第32話 崩れる左軍
翌朝、トロス軍が陣の前に並んだ。
援軍の千人が加わり、敵は三千に増えていた。盾と槍の列から、焼かれた村の名を叫ぶ声が上がる。国境越しにこちらを見据える顔には、怒りが浮かんでいた。
ルミナス軍も、東のペドル軍と西のドエゴン軍が並んで受ける。それぞれの旗の下に兵が集まり、二つの軍の継ぎ目には間が残っていた。
ペドル軍は二千人。ドエゴン軍は、越境させた五百人の損害を抱えていた。戻らなかった者も多く、生きて帰った兵にも傷を負った者がいる。
敵陣から角笛が鳴り響いた。
トロス軍の前列が動き出し、国境を越えて迫った。盾の縁がぶつかり合い、足音が平原を渡ってきた。
「まだ引きつけろ」
ペドルの命令が伝わり、右軍の前列は持ち場で待った。敵が近づく。顔が見え、怒鳴り声まで聞き取れる。
「今だ。槍を構えろ!正面で受け止める!」
ペドルの旗が上がった。盾がそろい、その間から槍が前を向く。そこへトロス軍がぶつかった。
盾が激しく鳴り、前列の兵の足が土を削る。下がりかけた兵の背を、後ろの者が支えた。トロス兵は押し返されても、すぐに次の者が盾を構えて踏み込んでくる。
第十二中隊も、右軍の前列で迎え撃った。ライコが大曲剣で槍を払い、バスティオンの盾兵がその脇を守る。前へ出すぎた敵は、ドルグの小隊が槍で押し戻した。
「ライ、ひとりで行くなよ!」
「分かってる。みんな、来て!」
ライコは後ろの足音を確かめて踏み込んだ。敵の槍を弾き払い、仲間が前へ出る場所を作る。
右軍は持ちこたえていた。一方、西のドエゴン軍では、命令の声が変わった。
「前へ出ろ!」
ドエゴン軍で上がった命令は、すぐに「退くな!」という怒鳴り声になった。前列が押し戻されると、隣の隊も側面を攻められるのを恐れて下がる。負傷者と踏みとどまる兵がぶつかり、乱れた列へトロス兵が入り込んだ。
「左軍との間が開いています!」
伝令がペドルの馬へ駆け寄った。西を見ると、ドエゴン軍の旗が後ろへ遠ざかっている。空いた間から敵が入れば、右軍は横から攻められる。
「西端の二隊を回せ。まず間を塞げ!」
二隊が左へ走った。薄くなった右軍の正面を、残る兵が広がって守る。そこへトロス軍が押し込み、盾の列が揺れた。
次の伝令がペドルのもとへ走り込む。
「左軍の前列が、また下がりました!」
「第十二中隊を向かわせろ!」
伝令が駆け出した。ペドルは隣の部隊を動かし、第十二中隊が抜ける持ち場を埋めさせた。
◇
救援命令を聞いたドルグが、西を指した。
「ライ!左だ!」
ドエゴン軍の兵が押し込まれ、その後ろの隊まで退き始めていた。先に来た二隊だけでは、広がる隙間を塞ぎきれない。
ライコは大曲剣を構えて走った。ドルグの小隊と、バスティオンの盾兵が続く。
味方を追い立てていたトロス兵が、ライコへ槍を突き出した。ライコは大曲剣で横から弾き、踏み込んで刃を打ち下ろす。
盾で受けた兵が、岩でも落ちたような重い音とともに膝をついた。ライコがその盾を刃で横へ押しのける。開いた場所へ、ドルグたちが駆け込んだ。
「味方か?」
逃げかけていた左軍の兵が振り返った。
「右軍のライコ中隊長だ!助けに来たぞ!」
第十二中隊の兵が声を張る。ライコは迫る敵の槍を払い、振り返った兵たちへ叫んだ。
「ここに並んで!まだ守れる!」
バスティオンの隊が盾をそろえ、敵の突きを受け止めた。退いていた兵もその隣へ戻り、自分の盾を構える。
ドルグは後ろへ下がる兵の腕をつかみ、盾兵の脇を指した。
「そこだ。槍を前へ向けろ。隣の奴と一緒に守れ!」
兵が槍を構え直す。ライコが敵を押し返し、バスティオンたちが空いた場所を守った。崩れかけた列が、もう一度つながる。
だが、一か所を支えたところで、別の場所から救援を求める声が上がった。立て直した列を左軍の兵に任せ、ライコたちは次の場所へ走った。
日が傾くまで、ペドルは右軍から兵を送り続けた。左軍が下がるたびに間を埋め、その分薄くなった右軍の正面を守り直す。片方が破れれば、もう片方も横から攻められる。
日没とともにトロス軍が引き揚げ、ルミナス軍も負傷者を運んで陣へ戻った。左軍は初日から何度も崩れかけた。救援を出し続けた右軍にも、負傷者が増えている。
牽制に来たはずが、味方の一軍を失いかねない戦いになっていた。
◇
その夜、ペドルはドエゴンの天幕を訪れた。
部下たちが地図を囲み、翌日の配置を話し合っている。そのすぐそばで、ドエゴンは厚切りの肉を頬張り、酒を飲んでいた。卓には白パンや果物まで並んでいる。
「今日、こちらから三度、兵を左へ送りました」
ペドルは声を荒らげなかった。
「次も同じように左軍が下がれば、右軍を守る兵が足りなくなります。部隊を動かすときは、こちらにも知らせてください」
ドエゴンが杯を置いた。
「私の軍の動かし方まで、お前に指図される筋合いはない」
「指図ではありません。両軍の間を守るために必要な報告です」
「トロスは三千。こちらはまだ数で勝っておる。お前の兵がもっと前へ出れば済む話だ」
地図を囲んでいた部下たちが口を閉じた。ペドルは言葉を選び直す。
「左軍が退けば、敵は右軍の横へ入ります」
「だから何だ。今日はお前の兵を送って防げたではないか」
ペドルはドエゴンを見た。明日も同じことができるとは限らない。だが、繰り返しても聞く気はないらしい。
「では、明朝の配置だけでも知らせてください。継ぎ目を守る部隊を把握しておきたい」
ドエゴンが顎で部下に指図した。配置を書いた紙が運ばれてくる。ペドルは受け取り、天幕を出た。
外では、負傷者を運ぶ兵の声がまだ続いていた。明日、左軍が今日より早く退いたら。残された兵で両軍の間を守りきれるか、ペドルには分からなかった。
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