第9話 先頭に立て
軍議の机に、国境の向こうまで描かれた地図が広げられていた。
「先に国境を越えたのはアインゼルだ。こちらが応じずに終われば、また攻めてくる」
軍務卿を務めるシルベイン公爵の指が、国境近くの町で止まる。
「今度はこちらから進軍する。この町を押さえる」
先の戦いでは、ルミナスの領内が戦場になった。アインゼルへ報復するという方針に、異を唱える将はいない。だが公爵が兵数を告げると、机の周りがざわついた。
「二千五百だ」
「敵の町へ攻め入るのですぞ。もっと兵を集めるべきでは」
「数が揃うまで待てば、敵にも備える時間を与える」
公爵は傍らに立つルクシオンを見た。
「進軍の手はずを説明してくれ」
銀髪の青年が地図の街道を指す。将の一人は腕を組んだまま、その指先を見下ろしていた。
「アインゼルは先の戦いで兵を引き、戦力を立て直しています。ですが、各地の兵が揃うにはまだ時間がかかります。今この町の前へ出せるのは、千五百ほどでしょう」
「その見立てが外れれば、二千五百では足りんぞ」
「偵察は進軍中も続けます。敵がそれ以上の兵を集めていれば、その時点で戦い方を変えます。ただ、兵が揃うのをこちらで待っていては、この機会は失われます」
ルクシオンは国境から町までの道をたどった。
「敵の準備が整う前に着けば、兵数でも優位に立てます。町はこの方面の拠点です。押さえてしまえば、アインゼルも放ってはおけません」
「そう簡単に町の前へ出られるか。大軍を動かせば、途中の食料だけでも――」
ルクシオンは街道沿いの印を示した。
「街道沿いの拠点には、すでに食料を置いてあります。二千五百であれば、そこで補給しながら進めます。大きな輸送隊が揃うのを待たずに済みます」
問いかけた将は口を閉じた。準備がまだの敵へ、こちらは準備を終えた兵を急がせる。数を増やせば、その速さが失われる。
別の将が町の印を叩く。
「敵が町に籠もったらどうする」
「千五百の兵を持つ相手が、初めから籠城を選ぶとは考えにくいです」
「なぜだ」
「籠城して包囲を許せば、人や物の出入りが途絶え、町にも負担がかかります。町の外で我々を止められると見れば、まずはそちらを選ぶでしょう。こちらは二千五百です。敵にとって、初めから町に籠もるしかないほどの大軍には見えません」
「う、うむ。それは確かにそうだが……」
将は腕を組み直した。
「それでも籠もるかもしれん」
「その場合にも備えはあります」
ルクシオンは町を囲んだ後の手順を説明した。話を聞き終えると、将は地図の町と街道を交互に見た。
「そこまで済ませてあるのか」
隣の将も、書面に記された兵数を確かめている。二千五百で出る理由も、敵が町へ退いた場合の手も、聞いてしまえば反論しづらかった。
「ほかに異論はあるか」
公爵が尋ねる。先ほどまで声を張っていた将は咳払いし、視線を地図へ落とした。
「……ありません」
別の将も頷く。ただ、その目はルクシオンではなく、公爵へ向いていた。
「では、出征の準備を進める」
将たちが退室した後、公爵はまだ地図を見ているルクシオンへ声をかけた。
「お前は、アインゼルが先に国境を越えるのを待っていたのか」
ルクシオンは顔を上げた。公爵の指は、二つの国を分ける線の上にある。
「……いや。そう仕向けたということか」
「こちらから先に攻めれば、報復にはなりません」
「分かっている」
公爵は地図から手を離した。
「だが次からは、そういうことも先に相談してほしいものだがな」
ルクシオンは頭を下げた。
◇
出征を控えた日、現地で軍を率いる総大将のもとへ各中隊の配置図が届けられた。
総大将は紙を開き、中央の列を指でなぞる。その途中で、第十二中隊の名に目を止めた。
「この隊、先の戦いで騒がれておったな」
「敵の中隊長を討ったそうで。功労賞でも、左翼の部隊長から褒められておりました」
傍らの男が答える。
「中隊長は、伯爵家の三男だったか。若い者が一度手柄を立てたくらいで、ずいぶん持ち上げられるものだ」
「本人も、腕に覚えがあるのでしょう」
男が中央正面の空いた場所を指した。
「それほどの部隊なら、後ろへ置いては惜しいですな」
「うむ。敵の前へ出してやれ。存分に働けるようにな」
総大将は第十二中隊の印を、中央の最前列へ移した。
その命令書がユリスに届いたのは、翌日だった。
「中央正面、最前列……?」
ユリスは命令書と配置図を見比べた。どちらにも第十二中隊と記されている。
エドラスも脇から配置図を覗き込む。
「間違いではありません」
「読めば分かるよ」
ユリスは紙を机へ置く。戦勝会に呼ばれたときには、これで給金がよく、危険のない役に近づけるかもしれないと思った。まさか、その前に敵の槍が真っ先に向く場所へ立たされるとは。
「俺の戦功、誰かに譲ってやれないかな」
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