第60話 間に合った援軍
土煙の中から、先頭の旗が近づいてきた。
バスティオンが目を凝らす。見覚えのある旗だった。
「ペドル殿だ!」
旗のそばを馬で進む騎士が、川岸へ顔を向けた。
倒れた兵。血に濡れた盾。敵を押し返しても、その場に立つのがやっとの者たち。
ペドルは剣を上げた。
「前へ!味方を助けるぞ!」
後ろの兵が声を上げた。列を広げ、川へ向かって駆けてくる。
クアルデン兵の盾が、揺れた。
目の前では、アイゼンベルクが親衛兵に抱えられている。呼びかけても返事がない。その向こうから、まだ力を残した新しい軍勢が迫っていた。
「閣下を舟へ!退け!」
親衛兵が叫んだ。
盾をルミナス兵へ向けたまま、仲間が担ぐアイゼンベルクの周りを固める。ルミナス兵に剣を向け、川まで下がっていった。
周りのクアルデン兵も、後ろを振り返る。
岸に残っていた舟へ、親衛兵がアイゼンベルクを運び込んだ。船べりへ盾を並べ、寄ってくる味方を乗せる。
舟が岸を離れた。
それを見た敵が、次々と川へ下がる。まだ戦おうとした兵まで、隣の男に腕を引かれた。
ルミナス兵が声を上げ、槍を前へ出す。
「追いすぎるな!」
マッチョリーニ伯爵が、大剣を掲げて止めた。
「岸を押さえろ!動ける者は、倒れている味方を助けるのだ!」
前へ出かけた領兵が足を止めた。敵の背中を見てから、草地に倒れた仲間へ屈む。
ペドルの兵がその脇を通り、川へ下がる敵へ盾を向けた。
マッチョリーニ伯爵は、新しく来た兵の列を見た。自分たちの列とは違い、盾を持つ腕が下がっていない。
大きく息を吐いた。
大剣の先が、ようやく地面へ下りた。
◇
ライコは川を見ていた。
さっきまでこちらへ向いていた敵の顔が、もう見えない。盾も槍も、岸へ向かって遠ざかっていく。
「退いた……?」
「ああ。退いたぞ」
ドルグの声がした。
ライコはもう一度、川を見た。
そのとき、足から力が抜けた。
膝が折れる。バスティオンが脇へ腕を入れ、ドルグも反対側から身体を支えた。
「もう立たなくていい。座れ」
ドルグはライコをゆっくり草地へ下ろした。
足を投げ出すと、痛みが一度に押し寄せてきた。息を吐こうとして、胸まで痛む。
柄を握っていた指を、一本ずつ緩めた。
キティが駆け寄ってきた。
ライコの前へ膝をつき、近くからその顔を見る。頬の血は乾きかけていた。肩口の革は裂け、腕にも、脇腹にも傷がある。
「ライ……こんな傷で、まだ進んでいたのか」
ライコは顔を上げた。
何か答えようとしたが、息を整えるだけで精いっぱいだった。
キティは自分の袖から布を裂いた。肩口の血が流れるところへ当て、手で押さえる。
「動かずにいるのだ。まず傷を見てもらおう」
バスティオンが手当てのできる兵を呼んだ。ドルグは水を持ってこさせ、ライコのそばに屈んだ。
ライコは、膝の横へ置いた剣に目を落とした。
いつもなら、その先まで刃が続いていた。
今は、途中で途切れている。
手を伸ばし、柄に触れた。折れた刃の向こうには、泥のついた草が見えるだけだった。
ドルグは何も言わなかった。
遠くで、敵が退いたと知らせる声が上がった。
◇
アイゼンベルクが倒れた場所には、剣が一本残っていた。
近くの兵が、柄を拾い上げようとした。
持ち上がらない。
男は眉を寄せ、今度は両手で握った。腰を落として引き上げると、ようやく刃が草から離れる。
「何だ、これ……!」
ただの剣に見えた。
あの少年の大曲剣のように、巨大な刃でもない。それなのに、両腕へかかる重さは、見た目から想像したものとはまるで違う。
持ったまま身体を起こすと、手が下へ引かれた。刃の先が、また地面につく。
「おい、手を貸せ!」
別の兵が来て、男の顔と剣を交互に見た。
二人で柄を支えて運ぶ。その重さに、助けに来た兵まで目を剥いた。
ドルグは運ばれてきた剣を見て、少し離れた草地を指した。
「そこへ置け。敵の大将の剣だ。ほかの戦利品と一緒に保管する」
兵たちは剣を下ろした。一人が手を振り、しびれた指を曲げ伸ばしする。
ライコは、その刃を見た。
自分の全力を受け止めた剣。
折れた大曲剣の柄を見てから、もう一度、草地へ置かれた刃へ目を向けた。
◇
ペドルは前線へ兵を回した後、馬を降りた。
負傷者の間を歩き、マッチョリーニ伯爵のもとへ来る。
「間に合ってよかったです。五千ほど連れてまいりました。敵軍の監視はこちらが引き受けます。そちらの兵を休ませてください」
マッチョリーニ伯爵は、大剣を地面へ置き、ペドルの手を両手で握った。
「よく来てくれた!助かったぞ……!」
大きな声が、最後には掠れた。
ペドルはその手を握り返す。伯爵の後ろで、領兵が草地へ座り込んでいた。仲間の肩を借りて歩く者もいる。
「負傷者を運ぶ兵も、こちらから出します」
そばの兵へ顔を向け、負傷者を運ぶよう命じた。
セヴェロは、マッチョリーニ伯爵の脇でそのやり取りを聞いていた。
眼鏡を押し上げ、川へ目を向ける。
敵の舟が遠ざかっていた。岸には味方の盾が並び、その後ろで新しい兵が負傷者を抱えている。
本当に、援軍が来た。
副官として、まずは生きている兵を助けなければならない。
セヴェロは近くの兵へ、歩けない者から後ろへ運ぶよう指示した。担ぐ者が足りない場所には、ペドルの兵を呼んで回す。
その間も、頭の片隅から消えないことがあった。
(早い)
救援を求めても、伝令が着くまでに時間がかかる。知らせを受けてから兵を集め、支度を整え、ここまで軍を動かすにも時間がいる。
要請を出した時期と、今の到着を照らし合わせる。
この五千が動けるようになるまでの手順を、一つずつ考えた。
間に合わない。
だからこそ、退くことまで考えていた。
だが、ペドルの兵は目の前にいる。汗を流し、土埃にまみれ、味方を助けている。
セヴェロはペドルを見た。
ペドルは運ばれる兵へ道を空け、すぐそばの負傷者を自分も支えている。助けに来たという言葉に、嘘は感じなかった。
それでも、時刻が合わない。
セヴェロは疑問を胸の内へ留め、倒れた兵の方へ歩いた。
(この時刻に来られるなら――いつから動いていた?)
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