方が、ただの事務作業で終わる依頼に、妙な執着を見せている。……そのデータ、本当にただの『ゴミ』なの?」

「……ただのゴミなら、自分で消せばいい。わざわざ他人に『PCごと託して死後削除を依頼する』なんて、論理的に破綻している。未練がある証拠だ。あいつは、誰かに見つけてほしがっている」


 阿部は残りのウイスキーを飲み干した。


「俺はデータ屋だ。依頼人の望み通り、データは消す。……だが、その前に『中身』を確かめる権利はある」

「そう来なくちゃね」


 涼子は満足そうに微笑み、チェックを呼んだ。

 外に出ると、雨は雪に変わりそうなくらい冷たかった。涼子が阿部の腕にスッと腕を絡ませてくる。


「……おい、何してる」

「寒いから温めてるのよ。……さあ、帰りましょ。パンドラの箱を開けにね」


★★★★★★★★★★★


 神保町の地下、『デジタル・アーカイブス社』。

 事務所に戻ると、重苦しい空気が漂っていた。

 私は、青ざめた顔で阿部さんと涼子さんを迎えた。


「所長! 結城さんから……今日のアラートの応答がありません!」

「なんだと?」

「数時間前に容態が急変して、救急搬送されたそうです。……今、ICU(集中治療室)に入っていて、意識が戻らないと……」


 私は震える声で報告した。

 結城さんが設定したデッドマンズ・スイッチの猶予は『3日間』。

 今日で1回目の無応答だ。彼がこのまま意識を取り戻さなければ、あと2日でプログラムは自動的に作動し、彼の遺したデータは永遠に消滅してしまう。


「……時間が早まったな」


 阿部は即座に自分のデスクに向かい、結城さんから預かったノートPCを起動した。

 そして、クラウド上にある対象データ――未完成のインディーズゲームのファイル一式を、ローカル環境に展開した。


「石川、コーヒーだ。……カナダ、小川。手伝え」

「Copy that!」

「ん、りょーかい」


 エミリーとみずほが、それぞれのPCを開いて阿部の左右に陣取った。

 阿部がゲームの実行ファイルを起動する。


 モニターに、懐かしいドット絵のグラフィックが表示された。

 タイトルは『クロノス・ソナタ』。

 それは、時間を操る力を持った少年と、剣士の相棒が、滅びゆく世界を救うために旅をするという、王道のファンタジーRPGだった。


「……プレイを開始する」


 阿部がキーボードの矢印キーでキャラクターを動かし始める。

 素人の作った「失敗作」だと結城さんは言っていた。

 しかし、画面の中で動くキャラクターの滑らかなアニメーション、緻密に描き込まれた背景のドット絵、そして、みずほが「すごくいい」と絶賛した、切なくも美しいBGM。

 どこからどう見ても、途方もない熱量と才能が注ぎ込まれた傑作の予感がした。


 物語は、少年と剣士の友情を中心に進んでいく。

 二人の掛け合いはユーモアに溢れ、時に熱く、プレイヤーを引き込んでいく。

 阿部は驚異的なスピードでゲームを進めていった。無駄な戦闘は避け、最短ルートでシナリオを追う。


「……良くできてるわね。でも、確かに未完成だわ」


 エミリーが、横でソースコードを解析しながら言った。


「後半のマップデータがスッカスカだし、敵のパラメータも調整されてない。……それに、ラストダンジョンらしき場所に入ろうとすると、エラーで強制終了する仕様になってる」

「……あいつが、病気で倒れて作れなくなった部分か」


 阿部が呟く。

 プレイ時間はすでに数時間を超えていた。


「クニ、ちょっと待って」


 エミリーが突然、阿部の手を止めた。

 彼女のモニターには、膨大なプログラムの文字列が緑色に光っている。


「……不自然なモジュールがあるわ。メインのゲームの実行ルートからは完全に切り離された、孤立したコードブロック。……これ、『隠しステージ』よ」

「隠しステージ?」

「ええ。通常のプレイじゃ絶対に入れない。特定のフラグを、あり得ない順番で立てないと出現しないようになってる。……パスワードがかけられた暗号領域ね」


 エミリーの言葉に、阿部の目がハッカーのそれに変わった。

 結城さんは、この「見られたくない失敗作」の中に、さらに「厳重に隠した部屋」を作っていたのだ。


「……開けられるか?」

「暗号化のアルゴリズムは単純よ。でも、パスワードは英数字じゃない。……ゲーム内の『特定のアイテム』を、『特定の場所』に捨てることでフラグが立つ仕組みね。一種の謎解きよ」

「謎解き……」


 その時。

 ドスドスという足音と共に、大家の後藤かほりさんが降りてきた。


「騒がしいわね。ゲーム大会?」

「大家。ちょうどいいところに来た」


 阿部はモニターをかほりさんに向けた。

 画面には、エミリーが抽出した「隠しフラグのヒント」と思われるテキストデータが表示されている。


『時は戻らない。砕けた時計は、始まりの場所へ。沈黙の刃は、友の背中に』


「……この暗号の意味、分かるか?」

「ゲームのシナリオの話? 私、ピコピコ動く電子音は苦手なのよ」

「文学的なメタファーだ。あんたの専門分野だろ」


 かほりさんは眼鏡の位置を直し、画面のテキストと、阿部がプレイしていたゲームの設定資料に目を通した。


「……なるほどね。これは、主人公の少年と、相棒の剣士の関係性を暗喩しているわ」

「関係性?」

「このゲーム、未完成になる直前のシナリオで、主人公と剣士が『世界を救う方法』を巡って対立してるわよね。……これ、現実の結城くんと、喧嘩別れしたっていう共同制作者の『親友』の姿を投影しているんじゃない?」


 かほりさんの指摘に、私たちはハッとした。


「『砕けた時計』は、二人が過ごした過去の時間。それを『始まりの場所』……ゲームのスタート地点である『故郷の村の木の下』に置く」

「『沈黙の刃』は?」

「相棒の剣士の武器よ。それを『友の背中』に……つまり、装備を外して、主人公のアイテム欄から捨てる。……『もう君の剣は必要ない』という決別の意味ね」


 悲しすぎる暗号の答えだった。

 阿部は無言でゲームを操作し、かほりさんの推理通りにアイテムを配置・破棄した。

 

 その瞬間。

 エラー音が鳴り、画面が暗転した。

 そして、真っ暗な画面の中に、ぽつんと主人公のドット絵だけが表示された。

 隠しステージだ。

 BGMはない。ただ、テキストウィンドウだけが静かに開いた。


『……ごめん。最後まで一緒に走れなくて』


 それは、ゲームのキャラクターのセリフではなかった。

 結城さんから、かつての親友に向けた、生のメッセージだった。


『お前とゲームを作っていた時間は、俺の人生で一番楽しかった。

 俺が病気になった時、お前は「俺が何とかする」って言ってくれたけど。

 俺は、お前の才能に嫉妬してたんだと思う。

 だから、ひどい言葉をぶつけて、お前を追い出した』


 テキストが、一文字ずつゆっくりと表示されていく。


『本当は、二人で完成させたかった。

 でも、俺にはもう時間がない。

 このゲームは、お前との思い出の墓標だ。

 だから、俺の死と一緒に、完全に消し去ることにした』

『……ありがとう。そして、ごめんな』


 メッセージはそこで終わっていた。

 地下室に、重い沈黙が落ちた。


「……なんて悲しい暗号なの」


 涼子が、ポツリと呟いた。

 結城さんは、このゲームを「恥ずかしい失敗作」だと言っていた。

 でも違った。

 これは、親友との楽しかった日々の結晶であり、同時に、自分の嫉妬と後悔の象徴だったのだ。


「……所長」


 私は、たまらず立ち上がった。


「私、病院に行ってきます」

「……」

「結城さんに会って、直接聞きたいんです。この想いを、本当に消してしまっていいのか。……このままじゃ、結城さんも、残された親友の方も、あんまりです」

「……意識が戻っている保証はないぞ」

「それでも、行きます。……行ってきます!」


 私はジャケットを掴み、事務所を飛び出した。

 冷たい雨が、頬を打つ。

 私はタクシーを拾い、結城さんが搬送された大学病院へと向かった。


 ICUの前の廊下は、無機質で冷たかった。

 私はナースステーションで身分を明かし、なんとか面会の許可を得た。


「……結城さん」


 無菌室のような個室。

 いくつもの管に繋がれ、人工呼吸器の音だけが響く部屋で、結城さんは静かに眠っていた。

 事務所に来た時よりも、さらに痩せ細り、まるで枯れ木のように小さくなっている。


「結城さん……。私です。デジタル・アーカイブス社の、石川です」


 私はベッドの脇に立ち、そっと声をかけた。

 返事はない。

 でも、心電図のモニターが、微かに波を打っている。


「……結城さん。私たち、見つけました。ゲームの中に隠されていた、暗号のメッセージ」


 その言葉を出した瞬間、結城さんの指先がピクリと動いた。

 そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと、彼の目が開いた。

 焦点の合わない目で、私を見る。


「……あ……」

「無理に喋らないでください。……結城さん、どうして消してほしいなんて、嘘をついたんですか?」


 私は、溢れそうになる涙を堪えながら尋ねた。


「親友の方に、あのメッセージを読んでもらいたかったんじゃないんですか? 本当は、ゲームを完成させて、一緒に喜びたかったんじゃないんですか?」

「……」


 結城さんは、酸素マスクの奥で、微かに首を横に振った。

 そして、掠れた、消え入りそうな声で呟いた。


「……見られたく、なかったんです……」

「え……?」

「完成させられなかった……中途半端な、僕を……。あいつは、天才だから……きっと、僕のコードを見たら、ガッカリする……」


 結城さんの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「それに……もし、これを見せたら……あいつはきっと、僕の死に縛られてしまう……。僕のせいで、あいつの未来が……過去に縛られるのは、嫌なんだ……」


 それが、彼の本当の望みだった。

 自分の不甲斐なさを恥じ、そして何より、残される親友の未来を想うからこその「消去」。

 自分の死という呪縛を、親友に残さないための、彼なりの不器用な愛。


「……だから、消してください……。僕が、死んだら……全部……」


 結城さんはそう言い残し、再び目を閉じた。

 心電図の音が、規則的に、しかし弱々しく響き続ける。

 私は、結城さんの冷たい手を両手で包み込み、ただ泣くことしかできなかった。


 神保町の事務所に戻った時、私は完全に打ちのめされていた。

 結城さんの想いは、痛いほど分かった。

 彼がデータを消したいという理由は、決して後ろ向きなものではなかった。

 相手を想うからこその決断だったのだ。


「……そうか。相手を縛りたくない、か」


 私の報告を聞いた阿部は、深く椅子に背中を預け、腕を組んだ。


「依頼は『死後削除』だ。俺たちはデータ屋だ。依頼人の真意がどうあれ、契約は絶対だ」

「そんな……! じゃあ、あのゲームも、メッセージも、全部消えちゃうんですか!?」

「ああ。猶予はあと2日だ」


 阿部は冷徹に言い放った。


「俺のサーバーからのアラートに3日間応答がなければ、消去スクリプトが自動実行される。それが俺たちが請け負った契約だからな」

「……」


 私は唇を噛み締めた。

 それがルールだ。私たちが請け負った仕事だ。でも、あまりにも悲しすぎる。


「……だがな」


 阿部が、突然目を開いた。

 その瞳には、かつて見たことのない、熱い炎が揺らめいていた。


「俺たちが契約したのは、『指定されたクラウド上のデータを消去する』ことだ」

「えっ?」

「俺のローカルサーバーに展開した、この『未完成のゲームデータ』の処分については、何の契約も結んでいない」


 阿部がキーボードに手を置いた。


「結城は言ったんだな。『完成させられなかった中途半端な自分を見られたくない』と」

「は、はい……」

「なら、話は簡単だ」


 阿部はニヤリと笑い、エミリーとみずほを見た。


「このゲームを、俺たちの手で『完成』させる。……そして、本来届けるべき相手に、最高の形で届けてやる」

「……!!」


 阿部の言葉に、地下室の空気が一気に爆発した。


「Wow! 最高にクールな規約違反ね!」

「やってやろうじゃん! 音の仕上げは私に任せて!」

「法的リスクは私が全て引き受けるわ。……徹底的にやりなさい」


 エミリーが歓声を上げ、みずほがヘッドホンを装着し、涼子が腕まくりをする。

 最強のチームが、一人の青年の遺言を「アップデート」するために動き出した。


「石川! 結城が言っていた『親友』とやらを洗い出せ! 必ず連れてこい!」

「はいっ!!」


 私は、涙を拭って立ち上がった。

 ただ消すだけじゃない。

 死者の遺した想いを、生者の未来へと繋ぐ。

 それが、デジタル・アーカイブス社の、本当の「整理」なのだ。


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