第16話 譲歩
占領した町の処遇を決めるため、ルミナスとアインゼルの交渉役が長机を挟んで向かい合った。
ルクシオン・フラグナの出した書面を読み、アインゼルの交渉役が顔を上げる。
「町だけでなく、周辺の平野まで寄越せというのか」
「はい。今回の戦費と戦死者への賠償も求めます」
男は紙を握りしめた。
「ふざけるな!町も土地も金も奪って、我々に何を残すつもりだ!」
「条件を話し合うために、ここへ来ました」
「これでは話し合いにならん!」
男が席を立つと、同行した者も続いた。レグベル・シルベイン公爵は引き止めず、ルクシオンも書面を引き寄せるだけだった。
数日後、再び同じ机を囲んだ。
「平野への要求は取り下げます。賠償も半額としましょう。ただし、町はルミナスが保持します」
「それで譲ったつもりか。我が国はまだ戦える。兵を集め直せば、いくらでも戦いようはある。こんな敗戦国のような条件はのめん!」
交渉役は地図にある町の名を指で打った。
「あそこには我が国の民がいる。何代も住んできた者たちだ。町を奪われたまま、和平など結べるか!」
「町を離れたい方には出ていっていただきます。残る方には、ルミナスの民になっていただくことになります」
「家や店、畑を置いてどこへ行けと言う。残れば国を変えろと言うのか!」
「町を保持するなら、そうなります。離れられない方も多いでしょうから、残る道は用意します」
「町を返せ。賠償の話はそれからだ」
ルクシオンは男へ目を向けた。
「町の返還を条件になさるのですね」
「初めからそう言っている!」
ルクシオンは書面をたたみ、次の会談までに検討すると答えた。
三度目の会談では、新しい書面を机へ置いた。
「町は返還します」
交渉役の手が止まった。
「……何だと?」
「平野も賠償も求めません。その代わり、この山岳地帯を譲っていただきたい」
ルクシオンが地図を示すと、男は身を乗り出した。
「町を返す。金も取らない。それで欲しいのは山か」
「はい」
畑に使える土地もほとんどない山だ。交渉役は地図を見て、書面を手元へ引き寄せた。
「ようやく現実が見えたらしいな。この条件なら本国へ持ち帰れる」
男は笑みを浮かべた。町も平野も賠償も退けた。大きな譲歩を引き出したと思えば、山を求める理由を疑うこともなかった。
◇
会談を終え、馬車へ向かうレグベルがルクシオンに声を掛けた。
「うまく交渉が進んだな」
「あとは向こうの返事を待つだけです」
数日前、占領した町の地図を広げたとき、レグベルは尋ねていた。
「町は取った。さて、これをどう使う?」
「この町は返します」
ルクシオンの答えに、レグベルは地図から顔を上げた。
「返すために、あれだけの兵を動かしたのか?」
「ただでは返しません。欲しいのは、こちらです」
ルクシオンの指が町から離れ、山岳地帯に止まった。
「最初から山を求めれば、使い道を調べられます。先に町や平野を要求し、少しずつ譲るつもりです」
「相手に、町を取り返したと思わせるわけか」
「はい」
「それほど欲しい山なのか。何がある?」
ルクシオンは山の向こうの海岸を指した。
「海へ出る道を造ります。公爵領から山を抜けて海沿いへ出られれば、今より低い費用で荷を運べます」
交易が増えれば、国にも利益がある。道を通る公爵領の収入も増すだろう。道造りには人手が要り、集まる人のための店や宿、住まいも必要になる。
レグベルは、地図にまだない道を指でなぞった。町を取り、返す理由がようやく分かった。
◇
アインゼルから返事が届き、町と山岳地帯の交換が決まった。ルミナス軍は取り決めに従って町を引き渡した。
ユリスのもとにも報奨金が届いた。革袋を持ち上げると、金貨が触れ合う。
「悪くない」
戦功が記録に残り、金になった。次は給金がよく、前線に出ずに済む役職が欲しい。
「隊長。顔が緩んでいます」
「報奨金をもらって渋い顔をする奴がいるか、エドラス」
そこへ伝令が命令書を届けた。ユリスの笑みが止まる。
「ツヴェリア国境の前線基地へ向かう補給部隊の護衛……」
前線は気に入らない。だが、荷車を送り届けるだけなら、敵の正面に立たずに済む。
翌朝、第十二中隊は輸送部隊に合流した。輸送隊長の外套には貴族の家紋がある。
「護衛を命じられた、ユリスです。中隊を隊列の前後に分けます」
「君に任せるよ。ただ、私のそばにも兵を置いてくれ」
隊長は荷車には目も向けなかった。道の脇で物音がすると、そばの護衛へ馬を寄せる。基地までは、馬だけで急げば一日半。荷車では三日の道だった。
出発して間もなく、一台の荷車の車輪が泥にはまった。兵が集まり、馬に合わせて押す。車輪は泥をかくだけで、後続まで止まった。
何度押しても動かない。ライコが足を止め、兵たちへ近づいた。
「ちょっとどいて」
兵が離れると、荷台の端に肩を入れた。ぐっと持ち上げ、御者が馬を進ませる。車輪が泥を抜けた。
「今、持ち上げたのか?」
「うん。もう動くよ」
ユリスは荷台を見た。袋が山積みなのに、後ろの荷車は半分も埋まっていない。別の荷車は箱が片側へ寄り、傾いている。
(何だ、この積み方は。重さも何も考えてないじゃないか)
輸送隊長のもとへ行き、荷車を示した。
「後ろの荷車へ袋を少し移し、箱も左右に分けてよろしいでしょうか」
「君の好きにして構わない」
隊長は荷台も見ず、手を振った。ユリスが兵に荷を積み直させると、傾いていた荷車もまっすぐに動いた。
昼前、水場と木陰のある広い道を通ったが、輸送隊長は進み続けた。その先の狭い坂で、急に馬を止める。
「疲れたな。ここで休もう」
輸送隊長の一声で、荷車の列が止まった。道が狭く、荷車を脇へ寄せきれずに後ろまで詰まっていく。馬に水も飲ませられない。
(さっきの場所なら全部済んだのに。止まる場所も考えてないのか)
「次からは、荷車を寄せられる場所を選びませんか。ここでは出発の際、また並べ直すことになります」
「ああ、任せるよ」
隊長は馬から下り、荷車の陰へ座った。ユリスは詰まった列を見渡し、兵を呼んだ。
次の休憩からは、ユリスが場所を選んだ。広い道で荷車を寄せ、御者が荷を確かめる間に馬を休ませる。隊列は詰まらずに進んだ。
二日目も、輸送隊長はユリスに任せきりだった。
「隊長、先へ行かなくていいの?」
荷車の脇を歩くライコに、ユリスが答えた。
「荷車が着かなきゃ、任務にならん」
「ツヴェリアは、この前のアインゼルとは別の国なんだよね」
近くを歩くドルグが頷いた。
「アインゼルは西、ツヴェリアは南だ。その南には内海があって、港も多い」
「海か。行ってみたいな」
「行くのは国境の基地だ。港までは行かんぞ」
「そっか。じゃあ、強い奴には会えるかな」
「そっちも期待するな。荷を届けて帰るのが仕事だ」
ユリスも、荷車の列を見ながら口を挟んだ。
「まったくだ。危ない仕事を増やしても、給金は増えん」
三日目の午後、基地の方角に煙が見えた。日暮れ前には着くはずだと考えていたユリスが、馬を止める。
「……おい。聞いてないぞ」
前線基地は、土煙と喊声にのみ込まれていた。
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