第61話 計算の外
シルベイン公爵の屋敷に、バスティオンからの報告書が届いた。
ルクシオンはそれを受け取り、机の前へ戻った。
川岸で第十二中隊とともに戦った男の報告だった。自分の目で見たことと、兵たちから聞いた戦果が分けて記されている。
クアルデン軍は退却。攻め込まれた河岸を、ルミナス軍は守り切った。
そこまで読んで、紙を持つ手が止まった。
援軍は、間に合った。
だが、報告に記された勝ち方は、思い描いていたものと違っていた。
兵たちから聞いた戦果として、ファルケンハインの戦死が記されていた。
アイゼンベルクも倒され、親衛兵に救出された。
どちらを倒したのも、同じ者だった。
「ライコ隊長……」
ルクシオンは、先へ目を移した。
背後から襲撃してきた千騎を食い止めた第十二中隊。その後、傷ついたまま正面へ戻ったライコ。
座り込んでいた兵が、武器を取り直してその背を追った。バスティオンは、立ち上がった領兵を自分の盾兵の脇へ呼び、敵を押し返している。
肩から血が流れ、足がもつれる少年を、バスティオンは盾で守った。ドルグが敵を吹き飛ばし、領兵が敵へ飛びついて、道を開いた。
誰を倒したかだけでは分からない、勝利へ至る過程が書かれていた。少年のそばで、ともに戦った者の記録だった。
最後に到着したペドルの援軍が、敵の退却を決定的なものにした。
ルクシオンは報告を机へ置いた。
指先で紙の端を押さえ、しばらく動かなかった。
◇
ペドルの軍を、先に動かしていたのはルクシオンだった。
河岸から助けを求める声が届いてから、兵を集めていては遅い。知らせが来るまでにも、軍が現地へ着くまでにも時間がかかる。
その時間を、先に使っていた。
一番に考えていたのは、マッチョリーニ伯爵の救援ではなかった。
伯爵は第二王妃派に属している。公爵家とは、王宮でも軍の中でも力を争う側だった。
戦いに勝った将軍の言葉は重くなる。敗れた将軍の言葉は軽くなる。誰が軍を率い、誰の進言が取り上げられるかにも、それは響く。
ルクシオンが狙っていたのは、その差だった。
川岸で踏みとどまる防衛軍は、敵を削る。守る側も、ただでは済まない。日が経つにつれ、兵の力も、列を保つ余裕も失われていく。
そこへ、新しい五千を送り込む。
河岸の守りが崩れ、伯爵の軍が退くほど追い込まれていれば、敵もすでに疲れ切っているはずだった。
押し寄せた敵を、ペドルが押し返す。
第二王妃派の将軍には敗退の責任が残り、公爵派のペドルには、危機を救った戦功が残る。
敵軍と防衛軍が消耗し、防衛軍が持ちこたえられなくなる頃に援軍が着くよう、手配をしていた。伯爵の軍が先に退く展開も、その計算に入っていた。
兵が倒れる一瞬まで、見通せるわけではない。
だからこそ、早い段階から軍を動かす必要があった。救援を待つ側の限界と、攻め続ける側の疲弊を考え、ペドルが最も戦果を得られる時を狙った。
ペドルには、その狙いを伝えていない。
救援が必要だと知れば、あの男は力を尽くす。苦しむ味方を前にして、相手の派閥を理由に手を緩めるような男でもない。
今回も、真剣に助けに行ったのだろう。
その救援が戦功となり、公爵家の力になる。ルクシオンにとっては、そこまでを合わせた一つの手だった。
ルクシオンは、もう一度報告を手に取った。
伯爵の軍は、退かなかった。
崩れかけた列が、立て直されていた。
ペドルが敵を押し返す前に、ファルケンハインが死に、アイゼンベルクが倒れている。
公爵派の援軍が勝利において果たした役割は大きい。だが、敗れた伯爵と、すべてを救ったペドルという形にはならなかった。
守りを持ち直させた少年が、そこにいたからだ。
◇
ルクシオンは、ライコの名を見ていた。
強い少年だとは知っていた。
これまでの戦功も、ただの幸運で片づけてはいない。バスティオンを中隊へ加えたのも、少年がどれほどの力を持ち、どのような人物なのか、近くで見てほしかったからだ。
そのバスティオンが、傷ついた少年だけでなく、彼を見て立ち上がる兵の姿まで伝えてきた。
力を持つ者は、使いどころを見誤れば失われる。
策を整え、戦うべき相手へ届かせてやれば、ライコは大きな働きをするだろう。そう考えていた。
だが、今回は違った。
自分が計算に入れた敗退を、少年が止めていた。
敵の英雄を斬っただけではない。疲れ切って立てなくなった兵まで、再び戦わせている。
何日も戦い、傷を負い、自分の身体すら支えきれなくなっても、前へ進んだ。
その背中を、兵が追った。
ルクシオンは紙を置き、椅子の背へ身体を預けた。
どれほど策を重ねても、最後には、そこにいる兵が敵を止めなければならない。
押し返すだけの力がなければ、正しい命令を出しても列は破られる。退くしかないと判断したとき、その判断を覆すほどの力が現れることなど、普通はない。
その普通の外から、ライコは戻ってきた。
しかも、自分だけで敵を斬り続けたのではなかった。
部下が道を開き、領兵が立ち、少年を前へ通した。一人の力が、ほかの兵の力まで引き出していた。
戦功の取り分を考えれば、予定どおりではない。
第二王妃派の影響を削ぐという狙いも、思いどおりには進みそうにない。
それなのに、机の上の報告から目を離せなかった。
ルクシオンは、わずかに笑った。
「参りましたね」
机の前で、独り呟く。
自分の計算を崩したのは、味方の敗北ではなかった。
勝利だった。
いつか戦場で、強敵をライコへ任せるつもりでいた。そのために力を見極め、足りないものを補おうとしてきた。
だが、任せられるのは、一人の強敵だけではないのかもしれない。
少年が前へ出ることで、退くはずの軍が踏みとどまる。
敵を倒す腕だけを数えるのでは、その力を小さく見積もることになる。
ルクシオンは報告の最初へ目を戻した。
ルミナス軍は、河岸を守り切った。
その一行が、今度は違って見えた。
この力を、失わずに育てられたなら。
ライコの隣で戦う兵を増やし、その力が届く場所を広げられたなら。
ルミナスは、もっと強くなれるのではないか。
まだ、答えはなかった。
紙を畳む前に、ルクシオンはもう一度、少年の名を見た。
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