第58話 一筋の光
川岸では、クアルデンの兵が再び前へ出ていた。
ファルケンハインの死を聞いて下がりかけた盾が、総大将の馬を追って進む。英雄の弔いを叫ぶ声が、ルミナスの列へ押し寄せた。
勝報を聞いたはずの領兵たちは、また足を引いていた。盾を支えきれず、槍を落とす。仲間が倒れても、駆け寄る脚が動かない。
座り込んだ男は、通り過ぎた背中を目で追った。
ライだ。
何度も、苦しい持ち場へ駆けつけてきた少年。あの大きな剣が振られると、押し込んできた敵が倒れた。さっきは、あの英雄まで討ち取った。
(あいつはすげえ。特別なんだ)
だから、まだ戦える。自分たちとは違う。
そう思いかけて、男は息を止めた。
背中は泥だらけだった。肩口の革が裂け、そこから流れた血が鎧を伝っている。剣を持つ腕にも血がにじんでいた。
走り方も、おかしい。
いつものライなら、もっと速かった。敵の間へ飛び込み、気づけば別の持ち場にいた。
今は、足が地面につくたびに身体が揺れる。それでも止まらず、大きな剣を引きずらぬよう持ち上げていた。
男は自分の腕を見た。
袖の下に、浅い切り傷がある。血はもう止まっていた。あの少年ほど傷ついてはいない。
なのに、自分は座っている。
胸の奥が熱くなった。喉が詰まり、唇を噛む。
「チキショー……」
落とした槍へ手を伸ばした。
柄を地面へ突き、身体を持ち上げる。膝が震えた。身体が崩れかけたところを、隣の兵が腕を掴んで支える。
支える手も震えていた。
男は自分を支えるその手を握った。二人で立ち、少年の背中へ顔を向ける。
あれだけ傷ついた奴が、まだ前へ行っている。
男は声を上げた。何を叫んだか、自分でも分からなかった。槍を抱えて走り、隣の兵もついてくる。
その声に、別の領兵が振り向いた。
男たちの向かう先を見て、落としかけた盾を持ち直す。さらに後ろで、膝をついていた兵が剣を拾った。
暗いトンネルの先に、一筋の光が見えたようだった。
届くかどうかなど、考えていられない。そこへ行きたい。その後ろを追いたい。
兵たちは叫び、走った。
◇
ドルグも、息を切らしてライコを追っていた。
肩で息をするたび、胸が痛い。脚は重く、草の上へ倒れ込めたら、どれほど楽だろうと思う。
それでも、走っていた。
前を行く少年の足が、わずかにもつれる。
ドルグは歯を食いしばり、歩幅を広げた。
そこへ、領兵が横から追いついてきた。さっきまで座っていた男まで、槍を握っている。
バスティオンが、その兵を自分の盾兵の横へ呼んだ。
「盾の脇へ入れ!そこを空けるな!」
兵が槍を差し出す。バスティオンは部下と盾を押し出し、川岸から迫る敵を受け止めた。
ドルグは追いついた兵をその列へ入れ、前へ出すぎた男を肩で押し戻した。勢いのまま敵の槍へ走らせるわけにはいかない。
近くでは、ラーヴァが倒れかけた兵の腕を取っていた。引き上げてから、迫る敵の刃へ自分の剣を合わせる。
その後ろからも、味方が来た。
キティは走りながら、長剣を握り直した。
腕が重い。踏み出す脚も、休ませろと訴えている。
それなのに、胸の奥から力が湧いてくる。苦しかった息の間に、笑いが漏れた。
「まだまだ私もやれるぞ!」
追いついた領兵と並び、前へ出る。
さっきまで下がっていた列が、止まった。さらに後ろから来た兵が盾を身体で支え、槍を敵へ突き出す。
◇
マッチョリーニ伯爵は大剣で敵を押し返した。そのわずかな間に、後ろから上がる声へ顔を向ける。
自分がどれほど怒鳴っても動かなかった兵が、立っていた。
下がろうとしていた男たちが、武器を握り直して駆けてくる。
「セヴェロ、見ろ……!」
後方から戻ってきたセヴェロは、伯爵の脇で足を止めた。
倒れそうな兵を列へ戻しながら、ここまで来た。その兵たちよりも前へ出ていた領兵まで、次々と立ち上がっている。
眼鏡の奥の目が、立つ兵の先へ向く。
血と泥にまみれた少年が、進んでいた。その後ろへ、第十二中隊に加え、別の隊の兵も続いていた。
セヴェロは口を開いた。言葉が出なかった。
どれほど戦況が揺れようと、感情に流されず、次に取るべき手を考えてきた。その自分が、傷だらけで進む少年から目を離せずにいた。
胸の奥が熱い。
もう持たないと判断した兵たちが、立ち上がっている。セヴェロ自身もまた、あの背中を追いたいと思っていた。
伯爵の喉から、低い笑いが漏れる。
「まだ、やれるか……!」
大剣を構え直し、戻ってきた兵とともに敵へ向いた。
◇
ライコの足は、まだ痛かった。
横へ大きく踏み出し、倒れる身体を無理に戻したときの痛みが、踏むたびに走る。さっきまでの速さでは進めない。
肩口から流れる血も止まっていなかった。大曲剣を持つ手に、力を込め直す。
前では、敵が味方の盾を押していた。槍を落とした兵へ、次の刃が迫る。
(今、行くしかない)
足をかばいながら、槍を落とした兵の横へ向かった。
背後の叫びは聞こえていた。だが、振り返る余裕はない。
目の前の敵の剣を弾き、味方の盾の横へ入る。続いて迫る槍を、大曲剣で外へ払った。
横から味方の槍が伸びる。敵が退き、盾が前へ出た。
ライコは、その先へ進んだ。
◇
クアルデンの総大将は、ルミナス兵の崩れを見ていた。
座り込む者。武器を下げ、後ろへ逃れようとする者。
(ここを押せば、終わる)
精鋭へ最後の攻撃を命じようとしたとき、向こうから大きな声が上がった。
総大将は顔を向けた。
座り込んでいた兵が、立っている。
退いた列が、戻ってくる。
その中を、傷だらけの少年が進んでいた。
少年が通ると、そこにいた兵が顔を上げた。武器を取り、隣の兵を起こし、その後ろへ続く。少年一人を押し潰そうとしていた味方の盾が、加わったルミナス兵の槍に押し返された。
総大将の背筋に、冷たいものが走った。
(何だ、これは)
巨大な軍勢が現れたわけではない。新しい援軍の旗もない。
いるのは、同じ疲れ切った兵たちだ。
なのに、迫ってくるものが違う。
夜明けの太陽が闇を裂くように、あの少年の進む先から、兵の顔が変わっていく。絶望に沈んでいた目が、また前を見ている。
総大将は手綱を握り直した。
(ここで潰す。あれを進ませてはならない)
「あの少年を止める!精鋭、ついてこい!」
剣を前へ向け、馬を進めた。周りの兵も武器を構え、少年へ向かう。
ライコが顔を上げた。
馬上の騎士と、目が合う。
血に濡れた手が、大曲剣の柄を握り直した。
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