第62話 剣に名を
河岸の戦いが終わってから、ライコはよく眠った。
目を覚ませば食べ、また眠る。外を歩けるようになってからも、ドルグは剣を持たせなかった。
傷がふさがり、腕を振っても、足を踏み出しても痛まなくなった頃、ようやく陣の空き地で素振りを許された。
手にしたのは、木の稽古剣だった。大曲剣とは長さも重さも違う。軽く振り、止め、何度か握り直していると、向こうからキティが歩いてきた。
ウェーブのかかった長髪を後ろで束ね、同じように稽古剣を持っている。
「待ちかねたぞ、ライ。ぜひ手合わせ願いたい」
「僕も!キティの剣、近くで見てみたかったんだ」
「傷を開いたら、二人まとめて寝かせるからな」
ドルグが空き地の端から釘を刺した。その隣でバスティオンが笑い、ラーヴァは細長い身体を木の幹へ預けている。
キティは剣を両手で構えた。
「互いに、相手の身体に当たる前に止める。痛みが出たら、そこで終わりだ」
「うん」
向かい合うと、ライコの目がキティの剣へ吸い寄せられた。
構えに隙が少ない。どこから打てば届くか考える間に、キティが踏み込んできた。
頭へ向かって、まっすぐに剣が落ちる。
ライコは斜めに剣を合わせ、相手の剣を横へそらした。腕へ重さが響く。キティは剣を引くと、すぐに胸の高さを横へ薙いだ。
ライコが半歩下がる。剣先が目の前を通り過ぎた。
「すごい。受けても、すぐ次が来る!」
「そこで感心していてよいのか?」
キティの足が、もう前へ出ていた。
ライコは腰を狙い、短く剣を走らせた。
キティが身体を引き、剣を下げる。木が乾いた音を立てた。二人は離れず、もう一度打ち合った。
力だけで押しても、崩れない。
ライコの目が細くなった。
キティが剣を上げる。ライコはその手元だけを見て、両手の間にわずかに見える柄へ、剣先を送った。
触れる直前、キティが手を引く。
「そこを狙うか!」
声が弾んだ。キティは踏み直し、ライコの剣を打ち上げた。
ライコは退きながら、剣を頭上へ持っていく。腕だけでなく、背も足も使い、大きく振り下ろした。
キティは正面で受けず、横へ抜けた。
風が鳴った。ライコは剣先が地面に届く前に、振り下ろしを止めた。
キティが横から近づく前に、ドルグの声が飛んだ。
「そこまでだ。一度休め」
ライコは顔を上げた。
「もうちょっとだけ」
「その『ちょっと』で何をやったか、忘れたか」
キティも剣を下ろした。息を整えながら、ライコをじっと見ている。
「お前は同じ剣で、ずいぶん違う斬り方をするのだな」
「届かせ方が違うから」
ライコは剣を少し動かした。
「すぐに届かせたい時と、ここって場所を狙う時。思いきり叩きたい時もあるし」
「今、見せた三つだな。それぞれに名をつけるとよい」
「名前?」
「その名を意識すれば、構えや動いた時の感覚を思い出しやすくなる。毎回、一から探さずに済むのだ」
ライコは自分の手を見た。
ただ斬る時には、届けばよかった。だが、強い敵の前では、どんな斬り方なら届くのかを探し続けた。
「じゃあ、最初のは、すっごく速いやつ!」
「それは説明だ、ライ」
キティが言うと、バスティオンが吹き出した。
「呼んでるうちに、相手が逃げるな」
「口に出すとは言っていない」
キティは大真面目に返し、考えるように剣先を見た。
「一瞬の閃きのようだった」
「雷みたいに、気づいた時には来てたよ」
バスティオンが言うと、キティは頷いた。
「雷閃。どうだ?」
「雷閃……」
ライコは人のいない方へ、短く剣を振った。腕を大きく引かず、近いところから、一番短い道を通す。
「うん。これだ」
「ヒッヒッヒッ。次は、針みたいだったぜぇ。あんな狭いとこを狙われちゃ、嫌だねぇ」
ラーヴァが長い指で、小さな輪を作った。
「針か。速さだけではなく、一点へ集中する剣だな。ならば、雷針」
キティが言った。
「僕、剣全体じゃなくて、そこだけ見てた」
ライコはキティの柄を指した。
「そういう目をされると、守る側は困るんだよな」
バスティオンは苦笑した。キティはライコの剣へ目を戻した。
「最後のは?」
ライコは両手を上げかけた。
「どかん斬り!」
ドルグが即座に止めた。
「剣は下ろしておけ。名まで勢い任せにするな。上から落ちてくる雷だろうが、あんなものは」
「雷が轟くような一撃。雷霆がよいな」
キティが言った。
「雷霆。速く振るのとは違って、身体ごと全部使う感じなんだ」
「手合わせで全部使うのは、控えてもらいたい」
キティの言葉に、ライコは笑った。
ドルグだけは笑わなかった。
「三つで終わりか。あの騎士へ突っ込んだのは、別だろ」
ライコの笑みが静まった。
翼のように開く槍。どの斬り方も止められた。
「あれは、どれか一つじゃ足りなかったんだ」
キティが横へ退く。ライコは人のいない方へ向き、両手で剣を構えた。
切っ先を前へ向ける。腕と身体を固め、その形を保ったまま、小さく一歩だけ進んで止まった。
「振らずに、このまま行く。狙ったところから剣がずれないようにして、身体ごとぶつかるんだ」
「速さと、狙いと、重さを一度に、か」
キティはその構えを見ていた。
「突いた後は、どうするんだ?」
バスティオンに聞かれ、ライコは少し考えた。
「それは、考えてなかった」
ドルグの声が低くなった。
「だろうな。受け身も取れず、地面へ落ちやがった。敵を倒しても、お前まで死んだら終わりだ。軽々しく使うな」
「……うん」
「ヒッヒッヒッ。抜ける先まで見といた方がいいぜぇ。剣が止まっても、身体は行っちまうからなぁ」
ライコは前を見て、剣を下ろした。
届くまでしか、考えていなかった。
「これにも名前、つけていい?」
「もちろんだ。忘れてよい剣ではない」
キティは答え、しばらく考えた。
「雷のように疾く、一点を貫く。迅雷穿」
ライコは、その名を胸の中で繰り返した。
剣を振らず、身体ごと前へ出る感覚が戻ってくる。地面へ落ちた痛みも、いっしょだった。
「格好いい。でも、使う時は、その後も考える」
「それでよい」
キティが頷いた。
ライコは息を吐き、稽古剣を構え直した。
雷閃。
声には出さず、その名を思う。
次の一振りは、迷わず、短い道を走った。
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