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第31話 国境の向こうから

 トロス軍の陣で、旗が動いていた。


 朝から伝令らしい騎兵が出入りし、正面の隊列からも兵が陣の奥へ移っている。何をしているのか、遠目には分からない。ただ、後方へ続く道には馬の姿が絶えなかった。


「攻めてくるのか?」


 見張りの兵が言った。ドルグは敵の列を見渡す。


「まだ分からん。正面の槍は動いていない。見張りを増やしておけ」


 ライコも敵陣を見た。盾と槍の列は昨日と変わらず、その後ろで馬が何度も行き来している。


「後ろで何かあったのかな」


「さあな。動き出せば、見張りが知らせる」


 ドルグも敵陣から目を離さなかった。


 報告を受けたペドルは、西のドエゴン軍へも伝令を出した。返事は、特に変わりはないというものだった。


 その日は戦いにならなかった。翌日も、トロス軍の陣では騎兵が出入りしていた。


 数日後の昼過ぎ、国境の向こうに土煙が上がった。


「敵国側から兵が来ます!」


 見張りの声に、ライコたちも前方を見た。土煙の下で人影が揺れ、こちらへ向かってくる。旗はなく、列も乱れていた。


「トロス軍か?」


 近くの兵が言う。隣の男が目を凝らした。


「待て。あの鎧(よろい)……」


 近づくにつれ、泥に汚れたルミナス軍の軍服が見えてきた。走る兵が何度も後ろを振り返る。足を引きずる者に肩を貸し、進ませている兵もいた。


「味方だ!」


 陣がざわめいた。ペドルは眉をひそめる。国境を越えていた部隊があるなど、聞いていない。


 逃げる兵の後ろに、別の土煙が広がった。トロス軍の旗が見える。追撃する騎兵の列は、逃げてくる一団よりはるかに長い。


「騎兵です!五百はいます!」


 見張りの報告を聞くと、ペドルは馬に乗った。


「右軍、前へ!あの兵たちを助けるぞ!」


 命令の旗が上がり、二千人が陣から動き出した。第十二中隊も列に加わる。ライコが大曲剣の柄を握ると、ドルグが声をかけた。


「ライ、勝手に飛び出すな。まずは逃げてくる連中を通す」


「分かった」


 ライコは隊の先で歩調を合わせた。


 国境を越えて戻った兵たちが、ペドル軍の隊と隊の間を抜け、後方へ走っていく。その前を守るように、右軍が国境のこちら側で列を整えた。


 二千人が迫るのを見て、追撃していたトロス騎兵が足を止める。敵の列で退却を告げる旗が振られ、兵たちは向きを変えた。


 ペドルは国境を越えなかった。最後の味方が戻るまで前に兵を置き、追撃軍が離れたのを確かめてから、自軍を陣へ引かせた。


     ◇


 救い出した兵への手当てが始まった。腕に布を巻かれる者。血のついた鎧(よろい)を着たまま、その場に座り込む者。


 ペドルは、まだ話せる兵の一人の前で足を止めた。


「なぜ、国境の向こうから戻ってきた」


 兵は答えない。ペドルの後ろにはドルグとバスティオンがいた。ライコも少し離れて、男を見ていた。


「誰の命令で越境した?」


「……プライデル伯爵です」


 ペドルの眉が動いた。


「何をしに行った」


 兵はうつむき、膝(ひざ)の上で泥まみれの手を握り締めた。


     ◇


 数日前、ドエゴンは左軍から五百人を集めさせていた。


 指揮を任された騎士が天幕へ入ると、ドエゴンは地図の国境線を指でたたいた。


「我らが四千も並んでいるのに、トロスの連中は動こうとせん。少し痛い目を見せれば、シーネルへ向かう兵も引き返すだろう」


「公爵閣下からは、越境するなと」


「牽制(けんせい)のために来ているのだ。敵の目をこちらへ向けさせて、何が悪い」


 騎士が口を閉じると、ドエゴンは鼻を鳴らした。


「敵領を襲え。食糧でも家畜でも、使えるものは持ち帰る。敵が無視できん程度に痛めつけてこい」


 その夜、五百人は陣を出た。ペドル軍に知らせは届かなかった。


 翌朝、国境に近い村へ着いたとき、村人はすでに畑へ出ていた。穀物を入れた倉へ兵が押し寄せる。戸を閉めようとした男を突き飛ばし、戸を破って袋を運び出した。


「待ってくれ。それを持っていかれたら、子どもに食わせるものがなくなる」


 男は兵の腕にすがりついた。兵が振り払おうとしても、男はその腕を離さない。兵は槍を男の腹へ突き立てた。男は倉の戸にもたれ、ずるずると崩れ落ちる。


 畑から戻った村人が、その名を叫んだ。家畜を引いていた兵が剣を抜き、叫んだ村人へ向かう。逃げる者にも矢が放たれた。


 騎士が村を出るよう命じるころには、家の屋根から火が上がっていた。


 次の村でも兵たちは倉や家へ入った。奪った荷が増え、行軍は遅くなる。それでも、戦わずに物が手に入ると喜ぶ者がいた。食糧だけでなく金品をあさる兵もいたが、止める者はいなかった。


 報せを受けたトロス軍は、正面の兵をルミナス軍の監視に残し、後方へ伝令を走らせた。逃げ延びた村人から、焼かれた家や殺された者の話が届く。


 五百人が帰路につくころ、トロス国内から駆けつけた援軍千人が、その先へ回り込んでいた。騎兵五百人と、歩兵五百人の部隊だった。


 見通しの悪い丘の間へ入ると、前方に歩兵の盾が並んだ。足を止めたルミナス兵へ、左右の斜面から矢が降る。


「荷を捨てろ!東の丘を越える!」


 騎士が叫んだ。兵たちは穀物の袋を放り出し、家畜をつないだ綱を切った。荷車を捨てる間にも、丘からトロス兵が駆け下り、逃げ遅れた者へ襲いかかる。


 騎士は近くの兵を集め、東の斜面へ突っ込んだ。そこを守る敵兵を押しのけ、丘を越える。続く兵たちも、振り返らずに駆け下りた。


 ドエゴン軍へ戻る西の道には、敵の盾が並んでいる。東のペドル軍を目指すしかなかった。


 背後からトロスの騎兵五百人が追いすがった。


     ◇


「……村を襲いました」


 兵は目を上げなかった。


「倉から食糧を運びました。家に火をつけた兵もいます。止めようとした者を……」


 その先は声にならない。


 ペドルは口を結んだまま、男を見ていた。


「クレイル伯爵」


 伝令が駆け寄ってきた。ペドルが顔を向ける。


「敵の援軍千人が、正面のトロス軍と合流しました」


 ペドルは国境の向こうを見た。追撃から戻った部隊の旗が敵陣に加わっている。その下へ兵が集まり、槍の列が横へ広がっていった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます!


久しぶりの小説執筆なので、誤字脱字や「ここが分かりにくい」「こうした方が読みやすい」と感じたところがあれば、気軽に教えていただけるとうれしいです。

「この部分が分からなかった」の一言だけでも、とても助かります!


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