第65話 老将の眼
レオニードは、孫娘の話を聞いていた。
少女は椅子に座り、森で起きたことを順に話した。剣を持った男たちの間を、ライコが素手で抜けてきたこと。首へ短剣を突きつけられたこと。
「私が男の手を押しのけると、すぐに来てくださいました。短剣を持った手をつかんで、私を引き離して……」
少女は自分の手を見た。
「そのときに、ライコ様は手の甲を切られたのです」
レオンハートが黙って頷いた。護衛から聞いた話とも合う。
「礼を言うと、何と答えた」
レオニードの問いに、少女は顔を上げた。
「無事でよかった、と。私が傷を見ると、手を後ろへ隠して、笑っていらっしゃいました」
「それだけか」
「はい。それから、手を振って走っていかれました」
レオニードは、椅子の肘掛けに置いた手を動かさなかった。
この家の娘を助けたと知れば、褒美を求める者もいる。名を残し、後から訪ねてくる者もいる。
あの少年は、名も告げずに去った。
「父上。一度、本人に会って礼を述べたいと思います」
レオンハートの言葉に、レオニードは頷いた。
「ワシも会おう」
◇
ホークガルド家へ招かれたライコは、部屋の入口で足を止めた。
王宮で会った大きな老将が、椅子から立ち上がっていた。その隣にいる男が、一歩前へ出る。
「レオンハート・ホークガルドだ。君に助けられた娘の父だ」
「あ、はい。探してくれてたって、聞きました」
ライコが答えると、レオンハートは少年へ頭を下げた。
「娘を救ってくれたこと、心から感謝する」
ライコは慌てて背筋を伸ばした。
「そんな。元気に戻れたなら、よかったです」
レオニードが椅子を示した。ライコが腰を下ろすと、二人も向かいへ座る。
「ワシの孫だとは、知らなかったのか」
「はい。森にいたときは、どこの家の子かも知りませんでした」
レオニードは少年の顔を見た。
「剣も持たずに追ったそうだな」
「休みだったんです。馬車のところにいた騎士の人が、その子を連れていかれたって言ってて。早く追わないと、遠くまで行っちゃうと思いました」
「孫が短剣を突きつけられていても、飛び込んだか」
「そのままだったら、近づけなかったです。あの子が自分で、男の手首を押しのけたんです。だから、手をつかめました」
ライコは自分の手を前へ出し、男の手首をつかんだ動きをしてみせた。
レオンハートは、その指を見ていた。
「傷を負わせてしまった」
「もう治ってます。ほら」
ライコが手の甲を見せた。父親の顔が少し緩むと、少年も笑った。
レオニードは、孫娘の話を思い出した。
手を隠して、笑った。
今は同じ手を、心配を解くために差し出している。
「娘から、君が隊長だと聞いた。河岸の戦いでの働きも、父から聞いている」
レオンハートが言うと、ライコは膝の上へ手を戻した。
「みんなが道を開けてくれたんです。僕はもう、あんまり走れなくて」
「敵の総大将のところまで、か」
レオニードが聞いた。
「はい。あの人の剣、すごかったです。全力で振り下ろしたのに、受け止められて身体ごと飛ばされて。その後の打ち合いで、こっちの剣も折れちゃいました」
王宮の中庭で振っていた剣のことを話すと、少年の目つきが変わった。
「剣が折れた後も、戦ったのだな」
「止まったら斬られるので。残ったところで受けて、近くまで入りました」
ライコは、座ったまま少し前へ身を乗り出した。
「最後は、頭をぶつけたんです。剣じゃ、間に合わなくて」
レオンハートが息を吐いた。
「よく生きて戻ったものだ」
「みんながいてくれたからです」
ライコは言って、身体を起こした。
レオニードは腕を組んだ。
大隊を任せるには、確かめなければならないことがある。孫を救われたからといって、その問いが消えるわけではない。
だが、武勇と軍功を聞くだけでは、知らずにいたものもあった。
ライコの目が、組まれた太い腕へ向いた。
「レオニード将軍も、剣で戦うんですよね」
「そうだが」
ライコの目が輝いた。椅子に座ったまま、少し身を乗り出す。
「いつか、手合わせしてほしいです。王宮で会ってから、どんなふうに振るんだろうって、ずっと気になってて」
レオンハートは目を見開き、父へ顔を向けた。
筆頭将軍に手合わせを願うとなれば、大抵は遠慮が先に立つ。だが、少年の顔にあるのは、強い相手と戦えるかもしれないという期待ばかりだった。
レオニードは少年の顔を見返し、低く笑った。
「礼を言うために呼んだのだがな」
ライコは少し考えてから、笑った。
「そっか。でも、戦ってみたい!……です」
◇
その後、レオニードは王宮を訪れ、戦利品の剣をもう一度見たいと願い出た。
ネグロスは、中庭へ剣を運ばせた。
「今度は、お前が振るのか」
「はい。あのときから気になっておりました」
レオニードは、剣を預かる男から鞘ごと受け取った。左手で鞘を支え、右手で刃を抜く。
剣先が、手首を下へ引いた。
鞘を男へ戻し、両手で柄を握る。足を開き、腰を落とした。
飾り立てた大剣でもない。幅も長さも普通に見える。それなのに、両手へかかる重さは、並の大剣をはるかに上回っていた。
「離れておれ」
男が下がり、ネグロスも刃の届かぬところで足を止めた。
レオニードは剣を持ち上げた。
太い腕が張る。
斜めに振り下ろすと、低い音が中庭を走った。流れる刃を、踏み込んだ足と腰で止める。
すぐに振り戻しはしなかった。
下がった剣先を見てから、柄を握り直す。
「これはいい」
レオニードの口元が上がった。
「お前でも、重そうだな」
「はい。これほどの重さの剣は、そうありません」
レオニードは男を呼び戻し、鞘を支えさせてゆっくり刃を納めた。男が鞘を両手で抱えると、レオニードは柄から手を離し、王へ向き直った。
「陛下。この剣を、私に引き取らせていただけませんか。必要な金額は、国へ納めます」
ネグロスは、剣と老将を交互に見た。
「気に入ったか」
「ええ。ぜひ」
王は小さく笑った。
「よかろう。値を定めさせる。その額を納めれば、お前に渡そう」
レオニードは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
剣は、預かる男の手に残っていた。
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