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公爵の鳥

「帰る前に、一つ伺ってもよろしいですか」


 ルクシオンの声に、ライコは包帯から目を上げた。


「大会の間、何か妨害を受けませんでしたか。試合の外でも、構いません」


「試合の外……あ、夜に襲われた」


 ドルグの顔から、笑みが消えた。


「襲われた?」


「うん。アルヴァンさんと戦う前の夜。帰り道で、三人に」


「おい、なんで今まで言わなかった!」


 太い声が、部屋に響いた。ライコは肩をすくめる。


「みんな逃げていったから。傷も、ちょっとだったし……」


「傷まで受けたのか」


 バスティオンが、すぐにそばへ来た。右手の包帯を見た彼に、ライコは首を振る。


「手じゃないよ。腿(もも)のところ。短剣が少しかすっただけ」


「少しでも、言えよ」


 バスティオンの声は低かった。


 ルクシオンが問いを重ねた。


「その後、身体に変わったことはありませんでしたか」


「次の日、剣が少し使いにくくて。昨日の決勝では、手も足も痺(しび)れて……まだ、ちょっと残ってる」


 キティが眉を寄せた。


「今もか?」


「うん。でも、動くよ」


 ライコが左手を開いてみせる。指は動いた。けれど、伸ばしきったはずの指先に、まだ鈍い感覚が残る。


「動くから大丈夫って話じゃねえだろうが」


 ドルグは言い、そばの椅子を引いた。


「まず座れ」


 ライコが腰を下ろすと、ラーヴァニルも近づいてきた。いつもの笑い声はなく、少年の左手を見ている。


 さっきまで、大隊長になったことを喜んでくれていた顔が、皆、険しくなっていた。


「……ごめん。こんなに心配すると思わなくて」


「するに決まってんだろ」


 ドルグが即座に返した。


 ライコは口を閉じた。ドルグは怒りながらも、ずっとこちらの手を見ていた。


「刃に毒が塗られていた可能性があります」


 ルクシオンの言葉に、ライコは顔を上げた。


「毒?」


「傷は浅くても、痺(しび)れが続いているなら放っておけません。医者をよこします。それまでは、ここで休んでいてください」


「……うん」


 今度は、大丈夫だと言わなかった。


 ルクシオンが部屋を出ると、ドルグはライコの前に腰を下ろした。


「医者が来たら、今の話を全部するんだぞ」


「うん」


「次からは、俺たちにもな」


 ライコは仲間を見回し、小さく頷(うなず)いた。


     ◇


 数日後、ルクシオンのもとへ、調査を任せた部下が戻った。


 襲撃を依頼したのは、第二王妃の派閥に属する貴族だった。


「アルヴァン殿に勝たせるため、ということか」


「はい。それに、平民の少年が勝ち進むこと自体、気に入らなかったようです」


 ルクシオンは黙って続きを待った。


「医師からの報告も。やはり、毒だったと」


「どの程度のものだ」


「普通なら動けなくなり、悪ければ命を落としていてもおかしくない、と。かなり強い毒だそうです」


 部屋が静かになった。


 ライコは、その身体でアルヴァンを破り、フウリとの決勝まで戦った。


 誰にも、痺(しび)れを訴えないまま。


「……それで、なぜ動けたと?」


「身体に入った量が少なかったのではないかと。ただ、医師も不思議がっておりました」


 ルクシオンは、椅子の背から身を起こした。


「分かった。ご苦労」


 声は、普段と変わらなかった。


     ◇


 王宮の廊下で、ルクシオンは一人の貴族とすれ違った。


 その名を呼ぶと、男が振り向く。


「何か用か」


「少しだけ。ライコ大隊長のことで」


 男の眉が、わずかに動いた。


「昇格は決まったのだろう。今さら私に何を言えと」


「ええ。それは喜ばしいことです。ただ、大会中に困ったことがありまして」


 ルクシオンは微笑んだまま、男へ歩み寄った。


「決勝の前日、彼が賊(ぞく)に襲われたのです。刃には毒まで塗られていたようで」


「……物騒なことだな」


「本当に。あれほど働いてくれた少年を失うところでした」


 男は廊下の先へ目を向けた。


「それで?」


「襲った者が、自白しましてね。誰に頼まれたのかも」


「そんなわけはない!」


 声が、思いのほか大きく響いた。


 ルクシオンは首を傾げ(かしげ)た。


「なぜ、そう言い切れるのです?」


 男の唇が動き、止まる。


 自白など、得てはいない。


「いや、私は……そういう連中が、簡単に口を割るものかと」


「なるほど」


 ルクシオンは、それ以上問い返さなかった。


 廊下の向こうから近づいた足音が、二人の横を通り過ぎていく。


 ルクシオンが、もう半歩近づいた。


 男は下がりかけたが、ルクシオンが耳元へ顔を近づけると、足を止めた。


「公爵の鳥を捕らえようとする者にも、殺そうとする者にも、容赦はしません」


 小さく、低い声だった。


 だが、先ほどまでの柔らかさが、一切なかった。


 男の額(ひたい)に汗が浮いた。息を吸い込む喉(のど)が、ひゅっと鳴った。


 ルクシオンは身を離した。


「お引き止めして、失礼しました」


 男は返事もそこそこに背を向けた。歩き出した足がすぐに速まり、角を曲がるまで一度も振り返らない。


 ルクシオンは、その背を笑顔で見送っていた。


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