闇討
ライコは運営の台へ、試合用の剣を置いた。
左手を離すと、腕が少し軽くなった。右の掌には、まだ布が巻かれている。
「これ、ありがとうございました」
運営の男は剣を受け取り、台の下から隕鉄剣を出した。鞘に入ったまま、両手で持ち上げて差し出す。
ライコは左手で鞘を受け取った。
ずしりと、腕へ重さが戻る。
今日使った剣とは、やっぱり違う。
抜きやすいよう、鞘の金具を右の腰の帯へ掛けた。左手を放すと、帯がぐっと引かれる。
右の腰に重みがかかる。ライコは帯の掛かり方を見て、鞘が帯から外れないことを確かめた。歩くたびに揺れないよう、左手で位置を直す。
男の目が、右手の布へ向いた。
「その手は、休ませておけよ」
「はい。明日まで、剣は振らないようにします」
ライコは礼を言い、会場を出た。
外にも、まだ人がいた。今日の試合の話をしながら歩く人。連れの腕を引き、どこかを指す子供。
空には夕日の色が残り、建物の間では影が深くなっていた。
その間を抜けると、剣がぶつかる音も、歓声も聞こえなくなった。
ライコは右手を見た。
握れば、傷が開きそうだった。
それでも、今日の相手の剣は思い出せる。顔へ迫った突き。斬撃をかわした後、すぐに構え直した足。
強かった。
あの人と、普通の剣で戦ってみたかった。
上着の裂け目へ目を落とし、それから前を向いた。
◇
通りを曲がったところで、男が一人、立っていた。
ライコが近づいても、道を空けない。
「あの、通りたいんですけど」
男は腰へ手をやった。
背後でも、靴が地面を擦った。
振り返ると、二人いた。
片方は剣を、もう片方は短剣を抜いている。
ライコの笑みが消えた。
ここには境界線も、間に入る審判もいない。ライコは男たちの顔より、刃の先を見た。
前の男も、剣を抜いた。
何を言えばよいのか考えるより先に、その刃が胸へ迫った。
ライコは半身になって突きをかわし、左手を右の腰へ伸ばした。
右に掛けておいて、よかった。
左手が迷わず柄へ届く。腰の帯に留めた鞘から、隕鉄剣を滑らかに抜いた。
後ろの二人が、左右へ分かれる。
ライコは壁側へ退き、建物の壁を背にした。三人の刃を、前で見る。
「囲め」
前の男が言った。
ライコは左手の剣を構えた。
右手は、身体のそばに置く。
試合用の剣なら、左手でも軽かった。
これは違う。
切っ先を動かすだけで、腕がその重さを受ける。止めた後、反対へ振るのにも力がいる。
どれか一本だけを見ていれば、別の刃が届く。
ライコは剣先を上げすぎず、左右の男の足も見た。
前の男が、ライコの頭へ剣を振り下ろした。
ライコは、その剣へ隕鉄剣を横から叩きつけた。
甲高い音が、通りに弾けた。
男の剣の先が折れ、宙を飛ぶ。
ライコの右側から、二人目の剣が胴へ伸びた。
ライコはそのまま腰をひねり、隕鉄剣を振り抜いた。
刃と刃が、激しくぶつかる。
相手の剣は大きく外へ弾かれた。男は踏みとどまれず、上体をのけぞらせる。
最初の男は、折れた剣を見ていた。
先を失った刀身を、目が追っている。
その一瞬、動きが止まった。
ライコは、のけぞった男を追わなかった。
右へ振った剣を返し、最初の男の胸へ刃を走らせる。
服が裂け、血が散った。
浅い。
思ったほど、刃が入らなかった。
左手一本では、この重さを十分に操れない。引き戻した刃を狙った深さまで届かせられず、胸を浅く斬るにとどまった。
男は胸を押さえ、よろめいた。
まだ、倒れない。
二人目は後ろへ跳び退いた。
左から、低い影が迫る。
短剣の男だった。
ライコは隕鉄剣を引き戻そうとした。
振り切った直後の刃が、重い。
両手なら、もっと早く返せた。だが、右の掌は柄を握れない。
左腕だけで切り返す。
ほんの少し、遅れた。
男は腰を落とし、ライコの腿へ短剣を走らせた。
ライコはとっさに左足を引いた。
短剣の先が、左腿の外側を掠める。
薄く、熱い痛みが走った。
遅れて、隕鉄剣を振った。
男は地面へ転がるように身を投げた。ライコの刃が、その身体の上を通り過ぎる。
男は転がった先で立ち上がり、仲間へ目配せした。
胸を押さえた男が下がる。
二人目も剣を持ったまま、身を翻した。
三人は、建物の間の闇へ逃げていった。
ライコは剣を構えたまま、しばらく動かなかった。
足音が遠ざかる。
通りの奥を見つめ、息を整えた。
戻ってくる足音は、なかった。
◇
左腿に、細い傷がついていた。
布地の裂け目へ、少し血が滲んでいる。
深くはない。歩いても、足は動く。
ライコは息を吐いた。
試合の外でも、剣を向けてくる。
何のためだったのだろう。
逃げた先を見ても、分からなかった。
左手の剣へ目を落とす。
受ければ、相手の剣は大きく跳ねた。重さは、ちゃんと使えた。
けれど、一度振った後に戻すのは、試合用の剣とは違う。
右手を使えない今は、いつものつもりで振れない。
ライコは右手を柄へ近づけず、左手で剣を下げた。
腰に固定した鞘の口へ、剣先を合わせる。ゆっくり刃を送り、鍔が鞘口につくまで押し入れた。
剣から左手を離した。
今日はもう、抜きたくなかった。
泊まっている部屋へ戻る頃には、通りの灯がともっていた。
水で腿の傷を洗うと、少ししみた。布を当て、右の掌の布も新しいものに替えた。
針が刺さった傷は、まだ深く残っている。
右手は使わず、休ませる。
ライコは食事を済ませ、横になった。
明日も、試合がある。
まだ戦っていない人がいる。
強い人と、剣だけで戦いたい。
初戦の騎士が差し出してくれた手を思い出した。あの人も、この街のどこかにいるのだろう。
襲ってきた三人を思い返すより、初戦の騎士の剣の動きを思い出していたかった。
目を閉じると、今日の剣の音が、しばらく耳の奥に残った。
◇
翌朝、ライコは目を覚ました。
窓の外が、明るい。
起き上がり、少し首を傾げた。
どこが、と聞かれたら、うまく言えなかった。
ほんの少し、身体の感じが違う。
ライコは寝床に座ったまま、朝の光を見ていた。
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