第一隻 最終話 彼の名前は
男から言われた通りに後から外へ出る。そして目の前の光景にギョッとしてしまった。
私の身長の3倍くらいはある、赤い毛並みの熊が奥に立っていた。
熊が歩く衝撃で木々の葉が揺れて落ちた。ズシン、ズシンと重い音を響かせたあと、私を見ると同時にまた地面が揺れるほどの咆哮をした。
「外にいる方が安全なんですか私!? なんか狙われて足手まといとかになったら!!」
「バカ、家ん中いた方があぶねえだろ! あいつのビームが家に当たったら燃えて死ぬぞ!」
「クマってビーム吐くんですか!?!?」
「吐くだろ、ファイアベアはよ!」
知らなかった。そんな常識があっただなんて。
(と、というか)
大きい。
とにかく、大きい。
動物園で熊を見たことくらいはある。テレビでヒグマだって見たことがある。
でも、あれとこれを同じ「熊」で括っていいのか分からない。
四つ足になっているのに、もう私より遥かに高い。肩だけで人間一人分くらいありそうで、一本一本の脚が木の幹みたいに太い。
前脚が土を踏むたび、爪が地面へ深々と突き刺さっている。
(勝てるの? これ)
汗が垂れた。
男の方に目を向けると、大剣を持ってただ熊を見つめていた。
グルルル、と低い唸り声を上げて熊が私と男を交互に見る。完全に、獲物を狙う時の眼光を放っていた。
(私のせいで)
(この人、死んじゃったら)
クマに引き裂かれて血が溢れている姿を想像してゾッとした。
嫌な奴だとは思っているが、死んで欲しい訳ではない。
息が浅くなってくる。こいつにナイフを向けられていた時とはまた違う恐怖が襲いかかってくる。相手は動物、明らかに話が通じない相手だ。
私はこの世界のことを何も知らない。
ここがどこなのかも、どうやって帰ればいいのかも、今日の夜をどうやって過ごせばいいのかすら分からない。
今の私が知っている人なんて、この男一人だけだ。
その一人が……私のせいで死ぬかもしれない。
「…………」
指先が冷たくなってくる感覚がした。
恐怖で体が固まり続けていた時……
そんな私を横目で見た男が、大剣を肩に担ぎ直した。
「おい」
「は、はい」
返事をするのが精一杯だった。
そんな私を横に、男はただ淡々と話し続けた。
「さっきの話」
一瞬の間ができた。
「ひとつずつ説明するぞ」
「え?」
何の話をしているのか、一瞬分からなかった。
その瞬間。
ファイアベアが地面を蹴った。
巨体が突っ込んでくる。炎を纏った隕石が落ちるがごとく、塊がこちらへと走ってきた。
「き、来たッ!!」
完全に動けない。
私じゃどうしようも無い。
目を瞑りかけた瞬間─────、男の足元にピンク色の光が浮かんだように見えた。
思わず目を開ける。円形の模様。
魔法陣。
ひとつめ。
「まず、バツ印ってのは」
男が高く跳躍した。
さっき私を運んだ時のようにピンク色の魔法陣が男の足元を追うように位置を変え、その度に空中を蹴り上げていく。
「敗戦のきっかけになった四年前のベルンクス峠の戦い────あるだろ? そこでついたやつだ」
魔法陣、二つ目。
青色。
大剣に纏わりつくように広がり青い炎を上げていく。
そのまま男が炎の大剣を思い切り振り下ろし、熊の頭へと叩き込む!! 青い残光が走って煌めいていく!!
「本当はこっちが有利だったんだけどな。けど向こうに相当優秀な術師がいて……一網打尽にされたって訳だ」
「そいつは十字の炎を空からどんどんと降らせやがった。そのせいで地獄絵図だ、燃えて死ぬやつもいりゃ生き延びたけど火傷跡が残ったやつもいる」
魔法陣、三つ目。右腕へ。
魔法陣、四つ目。左腕へ。
宙から殴りつけるように炎の剣を叩き込まれた熊はまた大きく咆哮した。そして大剣が熊の爪とぶつかる。金属音のようなものが響いた。
だが、あんな巨大な腕を。
男は左腕で受け止めた。
「…………」
私は黙って見ていた。
「みんな誰かのせいにしたくなるだろ」
「うちの国が敗戦したのはあの時負けた兵士のせいだ!! って。だからだよ」
「だから、バツ印の怪我跡は嫌われてんだ」
右腕の魔法陣が光り輝く。翡翠色。
そして
五つ目、魔法陣。
熊の身体へと刻まれた。
黄金色が輝いた。
「で、俺の名前だっけ? それは─────」
熊が怒りに満ち溢れた咆哮を上げて大きく身体を捻ろうとする。
だが、動かない。
いや。
動けていない。
四本の脚が地面へ縫い付けられたみたいに沈み、踏みしめた土がメリメリと音を立ててひび割れていく。
男が大剣を両手で握った。
その瞬間。
白銀の魔法陣が、大剣の刀身を丸ごと包み込むように展開された。
六つ目。
「ツクヴァルだ」
ファイアベアの喉が真っ赤に光る。ビームが来る、赤い閃光が空間を丸ごと焼くように強く輝き、目の前の男……ツクヴァルを焼き尽くそうとしていた。
「危な────!!」
言い切る前に、
ツクヴァルの大剣がファイアベアの脇腹へと深々と食いこんだ。
木の幹みたいに太い胴体を、骨ごと押し切るように刃が走る。赤い毛が舞って散り、赤と白銀が混ざった残光が巨大な身体を斜めに駆け抜けた。
地面が揺れる。
ツクヴァルが、既にファイアベアを真っ二つにしていた。
「…………」
私は、立ち尽くしたままそれを見ていた。
そして衝撃で割れかけたツクヴァルの大剣が、時計のような音と共に直っていく。
まるで逆再生でもしているように。
(6個)
(出してない?)
子供たちが話していたことを思い出す。
『城の守り人は魔法陣6個出せないと無理って言うじゃん』
(……めちゃくちゃ強いってことじゃない?)
その言葉が、
今、記憶の中でぐるぐると巡っていた。
「…………」
「…………聞きたがってた話は全部話したぞ」
男が大剣を下ろした。
そして、私をじっと見た。
色々なことが、パンクしそうなくらい頭の中を埋めつくしていた。
助けてくれてありがとうとか、
デリケートなこと答えてくれてありがとうとか、
手間かけさせてごめんとか、
そんなことを考えているはずなのに、最初に出た言葉がこれだった。
「死体漁りやめて普通に冒険者やらない?」
「は?」
……こうして。
この一言がきっかけで、私たちの小さかったり大きかったり、時には苦しかったり楽しかったりする冒険が始まった…………!
始まる、はずだったのだが。
「やだ」
なんと、あの強さを見せつけられたのに、ここの初手で断られたのである。
【第一隻 完】
【第二隻目が旅立つ】




