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偽装工作

聖堂での儀式を終えた後、公爵家の馬車はまるで「巨額の負債を押し付けられた財務大臣」のような顔で眉間を押さえている主人と、そんな父から不自然に目をそらす末息子、輝かんばかりに明るい笑顔でキャッキャする女性陣を乗せて邸宅へと戻った。


儀式を終え、さぞ安心した表情で帰ってくるだろうと予想していた使用人たちは、それらを裏切る様子でエントランスホールの扉をくぐる主人たちに困惑の表情を浮かべている。


彼等の先頭になって出迎えたヘンリーは、明らかにおかしい主人たちの様子に、代表して父に声をかける。


「お帰りなさいませ、皆様。アルベリック様の祝福の儀はつつがなく終わりましたか?」

「ただいま、爺。無事に終わったよ」

「それはようございました。して、旦那様はいかがなさったのです?奥様は随分とお喜びのようですが」

「えぇっと、色々あって……」


俺の曖昧な返答に首を傾げるヘンリー。だが、事が事なだけに、ここでは大っぴらに言えない。


「ヘンリーとマリア、レーナは執務室へ。アルベリックとヴァレリーも私と共に来なさい。ソレーヌは部屋に戻っていなさい。今日あったことはまだ誰にも言ってはならんぞ」

「はい。かしこまりました、お父様」

「姉様、今日はありがとうございました。お気をつけてお戻りください」

「えぇ」

「ヴァルトは執務室にいるか?」

「はい」


「そうか」と頷く父の顔は未だに浮かないが、出迎えた使用人たちに仕事に戻るよう指示を出す。彼らは一礼して持ち場に戻っていき、ソレーヌ姉様も近くにいたメイドを伴い、その場を後にした。


俺は母上に手を引かれ、二階へと続く大階段を上っていく。 上り慣れた階段が、いつもより少しだけ長く感じられた。


「おかえりなさい、奥様、アル坊ちゃん。祝福の儀は無事に終わりましたか?」

「ただいま、ヴァルト」


執務室に入ると、父上の秘書で、グレンチェライヒの代官であるヴァルト・フォン・ダラーニが出迎えた。ヴァルトは南部貴族 ダラーニ伯爵家当主の次男であり、父の幼なじみである。明るいオレンジ色の髪に、茶色の瞳をした爽やかなイケメンであり、父が秘書にするくらいだからかなり有能。代官に任じられた際に男爵に叙されている。私生活でも、2人の息子の父親だ。


ヴァルトは俺と母上だけでなく、ヘンリーたち3人まで入ってきたことに首を傾げた。


「なにかありました?」

「ヴァルト、お前も聞いておけ」


父上はそういいながら部屋に鍵をかけ、母上が防音の為に水魔法で膜を張る。そういう使い方もあるのか。


「お前達、これから話すことはしばらくの間、他言無用だ。いいな?」

「かしこまりました、旦那様」


父上は椅子に深く腰掛けた後、ため息をついて、彼らを見据えた。


「先程、無事にアルベリックの祝福の儀を終えることができた。その際、アルベリックは神印を授かった」

「誠でございますか!?おめでとうございます、アルベリック様!」

「なんとおめでたいことでしょう!」

「ソレーヌお嬢様に続いて、アル坊ちゃんまで。おめでたいことですね」

「お喜び申し上げます。して、どのような神印を授かったのですか?」


剣だろうか、魔法に関する精霊ではと、ニコニコで話す4人に対し、所謂ゲンドウポーズをしている父の顔が段々と下を向いていく。


その声は低く、そして重苦しく響いた。


「アルベリックが授かった神印は【ヴァエルター】。


【アルベリック・ヴァエルター・フォン・グレンチェライヒ】


創造主であり、光と秩序を司る最高神。我らが父 アウラ・テロスより神印を授かった」


一瞬にして沈黙が走る。


「……創造主様、から……?」

「つまり……しょ、初代皇帝陛下と同じ、ということ、ですか……?」


さっきまで弾んでいたマリアとレーナの言葉が、凍りついたかのように止まった。セバスは、主人のために用意していた茶器を持つ手がわずかに震え、カチャカチャと小さな音を立てている。これまで様々な修羅場をくぐり抜けてきたヴァルトですら、キャパを超えたように固まった。


帝国の人間にとって、初代皇帝は神に近い伝説の存在。その方が授かった神印が、いま目の前でちょこんとソファに座っている「四男坊」に刻まれたという事実。それは、「おめでたい」という言葉では済まされないことを意味していた。


「エルヴァン……それは……」


ヴァルトが震えた声で口を開く。


「それが知られれば、陛下は、この国はアル坊ちゃんを放っておかないぞ」

「あぁ。神印を授かった者の詳細は必ず陛下に報告しなければならない。アルベリックがヴァエルターの神印を授かったことはいずれ国中に広まるだろう」

「なら、」

「だからこそ、我が家の特権を使うことにした」

「特権?………ッ!」


ヴァルトは気づいたように、ハッとした顔をする。父上はそうだと言うように、ニヤっと笑いながら頷いた。


「我がグレンチェライヒの祖先が初代皇帝陛下と交わした、一族独自の裁定や法に関する不干渉を約束させる誓約。これを使う。アルが成人、せめて自ら選択して生きる道を選べるようになるまで、この誓約書を盾にこの子の自由を守る」

「なるほど。グレンチェライヒだからこそできることですね」

「ですが、本当に大丈夫でしょうか?いくらグレンチェライヒとはいえ、もし陛下が軍を差し向けて来るようなことになったら」


リーナは暗い表情をしながら、縋るように俺を見た。その瞳には怯えではなく、純粋に俺を心配する様子が感じられた。


父上もそれがわかっているのか、安心させるように大きくうなづいて笑う。


「リーナの不安は最もだ。しかし、陛下はこの巨大な帝国を統治するにふさわしい器の持ち主だ。グランチェライヒが建国以来、一度も牙を剥かず『守り刀』であり続けた理由を誰よりもよく理解しておられる。私が真実を奏上すれば、陛下はこの子を国の道具とするのではなく、帝国の安寧を守る一柱としてどう扱うべきか、共に考えてくださるだろう」


父上の言葉を聞いて、皆の力が抜ける。俺も少しだけ肩の荷が下りるのを感じた。


外交官時代、「話のわかる、賢明な交渉相手」に巡り会うことは幸運なことだった。人の欲というのは底知れない。もし皇帝が野心まみれの愚者なら、俺は今すぐ逃亡計画を立てる必要があったが、どうやらその心配はなさそうだ。


「どの道、近いうちに広まることだ。しかし、それまでの間、余計な混乱とアルベリックの負担を避けるため、皆には黙っていてほしい」

「かしこまりました」

「は、はい……! 私の命に代えましても、アルベリック様をお守りいたします……!」


恭しく頭を下げるヘンリーとマリア、顔を青くしながらも固く決意をしたように何度も頷くリーナ。そんなリーナの様子に、俺は思わず首が取れるんじゃないかと心配になった。


「リーナ、そんなに怖い顔をしなくても大丈夫だよ」

「アルベリック様……」


レーナの瞳に、少しだけ落ち着きと、そして俺への過保護な決意が宿った。どうにかまとまりそうな雰囲気に、ヴァルトも少し肩の力を抜いた様子で口を開く。


「アル坊ちゃん、昔から聡明な方だと思ってましたけど、まさか創造主様から神印を授かるなんて、さすがに予想外でした」

「俺の息子だからな」

「どちらかといえば、ヴァレリー奥様似ですよ」

「そうね。アルはわたくし似だわ」

「いや、俺似だ」

「どう見ても奥様似だ。鏡見てこい」

「なんだと!」


その掛け合いをヘンリーたちもようやく落ち着いた様子で眺めている。そんな軽口が叩けるくらいには皆、さっきの重い雰囲気から解放されたのだろう。


マリアがその様子を横目に新たな紅茶を入れて、冷めてしまったものと交換してくれる。


「ありがとう、マリア」

「いえ、とんでもございません。今、お菓子もお持ちいたします」

「うん」

「アルベリック様、お披露目会に出席される方々の名簿をお部屋にご用意しております。それと、衣装も先程、お部屋にお届けいたしました」

「わかった。ありがとう、爺」


爺は微笑むと、俺に合わせて倒していた上体を起こして、未だに子供じみた掛け合いをしている父上に視線を向ける。


「旦那様。3日後のお披露目会ですが、何か対策が必要かと」


ヘンリーのその一言で、また執務室の気温が下がった。


当初の予定では、四男である俺のお披露目会は「将来的に家を出る末息子の顔見せ」程度の、比較的穏やかな場になるはずだった。だが、今の俺は「最高神の加護を受けた爆弾」だ。


「……3日後、か」


父上が再び眉間を押さえる。


「本来なら、神印授与の報告を皆の前で大々的に祝う場とすべきだが……創造神様となると話は別だ。対策せずにそのままアルを招待客たちの前に晒せば、紛れ込んでいるであろう各勢力の犬どもが、一斉に帝都や他国へ早馬を飛ばすだろう。それは避けたい」


せめて、陛下の口から正式にそれを認める旨を伝えて貰ってからでないと。そんな気持ちがひしひしと伝わってくる。


「だが、神印は加護だ。隠すこと自体、不敬と見なされる行為。神印を与えてくださった存在の不興を買えば、最悪、神印をなかったことにされるぞ」

「わかってる。だが、ありのままは伝えられん」


頭が痛いと言わんばかりに、顔を顰める父上。すいません、父上。すべての責任はあのクソジジイにあります。


だが、父上だけを悩ませるわけにはいかない。俺自身の将来がかかってる事だ。


(神印はミドルネームとして与えられるから、言わなきゃ詳細まではバレない。だが、印はどうする?能力を発動させなければ紋章は出てこないみたいだけど、万が一発動してしまったら、すぐバレる。左目なんて、「さあ、見てくれ」と言わんばかりのバレバレの場所だ。眼帯でもするか?いや、余計怪しい。魔法で隠す方が怪しまれないか。だが、探りを入れるものは絶対にいる。カモフラージュが必要だ)


カモフラージュ。それで思い出した、あの指輪の存在。あれほど分かりやすく、目に見えて注目を集めるものはない。


「父上。僕が持っているあの指輪を覚えていますか?」

「あぁ、もちろん。あれはお前が生まれた時に作ったものだからな」


色々と違うが、そこはスルーして、俺は少しいたずらっぽく微笑んだ。


「お披露目会に来る人たちのほとんどは、僕があの指輪を生まれて直ぐに作り上げたことを噂として知っています。それを使わない手はありません。みんなの関心を『伝説の神印』という見えない真実から、『生まれて直ぐに指輪を作り上げた、魔法の才がある子供』という目の前に見える形の分かりやすい事実へ逸らすんです」


政治や外交の戦略の一つとして『デッド・キャット・ストラテジー』というものがある。日本語にすれば『死んだ猫戦略』。イギリスの政治戦略家が提唱したとされる手法だが、簡単に説明すると「議論が自分にとって不利な方向へと進んでいるとき、机の上に死んだ猫を放り出せば、誰もが目の前の猫の話を始め、先程まで話していた議論についての話をしなくなる」というもの。


ようは、大きな真実を隠すには、小さな、しかし衝撃的な事実をぶつけるのが一番ということだ。


「なるほど……誰もが納得しやすい『神童』を演じるというわけか」


父上の目に、わずかに感心の色が混じる。5歳の子供が提案するようなことではないが、今の父上にとっては、この「周囲よりちょっと賢い息子」の提案こそが唯一の希望に見えていることだろう。


「旦那様。アルベリック様は5歳になったばかり。家庭教師から本格的に指導いただいておりませんのに、魔法を使って大丈夫でしょうか?」

「それは……」

「マリア、僕なら大丈夫だよ」


魔法の訓練(極秘)なら既に行っている。制御すれば問題ない。


「この指輪みたいに、小さな物なら問題なく作れるから」


俺が自信満々にそういうと、マリアは少し不安そうな顔をしながらも「そう、おっしゃるのでしたら……」と引き下がった。


父上も母上も、俺が魔法の練習をしていたことを薄々勘付いたようで、そこに関しては何も言わなかった。


「ヘンリー、マリア、レーナ。聞いたな。お披露目会当日、アルベリックは『魔法の神童』として振る舞う。神印については、誰に何を聞かれても『アルベリックは神印を授かったが、詳細は当主夫妻以外知らない』で通せ。間違っても口外するな。ヴァルトは招待リストを再度精査しろ。特に、シャルツベルク侯爵家の手の者が紛れ込んでいないか、徹底的に洗い直せ」

「「「「かしこまりました!」」」」


彼らが一斉に動き出す。 嵐の前の静けさ──いや、嵐の真っ只中で、俺たちは隠蔽工作の準備に入った。


(まさか、あの指輪をこんな偽装工作に使う羽目になるとはな)


俺は苦笑しながら、マリアが持ってきてくれたお菓子を口に運び、お披露目会のシナリオを考え始めた。





部屋に戻ると、小箱から鍵を取り出し、机の上から二段目の鍵がかかった引き出しを開ける。


そこには、あの時クソジジイから渡された、茉莉花に渡そうと思っていた指輪が、今も変わらず輝きを放ったまま保管されている。


それを手に取って、ベットに寝転がる。


俺は生まれた時、この指輪を握って生まれてきた。クソジジイが何かしたんだろうが、とにかく金属や宝石を産着の中で作り上げたと思われているため、魔法を習っていないうちからこんな精巧な物を作れるなんてと、昔から期待されてきた。


金属や宝石を作れたという点に関しては、父上が土魔法を使えるので、不思議には思われなかったらしい。


(いやいや、魔法の使い方も知らない産まれたばかりの赤ん坊がこんな綺麗な指輪を作れるなんておかしいだろ!!もっと不思議に思え!!疑え!!)


その話をする彼らの話を聞きながら、思わず突っ込んでしまったのは記憶に新しい。赤ん坊だったので「あうっ!」という情けない声しか出なかったが。


結果として、握りしめた指輪を大切に持っている姿が「自分の魔法で作り出した宝物を大事にしている」という愛らしいエピソードとして、何度も何度も母上やリーナから聞かされる羽目になった。


「茉莉花、なんか大変なことになってきたよ。神童なんて柄じゃないんだ。あのクソジジイ、1発殴ってもいいと思わないか?」


指輪に向かって独り言を呟く。「危ないことはしないでね」という声が聞こえたのは、きっと気のせいだろう。


外を見ると、雲ひとつない夜空に美しい満月が浮かんでいる。


「月は同じなのにな」


日本の空に浮かんでいた月と何ひとつとして変わらない。でも、違う世界なのだ。そして、今の自分もまた、中身が同じなだけの違う人間なのだ。


「会いたいな……」


俺は両手で指輪を握りしめながら、目を閉じた。



(あれ、そういえば父上、さっきあのクソジジイのことを「光と秩序の神」って言ってなかったか?)


思い出すのは、呂律も回らずにケラケラ笑いながら、俺を穴に落とした忌々しいジジイの真っ赤な顔。



「………………あいつのどこが『光』で『秩序』だよっ!!」

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