第53話 川を守る者たち
森で少女を助けた後、ライコは宿営地へ戻り、翌朝には仲間と町を発った。向かった先の任務を終え、帰路についた第十二中隊を、騎馬の伝令が呼び止めた。
「近くを通る軍の部隊を、河岸の防衛軍へ集めております。少しでも戦える者が欲しいとの命令です」
ドルグが差し出された書状を読み、バスティオンにも渡す。ライコは伝令の馬の汗を見てから、その顔へ目を戻した。
「向こうでは、もう戦ってるの?」
「クアルデン軍が対岸に集まっています。いつ渡ってきてもおかしくありません」
ライコは背の大曲剣を担ぎ直した。バスティオンが書状を返し、ドルグは兵たちへ進路の変更を告げる。
◇
河岸へ着くと、川の向こうに幾本もの旗が見えた。その下では、敵兵が舟を水際へ運んでいる。
こちら岸には槍を持った兵が並んでいた。鎧も盾も揃っていない。声を掛けられる前から持ち場へ走る者がいる一方、荷を抱えたまま立ち尽くす者もいた。
細身の男が、その兵へ場所を指し示す。眼鏡の奥の目は、兵の動きと対岸を忙しく行き来していた。
ドルグが部隊名を告げると、男は頷いた。
「第十二中隊ですな。マッチョリーニ伯爵の副官、セヴェロと申します。こちらへ」
案内された先で、ライコは思わず顔を上げた。
禿頭の大男が立っていた。鎧の下にも厚い筋肉が詰まっていると分かる。男は第十二中隊を見渡すと、白い歯を見せた。
「よく来てくれた!わしがバルク・マッソ・マッチョリーニだ!」
ドルグが、この防衛軍を率いる伯爵へ敬礼する。ライコも遅れて姿勢を正した。
「第十二中隊長、ライコです」
「話は聞いておるぞ。なるほど、それが噂の剣か!」
伯爵の視線が、背の大曲剣へ向いた。隣にいた女も、一歩前へ出る。
背が高く、長い髪が大きく波打っていた。整った顔立ちにライコが目を留めたとき、女はすでに剣の柄と刃の長さを見比べていた。
「おお!なんと見事な剣。ぜひ一度、手合わせ願いたい!」
ライコの顔が明るくなる。
「君も剣を使うの?」
「無論だ。キティ・マッチョリーニ。マッチョリーニ伯爵の娘だ」
腰の長剣を叩いたキティを、ライコが見つめる。ドルグが横から肩を押さえた。
「ライ。まずは命令を聞け」
「手合わせは敵を追い払ってからにしてください」
セヴェロが眼鏡を押し上げる。伯爵は口を開きかけたが、先にキティが大きく頷いた。
「それもそうだ!ライ、楽しみにしているぞ!」
伯爵は笑い、兵の並ぶ川沿いへ目を向けた。
「集められた兵は?」
「今来た第十二中隊を含め、八千。対岸の敵は一万と報告されています」
セヴェロが答えた。伯爵が頷く間にも、後ろの兵たちは槍を立てる場所を尋ね合っていた。
「領兵を集めて数は揃えましたが、互いの指揮官の顔も知らぬ者がいます。弓を扱える者も少ない。平地で押し合えば、崩れる場所が出るでしょう」
セヴェロは対岸で運ばれている舟を指した。
「ここなら敵も一度には来られません。渡ってくる兵を抑えれば、時間は稼げるかと」
「よし。川の向こうへ押し返せばよいのだな!」
伯爵が両手で大剣を持ち上げた。キティも川へ向き直る。
ライコが持ち場を尋ねようとしたとき、川沿いから叫びが上がった。
「舟が出るぞ!」
◇
舟の上で、敵兵が盾を並べた。こちら岸では、槍兵の後ろの土手で弓兵が矢をつがえて待つ。先頭の舟が射程に入ると、セヴェロが手を振り下ろした。
「射て!」
弦が鳴り、川へ矢が飛んだ。だが、矢はまばらだった。弓を引ける兵だけでは、次々と来る舟へ十分に射かけられない。
矢が盾へ刺さる。一隻の舟では漕ぎ手が肩を押さえ、櫂が止まった。それでも、ほかの舟は盾を掲げ、矢の間を抜けて進んでくる。
弓兵は次の矢をつがえた。舟が岸へ迫ると、味方の槍兵に近い水際は狙わず、まだ川の上にいる舟へ狙いを移す。
近づいてくる兵の顔が見え始めると、領兵の列から誰かが半歩退いた。その肩が後ろの兵へ当たり、槍の穂先が左右に揺れる。
「何を情けないことを!こういう時はドンと構えるのだ!」
キティが列の横へ入った。抜いた長剣を低く構え、舟から目を離さない。
「私もここにいる!来た敵を一緒に押し返すぞ!」
下がった兵がキティを見て、槍を握り直した。
舟底が岸に触れた。敵が水へ飛び降り、盾を掲げて駆け上がる。
「ここを通れると思うな!」
中央で伯爵の大剣が振り下ろされた。敵の盾が割れ、受けた男が水際へ倒れる。続く敵の槍を、伯爵の左右にいた兵が突き返した。伯爵はその間から踏み出し、次の敵へ大剣を叩きつける。
キティの長剣が、盾の脇から出た槍を払い上げた。敵が引き戻すより早く、横へ踏み込んで敵を斬り退けた。キティの背へ別の槍が向いたが、隣の領兵が自分の槍で押さえた。
「よくやった!その調子だ!」
キティの声に、兵が歯を食いしばって敵を押した。
ライコも大曲剣を抜いた。だが、伯爵の方へ走りかけた足を止める。
少し離れた岸へ、別の舟が着いた。降りた敵が、先に上陸した敵と戦う領兵の横へ回ろうとしていた。
「あっちだ!横から来る!」
ライコは敵と領兵の間へ走った。盾がこちらを向く。大曲剣を下から振り上げると、盾を支えていた腕ごと敵の身体が浮いた。跳ね上がった盾が、その敵の後ろにいた兵へぶつかる。
その隙にバスティオンの盾兵が岸へ並び、舟から降りる敵の前を塞いだ。ドルグが領兵へ叫ぶ。
「前だけを見るな!こっちにも槍を向けろ!」
ライコを追っていた第十二中隊の兵が、盾兵の間から敵へ斬りかかった。領兵も列を曲げ、敵の横回りを止める。
川の上では、さらに舟が近づいていた。土手の弓兵は、岸で戦う味方の頭越しに、川の上の舟へ射撃を続けている。
セヴェロが、ライコたちの列の外側へ接岸しようとする舟を指した。
「あの舟を狙え!横へ回らせるな!」
矢を受けた漕ぎ手が舟の中へ崩れた。舟が流れに押され、下流側を進んでいた別の舟とぶつかる。
岸の敵が振り返った。そのとき、伯爵の怒号が響いた。
「押し返せ!今だ!」
大剣が敵の列へ食い込んだ。領兵の槍が続き、キティも長剣を振るって敵を水際へ追いやる。ライコたちの前でも、敵が舟へ向かって下がり始めた。
追おうとする兵を、ドルグが岸で止める。敵が乗り込んだ舟は、矢を受けながら対岸へ戻っていった。
◇
肩で息をしていた領兵が、槍の柄を見下ろした。隣の男がその肩を叩く。
「止めたぞ。俺たちで止めた」
声を掛けられた領兵は頷き、今度は自分から槍を立て直した。伯爵がその前を通り、声を張る。
「よう踏ん張った!次も頼むぞ!」
兵たちの返事が重なる。キティは長剣を拭いながら、ライコの大曲剣へ目を向けた。
「むう……あれほどの剣を、ああも振るうとは。ますます手合わせしたくなったぞ」
「俺も。さっきの槍の払い方、もっと近くで見たい」
ライコが笑う。キティも大きく笑って、その肩を叩いた。
セヴェロは二人のそばを通り、川へ目を向けた。
戻った舟から負傷兵が運び出されている。運ぶ者たちのさらに奥には、渡河を待つ敵兵が並んでいた。
こちらの兵は、槍を握り直している。
対岸の旗も、一本として下がってはいなかった。
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