第57話 英雄の死
剣だけを走らせるのではない。
自分も、一緒に。
ファルケンハインの猛禽の槍が襲いかかる。
馬上から伸びた嘴が、胸を狙う。左右へ広がる翼の刃も、その後を追ってくる。
ライコは槍を見て、両手を柄に添えたまま身体を低くした。そのまま刃の下をすり抜け、槍の内側へ入るつもりだった。
だが、くぐろうとした直前、ファルケンハインが手首を捻った。
翼が縦を向いた。
鋼の羽が、顔へ落ちてくる。
ライコは横へ身を倒した。頬を風が叩き、刃が鼻先をかすめる。大曲剣を抱えた身体は傾き、足が追いつかない。
ファルケンハインは槍を引いた。
(避けられたか。だが、体勢は崩れた。倒れた瞬間に首を取る)
(強い少年だった。部下が次々と倒されたのも、無理はない。それでも、この一撃で終わる)
槍先を下げようとした、その刹那。
ライコの足が、横へ大きく出た。
草地を踏み抜くように脚が伸び、倒れかけた身体を押し戻す。両手は柄から離れない。あの巨刃を振り回す力が、常人なら転ぶ姿勢を無理やり立て直した。
「バカなッ!あの体勢から戻れるわけがッ―――!」
ファルケンハインの目が見開かれる。
ライコは剣を振り上げなかった。
切っ先は、鞍に座る騎士の胸へ。
両肘を固めたまま、地面を蹴った。
剣も、身体も、一緒に走った。
ファルケンハインが槍を戻す。だが、中央の穂先が戻るより先に、ライコは槍の内側へ踏み込んでいた。
胸甲へ、大曲剣の先が当たる。
金属がひしゃげる音がした。
馬上で身をかわす間もなかった。柄を握る両腕を通して、脚と腰の力も、前へ投げ出した身体の重さも剣へ伝わる。
黒い胸甲を突き破り、巨刃が深く沈んだ。
ライコは剣を押し込んだまま、騎士の脚へ肩から身体ごとぶつかった。
槍が手から落ち、ファルケンハインの身体が鞍から浮いた。柄を握ったままのライコも止まれず、二人は馬の脇へ投げ出された。
受け身を取る暇もなかった。
ライコは姿勢も整えられず、ファルケンハインと一緒に地面へ落ちた。投げ出された身体が草地を打ち、衝撃で息が詰まった。
止まったときには、ファルケンハインの脇に倒れていた。両手はまだ柄を握り、大曲剣は騎士の胸甲へ突き立ったままだった。
馬が離れた後も、黒い鎧は草の上で動かなかった。
◇
近くの敵騎兵が、手綱を引いた。
後ろから来た馬まで止まる。倒れた騎士を見た兵が、口を開いたまま槍を下げた。
ドルグは盾兵を前へ出し、ライコの脇へ駆けつけた。
「ライ、歩けるか」
ライコは頷き、両手で柄を引いた。騎士の身体から刃を抜き、地面へ片手をついて起き上がる。立ち上がったところで、踏み直した足に痛みが走った。さっき、倒れる身体を無理に戻したとき、足まで捻っていた。
肩も腕も痛い。頬から落ちた血が、柄を握る手へ滴った。
ドルグはその顔を見てから、敵へ向き直った。
馬を降りた兵が、倒れた騎士へ近づこうとしていた。盾の間から向けられた槍に足を止める。
「屍を連れて帰れ」
兵はドルグを見た。しばらく動かなかったが、やがて武器を置き、騎士のそばへ膝をついた。
手が、鎧の肩へ触れる。
ほかの兵も馬を降りた。外套で亡骸を包み、首が垂れないよう支えながら、数人で抱え上げる。
誰も少年へ刃を向けなかった。
周りの騎兵も馬首を返す。亡骸を囲み、馬の歩調を落として、来た方へ退いていった。
迂回してきた上流へ戻るつもりだろう。ドルグは追わせず、残った敵の動きを兵に見張らせた。
川の方では、まだ剣の音がしていた。
ドルグはそちらを振り返る。勝ったことを、向こうの味方はまだ知らない。
「声をつなげ。敵にあいつが死んだと知らせろ。こっちの連中にも、まだやれると分からせるんだ」
そばの兵へ言ってから、息を吸った。
「ファルケンハインを討ち取ったぞ!」
バスティオンも声を張った。領兵が振り向き、その隣の兵が川岸へ走りながら同じ言葉を叫ぶ。
勝報が、戦っている列へ渡っていく。
敵の剣が一瞬止まった。ルミナスの盾に押し返された兵が、後ろを振り返る。
ライコは川へ顔を向けた。声が広がっても、敵の舟は近づいていた。先に渡った兵が、岸から離れたところまで押し込んでいる。
「戻るぞ。歩ける奴はついてこい」
ドルグが見張りと負傷した兵を後ろへ残し、動ける兵を集めた。キティも剣を握り直す。
ライコは大曲剣を持ち上げた。足をかばうと、いつものようには走れない。
それでも、川へ向かった。
◇
「ファルケンハインが、討たれた……?」
クアルデンの総大将は、戻ってきた伝令を見た。
対岸へ渡った部隊からの報告だった。敵が討ち取りを叫び、こちらの兵が動揺しているという。
総大将は川越しに前線を見た。すでに多くの兵が渡り、ルミナスの守りを押している。背後を突かれた敵は乱れ、盾を支える腕にも力が残っていない。
ここで止めれば、ファルケンハインの死が無駄になる。
あと一押しだ。
「渡る。兵を止めるな」
総大将は馬を乗せた舟へ乗り込み、先行部隊が押さえた岸へ向かった。
舟が着くと馬を降ろし、自ら鞍へ上がる。
若い頃には、先頭で敵陣へ斬り込んだ。今も、剣を握る腕は衰えていない。
馬を駆り、押し合う兵の前へ出た。
「顔を上げろ!敵はもう立っているだけだ!押せ!」
味方の盾へ伸びたルミナスの槍を、剣で斬り払う。すぐそばに総大将がいると知り、クアルデン兵が盾を前へ出した。
「ファルケンハインの死を、勝利に変えろ!」
総大将が剣を掲げる。
「英雄の弔いだ!」
一人の兵が叫び、ほかの兵も続いた。怯みかけていた列が、再び前へ出る。
◇
川岸の領兵は、盾の向こうを見ていた。
英雄を倒したと聞いた。隣の男と、声も上げた。
なのに、敵はまだ来る。
押し返したはずの盾が、また迫る。仲間の槍が折れ、叫びが上がった。
その領兵は後ろへよろめいた。列の背後まで退いたところで、脚から力が抜けた。尻餅をつき、槍を取り落とす。
起きなければ。
手を地面へついた。肘が震え、身体を持ち上げられない。
何日もまともに眠っていない。腕も脚も、もう自分のものではないようだった。
「まだ来るのかよ……」
男の声を聞いた隣の兵が、川へ顔を向ける。その唇からも、同じ言葉が漏れた。
敵の掛け声が大きくなる。
味方の列が、また下がった。
男は俯いた。落とした槍が、すぐ手の届くところにある。その柄さえ、握れなかった。
その横を、一つの影が駆け抜けた。
男は顔を上げた。
泥と血のついた背中。見覚えのある、大きな剣。
「あいつは……」
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