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第二隻 2話 私の名前は

「ツクヴァル、待って!!」


 急いで追いかけて背中の裾を掴むとツクヴァルがまた私を睨んできた。だけど、振り払われはしなかった。

 「んだよ」と嫌そうに返事はしたが一度そこに立ち止まってくれた。


「…………」


 考える。


「ツクヴァル」


「だから、なんだよ」


「ひとつ、実験させて欲しいの」


 そう言うと眉間にさらに皺が寄って訝しげな表情を向けてきた。


「…………」


 私が口を開く。


「Hello」


 そう言った時、ツクヴァルがキョトンとした顔をした。そして首を傾げ、眉ひそめたまま私のことを見て


「お、おう……? なんで急に挨拶……?」


 そう話してきた。


 ドクンと心臓が跳ねるのがわかった。

 私は続けて言葉を発した。


「你好」


「……ああ? んだよさっきから挨拶ばっかして!! そこまで馬鹿だと思ってんのか俺のこと!!」


(やっぱり)


 確信に近いものを得てドクドクと心臓の鼓動が強く響く。


(翻訳されてる、ツクヴァルにも!!)


 Hello、你好、こんにちは。


 違う言語で話したのに、全部通じた。


 ツクヴァルだけじゃない。町に降りた時もあの人たちに通じていたし、指輪を担保にした時、私が書いたサインだって向こうは普通に読めていた。


 私が知っている私の世界の言葉が、ここでは意味ごと翻訳されている


 スマホ、のようなこの世界に無いものに関してはそのままの音で聞こえているようだ。実際、ツクヴァルは私がスマホですと言ったのに対して「すまほ?」と聞き返していた。


(使えるぞ、これ)


(別言語同士の人が揃っていたらどう聞こえるかとか、謎はまだあるけど使える!!)


 私が急にブツブツと考え事をしているのを見てツクヴァルが少し戸惑った表情で私を見下ろした。


「は、マジでなんだ……?」


「……ツクヴァル」


 その表情に負けずに見上げた。


 剣も使えない、魔法も使えない。ここには肉親もない。

 私にできるのは食事の知識について考えること、そして……言葉を伝えること。


 どうにか生き延びなきゃならない。この悪い夢が覚めるまではここで生きなきゃいけない。


 そんな時に出会ったのがツクヴァルだ。出会い方は本当に最悪だったし、まだちょっとだけ怒ってる部分もあるけど。


(でも、頼れるのはこの人しかいない)


 真っ直ぐにまた、目を見た。

 ツクヴァルの瞳は赤色だった。


 背中の裾から手を離してツクヴァルの正面に行き、向き合った。


「ツクヴァル」


「だからなんだって────」


「私と一緒に、ご飯を食べられるようにしよう!!」


 ツクヴァルが目を剥いた。

 この表情、今日で見るの何回目だろうか。


 利用するみたいで罪悪感も少し湧いた。だけど生き延びるにはそんなこと言っていられない。


 ひとまず今大切なのは────私もツクヴァルも、両方にメリットがあることなのだから。


「…………」


「ツクヴァル、私、実はその……」


 目を逸らした。


「き、記憶喪失の……インテリ……でして……」


 ここに関しては上手い言い訳が見つからなかった。

 ただ「なんか別の世界から来ちゃって! 何故か言葉は通じるんですよねー!」と正直に言うよりはマシだろう。頭がおかしいと思われる。


「だ、だからその……すごく、困ってて……」


 ツクヴァルのうさぎ耳がぺたんとし始めた。

 それでも言葉を続けた。


「だから、ツクヴァルと一緒に協力して生きたい」


「…………」


「ツクヴァル、さっきは無神経な聞き方してごめん。だけど、本当に大切なことだから貴方のこともう少しちゃんと聞かせて」


「私自身が聞きたいの」


 ツクヴァルは黙ったまま、私の話を聞く姿勢を見せた。


「読めないのは文字だけ? 数字は読める?」


「……喋れはするし数字も数えりゃわかる。パッと見じゃわかんねえ。ラヴィ語はわかることもあっけど、ゲルヴィ語はそんなに分かんねえ」


「ゲルヴィ語?」


「みんな使ってるやつだよ、お前そこまで記憶吹っ飛んでんのか?」


 つまりは、公用語ということか。


「ゲルヴィ語は喋れる?」


「……まあある程度は。けど役場とかの難しいやつらの話はあんまり分かんねー」


「〝これは〟ゲルヴィ語だったからあんまりわからなかったってこと?」


 表情が少し落ち着いてきたツクヴァルは私が持っている依頼書を見た。先程彼が剥がしたものだ。

 私には全て日本語に見えるが、みんなが見れる掲示板に貼っていたという上で、彼が読めなかったということは恐らくゲルヴィ語だろうと予測を立てた。


「……そう。あと結構文字に癖あんだろ」


「癖?」


「ここの町、色んな種族のやついるだろ。種族ごとで文字の書き方結構ちげえから、そういうのがゲルヴィ語書くとさらにわかんなくなんだよ」


(種族ごとに言葉も違うことがあるのか。じゃあ今の私はラヴィ語でずっと話してるように聞こえるってことか)


 ツクヴァルの顔を見直した。


「ツクヴァル」


 なるべく、彼の名前を呼ぶ。


「依頼書が読めないなら私が読む、お金とか申請できないなら私がやる、ご飯の買い方も……教える」


 そこまで話して気がついた。

 そうか。


『けど金ねえ中でどれを、どんなちゃんとしたもの買えと!? やりたくもねえ死体漁りして、少ねぇ小銭で日持ちして膨れそうなもん買って!! 俺がバカだから食ってねえとでも思ったか!?』


 あの時、ツクヴァルがこう叫んでいたのは傷ついていたからなのか。


 彼は差別もされていて、文字が読めなくて。


 まともな仕事を選ぶことすら難しくて、少ないお金の中で食べ物を選ばなくちゃならない。


 それじゃあ、栄養だとか保存方法だとか、そんなものまで気を回す余裕なんてなかったのかもしれない。


(傷ついているからあんなに怒っていたんだ)


 私が話し終わると、ツクヴァルが静かにまた私の顔を見つめていた。


 それはファイアベアを討伐する前に、私と話していた時の表情に似ていた。


「…………」


 ツクヴァルは黙っている。

 若干気まずい沈黙が流れる。


(いけるか?)


 私は内心でそんなことを考えていた。

 そもそも私たち、会ったばっかりだし。

 死体と思われて身体まさぐられてたのが始まりだし。

 それがたまたまこうなっただけで、


(流石に……ダメかも)


 またチラリとツクヴァルの顔を見ると、困ったように一瞬目を逸らしてきた。

 そして少し考えるような仕草をしたあとまた、私の顔を見てきた。


「お前のさ」


「は、い」


「名前、聞いたっけ」


 ツクヴァルのその言葉が空気の中で重く落ちた。


「兼々、寛子」


「カネガネ?」


「あ、ヒロコが名前。カネガネっていうのは苗字で……」


「ふうん」


 さっき私に押し付けたファイアベア討伐の依頼書をそっと取って、そして目を細めながらまじまじと眺めた。何回かうんうんと唸るような声を出したあと、ツクヴァルが私の方に視線を向けた。


「おう、やっぱ読めねえわ」


 その言葉を発した時、

 少しだけ、笑っていた。


「どうやったら金貰えんの」


「え、えっと……ここからすぐ近くの受付で報告したら確認でき次第すぐって……」


「わかった」


 ツクヴァルが歩いていく。


「地図読めなくても受付の場所はわかる。俺は前からここら辺いたしな」


「…………」


「行くか」


「……ツクヴァル!」


 呼び止めた。

 ツクヴァルが振り向いた。


「交渉、さ」


 私の声が少し震えた。


「成立でいい感じ?」


 そして、ツクヴァルが少しだけ気恥ずかしそうに眉を下げたあと、


「いい感じだな」


 そう言った。


 達成感、安心、何とか生きていけるかもという希望と一緒に……

 なにか、温かいものが胸の中で込み上げてきて、少しだけ泣きそうになった。


「…………」


 前を向いて歩いていくツクヴァルのあとをついて軽く走る。


「うん」


「行こっか」


 ツクヴァルも黙って頷いて歩いた。


 …………。


 日はすっかり沈んで街灯がぼんやりと灯りをともし始めている。

 街灯といっても、私の世界にあるような電気で点けられるものではなくガラスの中でぼんやりと炎が燃えているような、そんなもの。


(仕組みどうなってんだろ……)


 私が食料市場から抜けると、


「お、いたわ」


 別の場所へと行っていたツクヴァルが合流してきた。


「ご飯買ってきた……」


 私が疲れた様子で紙袋を見せると「三重だな」とツクヴァルが言った。


「あんたはどこ行ってたの、私がご飯見てる間に……」


「…………」


 ツクヴァルが少し黙って、自分のカバンの中をがさごそと漁った。


「あそこ」


 そう言って、後ろの建物へ一瞬視線を向ける。

 そして差し出してきたのは、


 ダイヤモンドの指輪。

 私が質屋に……預けていたもの。


「…………」


「ファイアベアの金で返して貰えた」


「あれっ、てか所有権は!?」


「7万ゴールド払うって言ったら普通に貰えたぞ」


 あのクソ質屋。

 私には6万しか渡してないくせに、今日預けたばっかりの人の指輪を本人でもないやつに1万上乗せしただけで売りやがった。


(あの質屋のクソオヤジ、完全に詐欺野郎だったかー… …)


 若干落ち込んだ後、


「ほらよ」


 ツクヴァルはそのまま普通に指輪を返してきた。

 手に優しく落とされたそれを見て、指に嵌め直す。


 綺麗だ。


「報奨金全部使っちゃったね」


「元々ヒロコの金だろ」


「使ったの1万多い」


「飯代」


 流石に多すぎるって、質屋のジジイの得にしかなってないしと話しながら山の方へと向かっていく。

 紙袋の中にある串焼きを覗いてみた。


「あのさ」


「んだよ」


「ここで食べちゃわない? 串焼き」


 紙袋を指さした。


「それって危ない? お昼に出た獣とか」


「…………いや」


 ツクヴァルが何か考えるような顔をしたあと、町をキョロキョロ見渡して手を伸ばしてきた。


「まあ、平気だろ。町ん中なら」


「ん」


 レバー串をツクヴァルに二本渡したあと、私も一本を食べた。

 ふわ、とレバー独特の香りと塩コショウの柔らかい刺激が舌に広がる。厚めに切られた肉を噛むたび、空っぽだったお腹が満たされていく気がした。


「美味しいねこれ」


「うまい」


「私も昼に買えばよかったー」


 私たちは歩いていく。


 新たな目標に、向かいながら。

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