第30話 国境の夜
国境へ向かう前、ペドル軍に加わる中隊長たちは、指揮用の天幕に集められた。
ライコが入ると、近くの男が話を止めた。視線が顔から軍服へ落ち、また顔へ戻る。ほかの中隊長も、ちらりとこちらを見た。
「あれが第十二中隊長か」
誰かの小声が聞こえた。ライコが声の方を見ると、相手はもう地図へ目を向けていた。
天幕に集められたのは、中隊長とそれぞれが伴った側近だけだ。ライコの左右にも、ドルグとバスティオンが並ぶ。
奥ではペドルが名乗りを受けていた。一人ずつ地図で持ち場を示し、隣に配置される隊を教えている。
自分の番になると、ライコも前へ出た。
「第十二中隊長、ライコです」
「ペドル・クレイルだ。国境では、俺の軍が東側を受け持つ。お前の中隊はここだ」
ほかの中隊長にしたのと同じように、ペドルは地図を示した。ライコが身を乗り出し、ドルグも横から配置を覗き込む。
「隣の中隊とも顔を合わせておけ。敵が動いたら、まず互いに知らせろ。陣を離れるときは、俺のところにも伝令を出せ」
「分かりました」
ペドルは頷き、次の中隊長を呼んだ。
天幕を出ると、バスティオンがライコを見る。
「ずいぶん見られてたな」
「そう?」
「お前が入ったとたん、近くの連中が黙っただろ」
ライコは少し考えた。男たちの顔よりも、地図に示された敵陣の位置が浮かぶ。
「向こうが、思ったより近かった」
ドルグが笑い、バスティオンは肩をすくめた。
◇
国境に近づくにつれ、前方で警戒する味方の見張りが目につくようになった。
平原へ出ると、トロス軍の旗が見えた。進むうちに、その後ろにも横にも旗があると分かる。槍を持つ兵の列が続き、後方には天幕が並んでいた。
ペドルの二千人は東側、ドエゴンの二千人は西側へ展開した。この地点のルミナス軍は合わせて四千。国境を挟んで向かい合うトロス軍は二千だった。
第十二中隊はペドルの右軍に入る。持ち場から西を見ると、味方の列の向こうにドエゴン軍の旗が小さく揺れていた。あちらへは声が届かない。何かあれば、伝令を走らせなければならない距離だ。
正面のトロス軍は、こちらより列が短かった。それでも、盾と槍の並びに目立つ切れ目はない。
両軍の間には、弓の届かない距離があった。敵の旗が動けば見張りが知らせ、隊列が横へ伸びれば、こちらもその先を警戒する兵を動かした。
どちらも前へは進まない。見張りが交替するたび、新しく立った兵はまず向こうの陣を確かめた。
陣を張り終えるころ、日は西へ傾いていた。荷を降ろす音、杭を打つ音、馬をつなぐ兵の呼び声。いつもの野営と同じ作業の合間に、兵たちは何度も国境の向こうへ顔を向けた。
夜になると、トロスの陣にも火がともった。こちらより数は少ないが、暗がりの向こうに灯りの列が続いている。
第十二中隊も交替で食事を取った。
火のそばで、ライコは器を手に敵陣を眺めていた。あの火のそばにも、剣を持った者がいる。
「ライ。飯が冷めるぞ」
隣のドルグに言われ、振り返る。
「食べてるよ」
「なら、口へ運べ」
ライコが一口食べたところで、背後から足音が近づいた。
「邪魔するぞ」
ペドルが火の明かりの中へ歩いてきた。ライコとドルグが立ち上がると、片手を上げて座るよう促す。二人は腰を下ろし直した。
「中隊長たちの陣を順に回っている。ここは、どうだ」
「見張りは置いています。敵にも、今のところ大きな動きはありません」
ドルグの返答を聞き、ペドルは少し離れた見張りへ目を向けた。兵は国境の向こうの火を見つめている。
「よし。交替だけは忘れるな。あれを一晩見続けろと言われても、朝までもたん」
「承知しました」
ペドルは火を挟み、ライコの向かいへ腰を下ろした。
「ルクシオンから、お前の話は聞いていた。一度、話してみたくてな」
「俺の?」
「強い相手を見つけると、真っ先に向かうそうだな」
ライコの顔が明るくなる。
「うん。あっちにもいるかな」
ドルグにじろりと見られ、ペドルへ言い直した。
「あっちにも、強い人はいますか?」
「いるだろうな。だが、会いに行くなよ」
ペドルは敵陣へ目を向けた。
「俺たちがここにいる間、向こうの二千はシーネルへ行けん。敵を倒さなくても、シーネルを助けている」
ライコは器を置いた。
「戦わないで助けるって、やっぱり変な感じだ……です」
「ここは軍議の場じゃない。普段どおりに話して構わんよ」
「うん。でも、ずっと見合ってるだけ?」
「向こうがこちらを警戒している限り、この軍を放ってシーネルへは行けん。それでいいんだ」
ライコは黙って、敵陣の火を見た。
「向こうから攻めてきたら、戦っていいんだよね?」
「ああ。そのときは守れ。だが、こちらから国境を越えるな。お前の中隊にも、そう伝えておけ」
「分かった」
ライコが頷くと、ペドルはわずかに笑った。
「頼んだぞ」
立ち上がったペドルを、二人も腰を上げて見送る。次の中隊の陣へ歩く背中の向こうで、トロス軍の火が風に揺れていた。
◇
西側の陣では、ドエゴンが地図を前にしていた。
トロス軍二千に対して、こちらは四千。地図の駒を見ても数の差は明らかだ。だというのに、公爵は国境を越えるなと命じていた。
「ただ睨み合って帰れば、何の手柄になる」
側近は返事をしなかった。ドエゴンはペドルの持ち場を示す駒に目をやり、舌打ちした。
「左軍から五百、動かせる兵を選んでおけ」
「どちらへ向かわせるのですか」
ドエゴンは答えず、地図に引かれた国境線の向こうを指した。
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