第2話 第十小隊
ドルグに案内されて国境近くの大きな町へ着くと、ライコは何度も上を見た。
建物の屋根の向こうに、また別の屋根が見える。道には荷車が行き交い、店の前では人々が声を張り上げていた。
「よそ見してるとはぐれるぞ」
ドルグは人混みを抜けていく。ライコは後を追いながら、剣を下げた兵士が何人も通るのを見た。
「ここに軍がいるのか?」
「ああ。国境が近いからな」
「強い人もいる?」
「着いて早々、それか」
ドルグが足を止めたのは、町でもひときわ大きな屋敷の前だった。
入口の兵に声をかけ、ライコを連れて中へ入る。廊下を進み、一つの部屋の前で振り返った。
「いいか、余計なことは言うなよ。聞かれたことだけ答えろ」
「うん」
「返事は『はい』だ」
「はい」
ドルグが扉を叩く。
「ドルグです」
「入れ」
「失礼します」
部屋では、紙をめくる音がしていた。
第十二中隊長ユリスは、机に向かっていた。
十八歳。金髪に細い目をした、まだ若さの残る顔をわずかに傾け、書類へ筆を走らせている。
一枚を読み終えると脇へ置き、次の一枚を引き寄せる。途中で別の書類と見比べ、迷う箇所では筆を止めたが、確かめればすぐにまた動かした。
机の上には、まだ紙の山がある。それでも、片づけた側の山は着実に高くなっていた。
「それで、何だ」
ユリスは顔を上げなかった。
「先ほどお話しした者を連れてまいりました。私の小隊へ加えたく存じます」
「ああ、補充か」
ユリスが書類へ何かを書き込んでいる間、ライコは机のそばに立つ男を見ていた。
剣を帯びた騎士だ。構えてもいないのに、すぐ動き出せそうに見える。足の置き方も、部屋へ来るまでに見た兵士たちとは違った。
強そうだ。
剣を抜いたところを見てみたい。
ライコが男の腰へ目をやると、男もライコを見た。
「ドルグ。その子供が盗賊を倒したというのか」
「そうです、エドラス殿」
ユリスの筆が止まる。
「子供?」
ようやく顔を上げたユリスは、ドルグの隣にいるライコを見て、細い目を丸くした。
「おい、本当に子供じゃないか」
「十四歳です」
「十四……」
ユリスは椅子にもたれ、ライコの顔から肩、腰の剣へと目を移した。
「お前、名前は?」
「ライコ」
横からドルグに睨まれ、ライコは少し遅れて言い足す。
「……です」
「盗賊を何人も倒したって?一人で?」
「はい」
ユリスはドルグを見た。
「話が大きくなってないか?」
「第十小隊で使えると判断しております」
「盗賊を倒せたからって、兵士として使えるとは限らないぞ」
「承知しております」
ライコは口を挟まなかった。
聞かれたことだけ答えろと言われている。今の話は、ライコに向けられたものではない。
ユリスは書類を一枚引き寄せた。
「第十小隊は欠員があったな」
「はい」
「なら、好きにしろ。ドルグが使えると思うなら、それでいい」
ユリスは紙に筆を入れた。ドルグが頭を下げ、ライコもそれに倣う。
これで兵士になったらしい。
だが、剣を振ってみろとも、誰かと戦えとも言われなかった。
顔を上げると、エドラスはまだライコを見ていた。ライコが見返しても、目を逸らさない。
そのとき、廊下を駆けてくる足音がした。
扉が激しく叩かれる。
「伝令です!」
「入れ」
兵士が部屋へ飛び込んできた。肩で息をし、額には汗が浮かんでいる。
「国境沿いに敵軍が現れました!我が隊も招集されています!」
「何だって!?」
ユリスは椅子を鳴らして立ち上がった。
「敵軍?もう招集がかかっているのか?」
「はい!」
ユリスは机の上へ目を落とした。処理を終えた書類と、これから片づける書類が、きれいに二つの山へ分かれている。
その片づいていない方を見て、顔をしかめた。
「よりによって今日かよ……。エドラス、全小隊へ伝えろ。出陣の準備だ」
「はっ」
「ドルグ、お前も急げ」
「承知しました」
ドルグがライコの肩を押し、部屋の外へ連れ出した。
◇
屋敷の外へ出たときには、町の空気が変わっていた。
兵士が通りを走り、馬が厩から次々に引き出される。倉庫の前では、槍や盾を抱えた男たちが怒鳴り合っていた。
「ライコ、ついてこい。まず第十小隊へ連れていく」
「もう戦うの?」
「ああ。今日お前を連れてきたのが、運がいいのか悪いのか分からんな」
「俺はよかった」
「何がだ」
「すぐ戦えるから」
ドルグは横目でライコを見たが、足は止めなかった。
連れていかれた兵舎の前では、兵たちが革鎧を身につけ、荷物をまとめていた。壁際には槍が並べられ、その隣には訓練用の木剣が立てかけられている。
「ここが第十小隊だ」
ドルグは集まっていた兵たちへ声を張った。
「今日から、こいつを隊へ加える。名はライコだ」
兵たちの視線が、一斉にライコへ集まった。
「子供じゃねえか」
「隊長、こんなの連れて戦場へ行くつもりですか?」
「決めたのは俺だ。文句があるなら、戦が終わってから聞く」
ドルグはそう言い残し、ライコへ指を向けた。
「俺は装備と名簿を確認してくる。ここで待っていろ。余計なことはするなよ」
「分かった。たぶん」
「……不安しかない返事だな」
ドルグは顔をしかめて兵舎の奥へ向かった。
残されたライコを、兵たちは遠巻きに眺めていた。
その中から、大柄な男が近づいてくる。頬には古い傷があり、口元には人を小馬鹿にした笑みを浮かべていた。
「おい、ガキ」
「何?」
「ここは兵士が戦場へ行くための場所だ。お前みたいなのが遊びに来るところじゃねえ」
「遊びには来てないよ」
「なら、何をしに来た」
「兵士になった」
男の後ろで笑いが起きた。
「聞いたか?このガキ、兵士になったそうだ」
「俺たちは敵と戦う前に、子守りまでしなきゃならねえらしい」
笑っているのは八人だった。
鎧の着方こそだらしないが、腕や顔には戦場で負った傷が残っている。腕が悪くて、第十小隊へ集められたわけではない。
規律に従わず、ほかの小隊長では持て余す兵たちを、ドルグだけがまとめていた。
ほかの小隊の兵たちは準備を続けながら、関わりたくなさそうに様子をうかがっている。
大柄な男が、ライコの腰にある剣へ手を伸ばした。
ライコはその手をつかみ、剣から離した。
「触るなよ」
笑い声が止まった。
「ずいぶん偉そうじゃねえか」
「自分の剣だから」
ライコは怒っていなかった。当然のことを言っただけだった。
それが男には、さらに気に入らなかったらしい。
壁際から木剣を二本取り、そのうち一本をライコの足元へ放った。
「兵士だって言うなら、少しは使えるところを見せてみろ」
ライコは落ちてきた木剣を拾った。
「戦うの?」
「ああ。今なら泣いて謝れば許してやるぞ」
ライコの顔が明るくなった。
「やろう!」
「こいつ……」
男は怒りの表情を浮かべ木剣を肩へ担ぎ、そのまま力任せに振り下ろした。
ライコは半歩横へ動いた。
木剣が地面を叩く。男が持ち上げるより早く、ライコの木剣が手首を打った。
「ぐっ!」
男の指が開き、木剣が落ちる。
続けて脇腹、膝の裏。
2連撃を受けた男は身体をくの字に曲げ、そのまま地面へ転がった。
ライコは木剣を下げた。
「もう終わり?」
「調子に乗るな!」
後ろにいた二人が、左右から飛び出した。
一人が木剣を横に振る。ライコは身を沈めてかわし、その男の腹へ柄を打ち込んだ。息を失って前へ倒れてきた身体を避けると、もう一人の木剣の突きが迫る。
首を傾け、最小限の動きで交わしたライコはすれ違いざまに腕を打ち、返す木剣で肩を叩いた。
二人目も肩を抑えて地面に膝をつく。
「何してやがる!囲め!」
残っていた男たちが、一斉に木剣を取った。
五人。
前と左右から、次々に打ち込んでくる。
ライコは最初の一撃を弾き、空いた場所へ踏み込んだ。振り返った男の膝を打ち、倒れる身体の横を抜ける。
背後から迫った木剣を振り向きもせずに受け止める。そのまま振り返り様の一撃を胸に叩き込む。
一人が倒れるたび、囲みには隙間ができた。
ライコはそこへ入り、手首、脇腹、膝を打つ。兵たちは互いに邪魔をし、木剣を振り上げてもライコまで届かない。
最後の一人が後ろから飛びかかった。
ライコは足音に合わせて身をひねり、その勢いのまま木剣を横へ振った。男の腹へまともに入り、身体が地面へ転がる。
静かになった兵舎の前に、八人の兵が倒れていた。
ライコだけが立っている。息もほとんど乱れていない。
「ほかには?」
木剣を持ったまま見回すと、周りに立っているほかの小隊の兵たちは揃って目を逸らした。
「何をしている!」
怒声が飛んだ。
ドルグが兵舎の奥から戻ってくる。その隣には、先ほどユリスの部屋にいた騎士がいた。
エドラスだ。
ドルグは倒れている兵たちを見て、額へ手を当てた。
「お前ら、出陣前に何をやってるんだ!」
「あの人たちから戦おうって言ってきた」
「お前には聞いてない!」
倒れていた兵の一人が、腹を押さえながら声を絞り出す。
「隊長……こいつ、おかしいですぜ……」
「八人がかりで子供に負けた奴が、何を言っている!」
ドルグの怒鳴り声に、兵たちは何も言えなくなった。
その横で、エドラスは地面に転がる兵たちとライコを見比べていた。
ライコはエドラスの腰にある剣を見た。
ユリスの部屋で見たときから、気になっていた。
「おじさんも強いよね」
「……おじさん?」
エドラスの眉が、わずかに動いた。
(おじさん……?これでもまだ二十四だぞ)
エドラスは顔には出さなかった。年齢より老けて見られることには慣れていたが、おじさんと呼ばれたのは初めてだった。
「俺はエドラスだ」
「エドラス。俺とも戦ってよ」
今度はライコが壁際から別の木剣を一本取り、エドラスへ差し出した。
「お前な……」
ドルグが止めようとしたが、エドラスは木剣を受け取った。
「エドラス殿?」
「戦場へ連れていくなら、どれほど動けるのか知っておく必要がある」
エドラスは倒れている兵たちへ目を向けた。
「この連中では、確かめる役に立たなかったようだからな」
何人かが悔しそうに顔を歪めたが、反論できる者はいなかった。
エドラスが前へ出る。
木剣を片手に持ち、身体の正面から少し外して構えた。剣先は低い。それでも、どこから踏み込んでも届きそうに見える。
先ほどの兵たちとは、まるで違った。
ライコの目が輝く。
「始めるぞ」
「うん!」
ライコが先に踏み込んだ。
頭めがけて振り下ろしたライコの木剣を、エドラスは斜めに受ける。正面から止めず、剣を滑らせながら身体を横へ移した。
ライコの一撃が脇へ流れる。
エドラスはすれ違いざまに木剣を返し、ライコの脇腹を狙った。
ライコが身体をひねる。木剣は脇をかすめ、そのまま空を切った。
ライコは二歩離れ、エドラスを見た。
「今の、どうやったの?」
「手合わせの最中だぞ」
「うん。だから、もう一回やって」
ライコが笑った。
エドラスは木剣を構え直した。
再びライコが踏み込む。
先ほどと同じように斬り下ろす。エドラスが剣を斜めに合わせ、横へ流そうとした。
だが、今度のライコは最後まで振り抜かなかった。
木剣が触れた瞬間に力を抜き、エドラスの剣へ沿わせる。身体を流される前に足を踏み替え、横へ動くエドラスの正面へ回った。
エドラスの目が細くなる。
木剣が続けざまに打ち合わされた。
エドラスは、肩、腕、脇腹へ続けて木剣を振るった。
ライコは迫る木剣へ自分の木剣を合わせ、一撃ずつ受け止める。エドラスが角度を変えても、その先には必ずライコの木剣があった。
打ち合う音が速くなっていく。
見ていた兵たちから、いつの間にか声が消えていた。
気づくと攻守が入れ替わっていた。ライコの攻撃はスピードと手数が増し、次々とエドラスに襲いかかる。
ライコの木剣を受けるたび、エドラスの腕へ重い衝撃が残る。
エドラスが半歩下がる。
ライコはその分だけ前へ出た。
さらに一歩。
エドラスはライコの剣を外へ流そうとしたが、ライコは途中で木剣を引いた。エドラスの剣だけが脇へ流れる。
その内側へ、ライコが踏み込んだ。
「そこまでだ!」
ドルグの声が響いた。
ライコの木剣が止まる。
エドラスの胸まで、あとわずかだった。
「何で止めるんだよ。まだ終わってない」
「出陣前だぞ。遊んでいる時間はない」
「あと少しだけ」
「駄目だ」
ドルグは短く言い切った。
表向きの理由は、それで十分だった。
だが、本当に止めた理由は別にある。
あのまま続けば、ライコの一撃がエドラスへ入っていた。
エドラスはユリスの護衛を務める騎士だ。そのエドラスが、入ったばかりの子供に負ける姿を兵たちへ見せるわけにはいかなかった。
エドラスもドルグの意図に気づいたのか、何も言わずに木剣を下ろした。
ライコだけが、不満そうに木剣を見ている。
「また今度、やろう」
ライコが言った。
「……機会があればな」
エドラスはそう答えたが、その視線は空を見ていた。
ライコは一度受け流されただけで、その動きへ対応した。
盗賊を倒したという話より、目の前で見たその事実の方が信じ難かった。
とてつもないライコの戦闘のセンス。
その時、町の中央から低い角笛の音が響いた。
「第十二中隊、集合!」
外から兵士の声が飛んでくる。
倒れていた男たちが、痛む身体を起こし始めた。ドルグが再び怒鳴る。
「いつまで寝ている!装備を持って並べ!」
兵たちが慌てて動き出す。
ライコは木剣を壁際へ戻し、自分の剣を確かめた。
今度は手合わせではない。
途中で止められることもない。
「第十小隊、出るぞ!」
ドルグの声に続き、ライコは初めての戦場へ向かって走り出した。
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