第10話 崩れない戦列
国境を越えたルミナス軍は、街道沿いの拠点で食料を受け取りながら進んだ。大きな輸送隊を待たずに済むぶん、行軍は速い。
やがて、行く手に防壁を巡らせた町が見えた。その手前にはアインゼル軍の陣地がある。陣地から出た兵が、町を背に広い平原で盾を並べていた。
アインゼル軍はおよそ千五百。これに対するルミナス軍は二千五百で、敵陣と向かい合う位置に陣地を構えた。両軍の間に広がる平原には、身を隠す場所もない。
第十二中隊は命じられたとおり、中央の最前列に並んだ。風に軍旗が鳴り、隣り合う兵の盾がかすかに触れ合う。向こうの盾の上には、こちらへ向けた槍の穂先が並んでいた。
互いを威嚇し合う二頭の巨獣が、先に飛びかかる相手を見定めているようだった。
本陣で総大将が手を上げる。
「数はこちらが上だ。一気に押し潰せ!」
突撃を命じる旗が上がった。
「全軍、突撃!」
号令が伝わり、ルミナス軍の兵が走り出す。騎兵は外側へ広がり、歩兵は盾を押し立てて進んだ。
ライコが走り出すと、後ろから声が飛んだ。
「ライ、速すぎる!」
振り返ると、第十小隊の兵が懸命に追っていた。だが、もう距離が開き始めている。
ライコは少し速度を落とした。
「これなら?」
「もう少し!」
さらに歩幅を狭めると、ようやく兵たちが追いついた。ライコは仲間が横に並ぶのを待ち、前を向く。盾の列が迫り、その上から槍が突き出された。
剣と槍先がぶつかり、甲高い音が鳴った。ライコは胸を狙った槍を外へ払い、持ち主の懐へ踏み込む。盾の上から喉を斬り裂くと、敵兵は槍を取り落として倒れた。
「ここだ、来い!」
第十小隊の兵が仲間を呼び、空いた場所へ盾を押し込む。隣の兵も続き、寄ってきた敵へ槍を突き出した。ライコが次の敵へ向かったとき、右後ろからドルグの声がした。
「右に俺たちが入る!」
ドルグは自分の小隊を率い、ライコたちの右側へ兵を寄せた。ライコはその姿を横目で確かめ、再び前へ剣を向ける。
敵は倒れた兵を後ろへ引きずり、新たな兵を前に出した。空いた場所には盾が並び、その間から槍が伸びてくる。
「押せ!数はこちらが上だ!」
隣の隊から声が上がる。ルミナス軍が押すたびに、アインゼル軍は盾と槍をこちらへ向けたまま、一歩ずつ下がった。背を向ける兵はいない。押された場所を左右の兵が支え、列が破れるのを防いでいた。
勝ちを急いだ味方の兵が、仲間より先に出た。二本の槍が男の盾を挟むように突き出される。一方を防いだところへ、もう一方が肩に突き刺さった。男は倒れ、敵はすぐに槍を引いて盾の後ろへ戻った。
「列を崩すな!負傷者を下げろ!」
ユリスが叫ぶ。エドラスが近くの兵に指示し、傷ついた男を運ばせた。第十二中隊は空いた場所を詰め、列を組み直す。
ライコは敵の列を見た。斬れる相手はいる。だが、一人倒しても次が出てくる。奥まで進めば、部下もドルグの小隊も置き去りになる。
「ライ、一人で行くなよ!」
「行かない!」
ドルグへ返し、ライコは仲間が構える盾の横から踏み込んだ。突き出された槍を払い、敵の手首を斬る。槍が落ちると、第十小隊の兵が盾を押しつけ、相手を後ろへ追いやった。敵は左右の兵と足を揃え、また一歩下がる。
陽が傾いても、アインゼル軍の盾の列は破れなかった。敵は盾を向けたまま距離を取り、町の手前にある元の陣地へ戻っていく。ルミナス軍にも引き揚げの旗が上がり、兵たちは自分たちの陣地へ向かった。
ユリスのもとへ負傷者の報告が届く。日中は敵を少し押し下げたものの、陣地を奪うには至らず、傷ついた兵ばかりが増えていた。
「第十小隊は?」
「全員います」
ライコが答えた。隣ではドルグも、自分の小隊の兵を確かめている。
「ほかは?」
「まだ確認しております」
エドラスの返事を聞き、ユリスは運ばれてきた負傷兵を見た。総大将は後方で、敵が逃げ腰だと喜んでいるらしい。
「逃げ腰ねえ。向こうは少し下がるだけ。こっちはそのたびに負傷者が増えてる。割に合わない話だな」
「声が大きいです」
エドラスに言われ、ユリスは口を閉じた。
◇
アインゼル軍の指揮官は、陣地へ戻った兵を見渡した。死傷者は出ている。だが、どの隊も被害はまだ大きくない。
「援軍の知らせは?」
「まだです」
「ならば時間を稼ぐ。こちらから攻めに出るな。押された場所を支え、下がるときも列を保て」
兵が命令を伝えに走った。指揮官は背後の町を見る。防壁の内へ籠もれば、包囲され、町の人々にも負担がかかる。町の外で戦えるうちは、ここでルミナス軍を止めるつもりだった。
◇
翌日も、ルミナス軍は攻めた。
両軍は前日と同じ平原に出た。アインゼル軍は再び盾を並べて待ち受けている。数で押しても、すぐには崩れない。槍を突けば盾で受け、押し込まれれば隣の兵と足を揃えて少し下がる。自分たちから大きく前へ出てくることはなかった。
第十二中隊の前で、味方の兵が敵の盾に自分の盾をぶつけた。相手が踏ん張ったところへライコが横から入り、盾の脇に出た太ももを斬る。敵兵が膝をつき、後ろの兵に引き下げられると、第十小隊がその場所へ進んだ。
ライコも続こうとして、右から突き出された槍に気づいた。隣の敵兵が、前へ出た部下の脇腹を狙っている。
「右、槍!」
部下が盾を向けた。槍先が盾を打ち、伸びきった柄をライコの剣が払う。ドルグの小隊も右へ詰めると、敵兵は槍を引き、それ以上は踏み込んでこなかった。
「見えてたな」
ドルグがライコへ声をかける。
「みんなが横にいたから」
「なら、次も見失うな」
「分かった」
ライコが敵の守りを崩すと、第十小隊の兵がそこへ盾を押し込む。ドルグたちはその脇を守り、横から突き出される槍を防いだ。ライコも仲間の位置を確かめながら、前へ進んだ。
ほかの場所では、アインゼル軍の盾が並んだままだった。だが、第十二中隊の前では、倒れた兵や傷ついた兵を何度も後ろへ運び、代わりの兵を出さなければならない。盾の列が整う前に、ライコたちはまた押しかかった。
それでも敵は踏みとどまり、日が暮れると、両軍は再びそれぞれの陣地へ戻った。
◇
「また、あの部隊です」
アインゼル軍の指揮官の前に、二日目の報告が届いた。ほかの場所は押されても列を保っている。中央正面だけは、昨日も今日も何度となく盾の列を崩され、兵を入れ替えていた。
「指揮官は?」
「金髪の若い男です。ですが、先頭で戦っているのは少年に見える兵で……」
「少年?」
「間違いありません。今日も、あの兵に押し込まれています」
指揮官は広げた地図の中央を見た。敵を少しずつ下がりながら受け止めることはできている。だが、中央を破られれば、左右の部隊も脇をさらす。このまま同じ守り方を続けるわけにはいかなかった。
「騎士ブライアンを呼べ」
しばらくして現れた男を見て、報告に来ていた兵が道を空けた。この陣地にいる騎士の中で、ブライアンにかなう者はいない。
鎧には肩から胸にかけて古い刃傷が走り、へこんだ箇所には修繕の跡があった。使い込まれてはいるが、鉄の表面は磨かれている。腰の剣も、柄革の握る部分だけが擦り減っていた。
指揮官は地図の中央を指した。
「明日は中央正面へ出ろ。あの部隊を完膚なきまでに叩き潰せ」
「承知した」
◇
三日目、両軍は再び町の前の平原で向かい合った。
ライコは第十小隊の先頭に立ち、目の前に並ぶ槍の壁を見ていた。
今日も正面からぶつかり合うことになる。そう思ったとき、敵兵が槍を引き、左右へ分かれた。
盾の列にできた道を、一人の騎士が歩いてくる。
アインゼル兵は誰もその前へ出ようとしない。ライコは、騎士の鎧に刻まれた古い傷を見た。
歴戦の騎士ブライアン。幾多の戦場をくぐり抜けてきた、アインゼルの猛者である。
ブライアンが剣を抜いた。刃先を低く構えたまま、盾の列を離れて近づいてくる。歩幅は変わらず、その目はライコを捉えていた。
ライコも、引き寄せられるように前へ出た。歩きながら剣を抜く。
「おい、ライ……!」
ドルグが声をかけた。だが、ライコは何も答えず、ブライアンへ近づいていく。
ライコがわずかに横へ動くと、ブライアンの剣先も動いた。大きく構え直すこともなく、刃はライコへ向いている。
第十小隊の兵は盾を構え、ライコの後ろに続いた。ドルグも自分の小隊をまとめ、その脇を固める。
ライコは仲間がついてきていることを確かめ、騎士へ向き直った。
口元が上がる。剣を握り直した。
あの騎士の一撃を受けてみたい。
ブライアンが、一歩を踏み出した。
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