第54話 眠れぬ河岸
初めて敵を押し返したとき、川沿いには何度も歓声が上がった。
翌日も、その次の日も、敵の舟は来た。
ライコが岸を走ると、近くの領兵が槍を構え直す。キティが前へ出れば、隣の兵も声を張った。伯爵の大剣が敵を押し戻すたびに、後ろから槍が続いた。
それでも、対岸の兵は尽きなかった。
数日が過ぎる頃には、敵が退いても、兵たちは黙って水を飲むようになっていた。槍を置き、土手に腰を下ろす。初日に肩を叩き合っていた二人も、今は顔を上げなかった。
その夜、ライコは大曲剣を横に置いて眠った。
「舟だ!敵の舟が来るぞ!」
叫びとともに飛び起きる。寝床の脇へ矢が落ち、地面を叩いた。
ドルグはすでに兵を起こしていた。ライコも剣を掴み、河岸へ走る。
暗い水面から櫂の音がした。舟の影を見つけたとき、そこから矢が放たれた。盾を上げた兵のすぐ後ろで、誰かがうめく。
「火の前に立つな!盾の陰へ入れ!」
ドルグが倒れた兵を盾の陰へ引き入れた。土手では味方の弓兵が射返しているが、暗闇の舟へ飛ぶ矢は少ない。敵は岸へ上がらず、射撃を終えると闇へ戻っていった。
ライコは剣を握ったまま、舟の消えた方を見ていた。
寝床へ戻り、横になる。ようやく目を閉じたところで、また警報が鳴った。
◇
夜の襲撃は、それからも続いた。
警報に起こされて河岸へ出ても、舟がすでに引き返していることもあった。寝床へ戻っても、川の音に耳が向く。誰かが走る足音だけで、隣の兵が身体を起こした。
昼になれば、また舟が押し寄せる。
ライコは舟が着くたびに、川沿いへ目を走らせた。この数日、敵に押される持ち場を見つけては駆けつけていた。
隣の区画で、敵の盾に押された領兵がよろめいた。その肩が隣の男へぶつかり、槍の列に隙間が開く。
「ドルグ、隣へ行ってくる。ここを任せていい?」
「行け。こっちは俺たちで持たせる」
バスティオンが盾兵を前へ出し、ドルグが後ろへ兵を並べた。ライコはその列を確かめ、一人で隣へ走った。
隙間へ入り込んだ敵が、槍兵へ剣を振り上げていた。ライコは横から踏み込み、大曲剣で敵を盾ごと叩き倒した。
「ライだ……!」
よろめいた領兵が顔を上げた。何度も助けに来た少年を見て、槍を握る手に力が戻る。ライコが次の敵へ向くと、男もその横へ並んだ。敵の槍を受け止め、隣の兵と一緒に押し返す。後ろの兵も空いた場所へ進み出た。
敵が舟へ引き始めると、土手からキティが兵を連れて下りてきた。
「ここの交代に来た!あとは私たちに任せるのだ!」
連れてきた兵を岸へ並ばせ、キティも剣を抜いてその前へ立つ。領兵たちは槍を引き、交代の列の後ろへ下がった。
先ほどの男が途中で膝をついた。ライコが腕を支える。
「ゆっくりでいいよ」
男は頷き、ライコの肩を借りて土手の陰まで歩いた。腰を下ろすと、槍を抱えたまま目を閉じる。
ライコは自隊の持ち場へ戻った。ドルグたちは敵を押し返し、岸に列を保っていた。
セヴェロが土手を下りてきた。手の書付を見て、ドルグへ目を向ける。
「次は第十二中隊を下げます。夜の警戒にも出ていたでしょう」
「なら、ここの交代は?」
「隣から回します。こちらは列を詰めてください」
ドルグが周囲の指揮官へ声を掛けた。ライコたちが下がると、別の部隊が空いた持ち場へ入る。その兵たちも、目の下に濃い影を作っていた。
伯爵がセヴェロへ近づいた。
「援軍の知らせは?」
「まだです。交代を回して、持たせるほかありません」
セヴェロは書付を畳んだ。休める兵を増やせば、岸に立つ兵が減る。空いた場所を埋めるように列を動かし、また次の部隊へ歩いていった。
◇
対岸へ、新たな兵の列が着いた。
荷車と兵が、敵の陣へ入っていく。ライコは休憩を切り上げ、土手へ上がった。遠くの道から、まだ列が続いていた。
「二千ほどの増援が入ったとの報告です」
川の様子を見張っていた兵が、セヴェロへ告げた。
「向こうにか」
伯爵の声は低かった。セヴェロは返事をせず、列の中で進む旗を見つめていた。
「……ファルケンハイン」
「知ってるの?」
ライコが尋ねた。セヴェロは旗から目を離さない。
「クアルデンの騎士隊長です。あの旗印は、軍の報告で見ています。若くして名を上げ、いずれ国を背負うとまで言われている男です」
キティが身を乗り出した。
「ほう。では、強いのだな」
「彼の部隊もです」
セヴェロが短く答える。土手の下の河岸では、交代した領兵が槍を土手に立てかけ、横になっていた。
◇
翌日、敵の舟では、盾を掲げた兵が身を低くしていた。
まばらな矢を受けながら岸へ着く。先頭の敵が飛び降りると、すぐ後ろの兵が先頭の兵の隣へ盾を並べ、その横から槍が伸びた。
領兵の槍が、その盾へ突き込まれた。穂先を受けた敵が踏みとどまり、別の敵が盾の脇から斬りつける。
領兵が腕を押さえて退いた。その空きを埋めるより早く、次の敵が岸へ上がった。
「下がるな!私の後ろへ続くのだ!」
キティが長剣で敵の刃を受けた。押し返そうと踏ん張った足が、土を削る。横へ回る敵を見て、キティは剣を引き、斬りかかった男の腕を切った。
だが、倒れた男の後ろには、もう次の盾があった。
ライコは大曲剣を横から叩きつけた。盾を構えた敵が隣の兵へ倒れ込み、詰まっていた列が開く。バスティオンの兵たちがそこへ盾を押し込み、キティも前へ出た。
中央では伯爵が吼え、敵を水際へ押していた。それでも別の舟から敵が降り、味方は岸を離れられない。
ようやく敵が引くと、キティは長く息を吐いた。
「見事な兵だ。あの騎士隊長の部隊か」
セヴェロが頷いた。
「届いた報告では、その部隊が先頭に出ています」
「本人はどこにいるの?」
ライコは、敵の戻っていく川へ目を向けた。
「正面で戦ったという報告はありません」
ライコは、柄を握り直した。その強さを見てみたかった。だが、隣ではバスティオンが、負傷した兵を後ろへ運ぶよう命じていた。
ライコも剣を担ぎ、座り込んだ領兵へ肩を貸した。
◇
さらに数日、昼の攻撃と夜の警報が続いた。
前線から下がったライコが兵を休ませていると、セヴェロが伯爵を呼び止めた。二人は土手の陰へ入り、ライコも報告のために近づいた。
「この川沿いを、これ以上維持するのは難しいかと。撤退を進言します」
伯爵の笑みが消えた。
「ここを退いたら、どこで止める」
「領都まで戻る必要があります」
「その間の村はどうなる」
セヴェロは口を閉じた。伯爵が川とは反対側へ顔を向ける。
「畑も家もある。そこへ敵を通すのか」
「ここで軍が崩れれば、村も守れません。今なら、部隊をまとめて退けます」
伯爵は太い腕を組んだ。
「崩さねばよい。わしもまだ剣を振れる。娘も、ライもおる」
セヴェロが眼鏡を押し上げた。
「兵は、閣下と同じ身体ではありません」
「分かっておる!だから、わしが前へ出る!」
声を張った伯爵の手が、剣の柄を強く握った。
「ここを守る。村を渡して退くわけにはいかん」
セヴェロは息を吐き、手元の書付へ目を落とした。
ライコは、土手の陰で眠る兵たちを見た。槍を抱えたままの男が、遠くの叫び声に肩を震わせる。
伯爵は川へ向かって歩き出した。
ライコも、自分の剣の柄に手を置いた。
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