第36話 狼の首
四日目の朝、ライコの前に百人の兵が並んだ。
傷の残る鎧に、手入れされた武器。立ち話をする者はなく、ペドルが近づくと、一斉に背筋が伸びる。
ペドル軍から選ばれた精鋭だった。
「この百人を、お前に預ける」
ライコは兵たちを見渡し、ペドルへ向き直った。
「今日は、助けに走らなくていいの?」
「今日は敵を破ってもらう。詳しい話をしよう。ドルグとバスティオンも来てくれ」
ペドルは三人を連れて天幕へ入り、卓へ地図を広げた。
右軍と左軍を示す駒を置き、敵の駒を左軍へ近づける。
「ドエゴン軍は、今日も持たんだろう。敵はそこを追って、深く入り込んでくる」
「また、あちらを支えるのですか」
ドルグの問いに、ペドルは頷いた。
「ただし、昨日までのようには兵を送らん。左軍が潰れないだけの援護にとどめ、後退は止めない。私が両軍の間を支える」
右軍の駒を一つ、外側へ動かす。
「その間に、ライコの中隊は右から大きく回り込め。百人の精鋭も連れていくんだ」
「横から攻めるんだね!」
「狙うのは、敵の将軍だ」
ライコが顔を上げた。
「一番偉い人?」
「そうだ。敵が左軍を追って伸びれば、将軍を守る兵も動く。その隙を見つけ、一気に突き抜けろ」
ペドルは指で敵の駒を押した。
左軍へ向かった兵の後ろに、将軍の駒が残る。
「尻尾に食いついた狼の、首に噛みつくんだ」
「そっか!昨日の犬と同じだ!」
ライコの目が輝いた。
だが、ドルグは地図を見たまま眉を寄せている。
「早すぎれば、敵がこちらへ向き直ります。遅ければ、左軍が崩れますな」
「ああ。だから、仕掛ける瞬間はライコに任せる」
ペドルはライコへ向き直った。
「お前は、何度も崩れそうな場所を見つけた。今度は、敵を見てくれ。どこから入れば将軍まで届くか、いつなら抜けるか。それを見極めろ」
ペドルは地図の将軍の駒を指で押さえた。
「この戦いの勝ち負けは、お前にかかっている。できるか?」
ライコは真剣な顔でペドルを見つめ、力強く頷く。
「うん。絶対に将軍を倒す」
ペドルはその目を見たまま、頷き返した。
「左軍は、私が持たせる。頼んだぞ」
◇
国境の平原に、また両軍が向かい合った。
ルミナスの左軍は、今日も後ろにいる。
ペドルは右軍の左端へ兵を回し、両軍の継ぎ目を支えた。第十二中隊と精鋭百人は、右軍のさらに右奥で待つ。
トロス軍の角笛が響いた。
怒号が平原を渡り、槍の列が押し寄せる。
最初の衝突から、左軍は押された。
後ろに配置されても、敵が来れば戦わねばならない。ドエゴンの兵は盾越しの圧力に耐えられず、じりじりと下がっていく。
「援軍はまだか!ペドルにもっと兵を出させろ!」
ドエゴンの怒声が飛んだ。
ペドルは二つの部隊を送り、逃げようとする兵と敵の間に盾を並べさせる。左軍はそこで踏みとどまったが、敵を押し返せるほどの援軍ではなかった。
トロス軍がさらに兵を進める。
昨日まで、何度もあと一歩で崩せなかった相手だ。今度こそ潰す。その勢いに押され、左軍の旗が後ろへ移った。
ペドルは両軍の間を埋め続けた。
下がる左軍に合わせて兵を動かし、右軍の横へ入ろうとする敵を槍で追い払う。
敵を誘い込むための後退だ。
しかし、一度でも支え損ねれば、そのまま本当の敗走になる。
◇
ライコは大曲剣を抱え、敵の旗を見ていた。
槍が密集していた場所から、兵が左軍へ向かって動く。
その後ろに、ひときわ大きな旗がある。周りには馬上の騎士と、旗のもとへ駆け寄る伝令たち。
「ドルグ。あの旗のところ?」
「ああ。敵の将軍がいる」
ライコは旗の手前へ目を戻した。
まだ、こちらに盾を向けている兵が多い。
「ライ、どうだ?」
バスティオンが尋ねる。
「まだ。あそこを抜けようとしたら、みんなこっちに来る」
左軍から悲鳴が上がった。
精鋭の一人が身じろぎしたが、踏みとどまった。今日は救援へ行く命令ではない。
敵の後方で、伝令が馬を走らせた。
旗の前にいた一隊が動く。左軍へ進む味方の後に続き、こちらへ向けていた盾も前方へ揃えた。
「今だ!」
大曲剣を担ぎ、右軍の外側へ走り出す。
「みんな、行こう!」
第十二中隊と精鋭百人が続いた。
敵の正面へは向かわない。右へ大きく膨らみ、戦場の外縁を駆ける。土煙を引く兵の列が弧を描き、トロス軍の側面へ迫った。
敵兵が振り返る。
敵兵が槍を向け直すより早く、ライコが飛び込んだ。
担いだ大曲剣を斜めに叩きつける。
受けた槍の柄が弾け、刃はそのまま兵の胸を裂いた。踏み込んだ勢いを殺さず、ライコが敵の列を駆け抜ける。
巨大な刃が、暴風のような勢いで翻った。
ライコは身を捻って振り返り、斬りかかった敵の剣を巻き上げ、その胸を逆袈裟に斬り裂く。
「止めろ!横から来たぞ!」
盾を構えたトロス兵へ、精鋭たちが突っ込んだ。盾を押さえる者と、その脇から剣を突き入れる者。息の合った攻撃で、向き直りかけた敵を押し潰す。
ドルグたちも続き、バスティオンの小隊が外側から迫る敵を防いだ。
ライコの視線は、奥の旗を捉えていた。
その前へ、白い騎馬が走り込んでくる。
「えっ……あの人!」
ライコの目が見開かれた。
左軍の騎兵を蹴散らしていた白い騎士だ。今日も左軍を攻めていると思っていた。
その男が、将軍への道を塞ぐように現れた。
◇
少し前。
ガスパールは白狼騎士団を率い、ルミナスの左軍へ攻撃を重ねていた。
昨日よりも、明らかに敵が脆い。
騎兵が横を駆け抜ければ、盾の列が乱れる。歩兵がそこへ押し寄せると、ルミナス兵はたまらず後退した。
このままなら、今日こそ潰走させられる。
だが、胸の奥に引っかかるものがあった。
うまくいきすぎている。
昨日はもっと、手強かったはずだ。
ガスパールは敵の戦列を見渡した。
そうだ。何度も崩れかけた部隊を救っていた、あの一隊。
巨大な剣を振るう少年が駆けつけると、周囲の兵まで異様な気迫を帯びていた。
今日は、その気配がない。
ガスパールは後方の将軍旗を振り返った。
あそこまで戻れば、戦場全体の動きを確かめられる。
何より、この胸騒ぎを放っておけなかった。
「三隊は攻撃を続けろ。一隊、私についてこい!」
ガスパールは自分の隊と呼び寄せた一隊を率い、馬首を返して将軍のもとへ急いだ。
後方まで戻ったとき、味方の側面で土煙が上がった。
その中に、巨大な剣が閃く。
ガスパールは槍を構え、馬の腹を蹴った。
◇
「ライ!騎兵だ!」
ドルグの声に、ライコが顔を向ける。
白い騎士が一人、仲間の先頭へ出た。脇に抱えた突撃槍が、馬の疾走に揺れることなくライコを狙っている。
ライコの口元に、思わず笑みが浮かんだ。
「あの人、強い!」
「時間をかけるな!左軍が持たんぞ!」
ライコは大曲剣を構えた。
敵将軍の旗は、白い騎士のさらに向こうで揺れている。
「分かってる!」
蹄の音が轟いた。
白狼の牙が、ライコの胸めがけて襲いかかった。
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