最後の舟 7話 我思う故に我あり
「私は、前王のようには……なれません」
リーチェさんが、目を見開いた。
「前王のように、アーサードさんを説得できません!!」
パァン!! と手を合わせた。
パンとスープを食べ終わった。「ご馳走様でした!!」と言うと、リーチェさんが震えながら、私の方へとまた駆け寄ってきた。
「そのようなことを大声で言わないでください!! アーサードに聞かれたら……!!」
「嫌です、絶対に言います!! 私は王になりません!!」
「救世主様!!」
リーチェさんが、力が抜けたみたいに崩れ落ちて、私のワンピースを握ってきた。そして、懇願するように呟いた。
「お願いします、もうこれ以上、これ以上アーサードを刺激しないでください……!!」
リーチェさんのその姿は、すごく必死だった。
パルヤとローロラさんがここに入ってきて、捕まって、それでも私やツクヴァルにああやって語りかけたことで……リーチェさんは酷く怯えていた。
アーサードをこれ以上、怒らせないでくれと。
そう言っているようだった。
「…………」
私も叫んだせいで、息が切れていた。だけど、もっと沢山この人に言いたいことがあった。
「リーチェさん……あなたは、アーサードがあのままじゃ良くないって思ってるって、さっき話していたじゃないですか」
リーチェが私を見上げた。
顔に少し刻まれたシワが、またぐしゃりと歪んだように見えた。それがなんとも切なくて、私も少しだけ泣きそうになった。
「私も良くないと思います、だけど私は……アーサードさんと知り合いでもなんでもありません。アーサードさんのことを、全然知りません」
「……でもヒロコさん、あなたは救世主じゃないですか。王になって、アーサードを止めてくだされば────」
「あなたがアーサードさんをこのままじゃ良くないと言ったのならば……あなたの感じたことに、従うべきだと思ってるんです」
崩れ落ちているリーチェにしゃがんで、語りかけた。鎖が少し伸びて、カシャンと金属音を立てた。
リーチェは目に涙を浮かべていた。今、リーチェはどんなことを感じているんだろうか。アーサードを見て、どんなことを思ってきたんだろうか。
私には分からない、分からないけれど。
それでも確かに、この人は「アーサードはこのままじゃ良くない」と言っていた。
リーチェさんは、それでもずっと怖がっていた。怖がっていて、私に助けてくれと、そうお願いしているようにも見えた。
「だから、リーチェさん」
だけど私は、この人の思い通りに助けることはできない。
「私が救世主だからって言って助けてもらおうとするんじゃなくて、あなた自身が……あなたを助けてください」
私はこの人の恐怖を、全部取り除いてあげることはできない。
ただできることは……。
「リーチェさん。あなたが感じたことを、あなたがやるんですよ!!」
この人に、最後まで語りかけることだ。
「…………」
リーチェさんの手は震えていた。
私はそれを、軽く包み込んだ。
これで震えがおさまるとは、思わなかったけれど。
それでも《《今》》はこうすべきだと思った。
「それで私が、アーサードと話すのに失敗したら、どうするんです……?」
「……ごめんなさい、それはわかりません。でも」
リーチェさんの目を見た。
「自分を救えるのは、自分自身です。きっと」
リーチェさんの瞳が揺れた。
そして、口を開いた。
「私は────」
その時だった。
「リーチェ」
足音とともに、あの男の声が聞こえた。
リーチェが、その声にびくりと背を震わせた。
「……アーサード」
そう、名前をこぼした。
ドアの奥で、ため息をつく音が聞こえた。私も、あんなふうにリーチェさんに言っておいて内心ドキドキしていた。どこまで聞かれていたか、何を言われるか。
それでも私は、やるべきだと思ったことをやった。
アーサードがまた、話し始めた。
「何をしているのです? 食事を運ぶだけで、そんなに時間が────」
「……耳を、塞いでいたのです」
リーチェが立ち上がり、そう話した。
立ち上がる直前、
リーチェは私の手を少し強く握ったような気がした。
「外からの声が聞こえないように、対処していました。戻るのが遅れてしまい申し訳ありません」
はっきりと話す。
アーサードの舌打ちの音が聞こえた。
「まあ、良いです。もう仕事が終わったのであれば、部屋から出なさい。救世主様に失礼ですよ」
「……はい、失礼します」
リーチェさんは私の顔を少し見たあと、頭を軽く下げた。
そのまま、部屋から出て行った。
私とアーサードは、部屋で二人きりになった。
「……何しに、来たんですか」
緊張が走る。
私がアーサードに尋ねると、彼はニヤリと笑いながら話した。
「救世主様、非常に大変なお知らせがあります」
「……大変?」
大変、という割にはアーサードは勝ち誇ったような表情を向けていた。
唾を飲み込む。彼が何を言い出すのか待つ。────そうすると、アーサードはその表情のまま、私へ信じられないことを言った。
「貴方の存在を国内に知らせたところ、ヴィージがこちらへ向けて動き始めたようでしてねぇ……彼らはまだ非領有地にいますが、そのうちゲルヴィ領内……この城にまで攻め込んでくるでしょう」
────しまった。そう思った。
アーサードは私を捕えて、私が暗号を読むのを待つためだけに、ここに置いたんじゃないんだと気がついた。
「こ……国内に知らせたって。ヴィージにも伝わるくらい大々的に発表したんですか!?」
「ええ、ですから先程貴方のお友達がここに来たのでしょう」
アーサードがまた、笑う。
そしてカツカツと足音を立てて、私に近付き、耳元で話した。
「救世主様……このままでは城が攻められて、貴方のお友達や白銀の残光が危ないですよ?」
「……ッ!!」
アーサードは、「白銀の残光は無事ですよ」と言っていた。
だけどそれは、私をまず安心させるためだけじゃなかった。このためだったんだ。
────それに、今はパルヤやローロラさんだって、この建物の中で捕まっているはずだ。私は今、アーサードに三人も人質を取られている!!
「王権継承証があれば、あの非領有地への領有権を取り戻せますよ。前王が戦争に負けた後、継承証と共に領土の権利を放棄したのですから。そうすれば、我々は正当に防衛ができます。救世主様」
「……ッ、でも、それじゃ」
私たちは、ヴィージがゲルヴィの土地へ攻め込んだと見なして攻撃をして……戦争をすることになる。
呼吸が荒くなってくる。アーサードは、間接的に私に対して二択を示してきた。
私が暗号を解いて、王権継承証と領有権を得るか。
それともツクヴァルやパルヤ、ローロラさんを見捨てるか。
「ダメ、です、ダメです。それじゃあ戦争になります!!」
「おや! それでは貴方はここで白銀の残光やお友達だけではなくゲルヴィも見捨てるということで!」
「じゃあ、今すぐヴィージを止めればいいじゃないですか!! 領地内に入ってくる前に、なんでやらないんですか!? そうすればまだ、衝突は小さく済んで────」
「ああ本当に貴方は話の分からない人だ……」
アーサードが苛ついたように、自分の手の甲を指でトントンと叩いた。
「────救世主がいると言っただけで、ヴィージの精鋭が今攻め込もうとしているのです! これほど野蛮な人間たちが隣にいては、いつか戦争になりますよ! ですから、今やるべきでしょう!」
アーサードが腕を広げ、笑った。
(どうする、どうする、どうする!!)
ヴィージはきっとこのまま攻め込んでくる。救世主がいると聞いて、ゲルヴィを脅威に思って攻撃してくる。
戦争をしたくないと言ってそれを放置したら、みんなが……ゲルヴィの人たちも危ない。
(私の判断が必要になってる)
(私がみんなを見捨てるか、そうじゃないか決めることになる!!)
リーチェさんにあんなに偉そうなことを言った癖に……私は今、完全にアーサードの掌の上にいる。アーサードのしていることは完全におかしいのに、それに従わないといけない状態になっている。
「…………」
汗が落ちる。
ぼた、と何滴も床に染み込んだ時……私は口を開いた。
「私は────」
その時だった。
「────おいおい、アーサード。俺のヒロコを随分と詰めてんじゃねえの」
轟音。
ドアが蹴破られ、その衝撃で埃と煙が立つ。
アーサードが驚いた声を出した。私も思わず声が出た。
そして、その方向を見た。
ピンク色の魔法陣。
翡翠色の魔法陣。
黄色の魔法陣。
次々と、出てくるその綺麗な色たちが。
────今、私のことを救った。
「ツクヴァル!!!」
ツクヴァルが、今ここに来ている!!




