第七隻 3話 それでも、ご飯を食べる
…………。
《おーい、聞こえるか……僕とローロラさんで調べてきたぞ!》
「わりーな二人とも。俺たち今、こっから動けねーんだよ」
ツクヴァルが撤退を決めてから、私たちはとにかく逃げた。
今いるのは、あの黄色い町からかなり離れた山の中だ。風を凌ぐために見つけた小さな岩小屋に、二人で身を隠していた。
「…………」
自分の肌を触る。冷たい。
さっきのことを思い出すだけで身体が震えた。まだ気持ちの整理がついていない私の代わりに、ツクヴァルが精霊通信を使ってパルヤとローロラさんに連絡を取り、あのマフィアについて調べてもらっていた。
《黄色い街のスラム街にいた、茶色いスーツのマフィアだろ。僕はゲルヴィに来てから数年しか経ってないから、あんまり分からなかったけど……ローロラさんが覚えがあるって》
《凄く小さくしか載っていなかったけど印象的だったから……私が集めている昔の新聞で、当時の記事が確認できたわ》
私はぼうっとしてしまって、三人の話がなんだか遠い場所で交わされている会話のように感じていた。
ツクヴァルが慣れない精霊通信の器具をいじっている。手のひらにおさまるくらいの丸い金属をころころとさせて、「ここだと音聞こえにくいな」とか言いながら、岩小屋の中をウロウロ歩いて声の通りやすいところを見つけている。
「ローロラ、お前知ってたのか?」
《戦争が終わったあと、スラム街に〝褐冠〟っていうマフィアが新しくできたって記事があったの。構成員はベルンクス峠の生き残り、住民の間に不安が募る……って書いてあったけど》
「けど、なんだ?」
《でも、その次に発行された号ではその記載が消えていたの。規制でもされたみたいにね》
ぼんやりしながら会話を聞いて、色んなことを考えていた。
ベルンクス峠の生き残り。
マフィアについての記事が規制されたみたいに消えた。
『私は国に頼まれて、こういうことをしているんだよ……ツクヴァル』
『妙な人間が、妙な動きをしているから調べろってね……スラムを回っているって、聞いたんだけれど』
国から頼まれて、スラムを回っている人たちを調べている。
……偶然かもしれない。
けれど、私たちもスラムを回っていた。
(嘘じゃなくて、本当に、本当に国が調べてるってこと?)
行き場のない不安がまた押し寄せてきて、ぎゅ、と自分の腕を掴むとローロラさんの声が通信から聞こえてきた。
《ヒロコちゃん……ヒロコちゃん! 大丈夫?》
「あ、は、はい、大丈夫、です……」
《ヒロコ……その、事情はツクヴァルに全部聞いたよ。上手く言えないけど……》
通信の奥でパルヤは、すごく困ったように私に話しかけてきた。
《……今はとにかく、安全な場所で過ごしてくれ。もしも町に戻ってきたら、僕たちも色々協力するから》
「…………うん」
そこまで話したところで、ツクヴァルが「探知とかされたらやべーからそろそろ切るぞ」と言って通信を切った。
岩小屋の中が静かになる。
どうやって会話をすれば良いのかわからなかった。
ただ、あの人たちが襲いかかってきた時のことが、頭の中に何度もフラッシュバックしてくる。
赤い魔法陣。紫の魔法陣。禁術。
ツクヴァルと旅をする中で色んな魔獣や動物、そして治安隊の人たちや半グレを相手にしてきたけど、あんなに強い人たちは今までいなかった。
「……ヒロコ、凹んでんな」
ツクヴァルが私の隣に座って、声をかけてきた。
「…………」
「……ま、赤とか紫とか見てビビんのはわかるけどよ。俺もふつーにつええからな? だから、まーあいつらもさっさとぶん殴って────」
「ツクヴァル」
私が名前を呼ぶと、ツクヴァルは私の言葉をゆっくり待つみたいに、黙った。
「スラム街を回っている人を調べてるって、私たちのこと?」
私は明らかに、震えていた。無意識だった。
震えがおさまらなかった。自分でもそうしたい訳じゃないのに、ずっと手が小さく動いていた。それを止めようとするたびにまた別のところに力が入らなくなって、そして全てが無駄に終わった。
「…………」
「国が、国がああいうベルンクス峠の生き残りの人まで使って、あんな強い人たちに私たちを調べさせてるかもしれないってこと?」
「ヒロコ」
「そうだとしたら、私たちって、そんなに変なことしてたのかな? 私たちのやっていたことって国にとって良くなかったってこと?」
「……ヒロコ!」
私はもう、怖かった。
大きなものが、強いものが私たちに目をつけているかもしれないという事実が、とにかく怖かった。
私って、今まで色々やってきたけど結局戦えないし、普通の女子大生だ。元の場所に帰るための方法を探しながら、ちょっと旅とかしちゃったりして。
それだけだ。それだけなんだ。ツクヴァルが強いだけで私は別に強くないし、地位があるわけでもない。それなのに、地位も強さもある人たちに目を付けられてしまったら、私は為す術がない。
手だけじゃなくて、唇も震えていた。
「ごめんねツクヴァル、私たち、あんまりこういうことってしない方が良かったのかも────」
「────ヒロコ!!!」
ツクヴァルが、私の両腕を掴んできた。
泣きそうだった。呼吸が上手くできない。今後どうなるのかわからなくて、怖くて、ツクヴァルの顔を見れなかった。
ツクヴァルは私をじっと見ていた。
真っ赤な瞳が、静かに、静かに、私を捉えている。少しの間、何も言わなかった。
「ヒロコ」
そして、もう一度名前を呼んだ。
「国がなんでそういうよくわかんねえことしてるのか、俺にもわかんねえ。だから今はなんとも言えねー」
「……私だって、わかんないよ。ツクヴァルだってわかんないんじゃ、もうどうしようもないじゃん」
「けどな、今は確実に言えることがひとつあんぞ」
そう言った時、ツクヴァルが自分のカバンをごそごそと漁った。
そしてカバンから出したものを、私の手の上に次々と載せてきた。
「……これは」
私たちが色んな町を回っている中で買ってきた……特産品だった。
この赤い袋のやつは、魚介類が有名な町のインスタントスープ。
この緑の袋のやつは、確か野菜がたくさん採れる場所で有名な町の乾燥サラダ。
このオレンジの木の実は……果物が有名なところの酸っぱい木の実。このピンク色の袋は、入れるだけでおかずをちょっと辛くできる特別スパイス。
全部、私たちが旅をしてきて見たもの。
全部、私たちが出会ってきたもの。
「…………」
私は確かに、確かに。
このご飯を、出会ったみんなと食べてきた。
それがこの国にとって間違いだったとしても、目立つようなことだったとしても。私たちは確かにみんなに出会って食べてきた。
「そもそも飯食わねえと、動けねーから」
「飯食って考えるぞ。あいつらにどうやって勝つか」
ツクヴァルが小さな炎を点けた。
岩小屋の中が、優しく明るくなった。
「このまま凹んで食わねーままでいたら、あいつらが追いついてくる前に死ぬからな!」
私は、その言葉を聞いて……
木の実を取って、自分の口の中に放り込んだ。強い酸味が舌に広がって、顔がしぼんじゃうくらい刺激的だった。
「うん」
頷いた。
「食べようツクヴァル、それで……話そう」
いつもみたいに、作戦会議をしよう。
たとえ理不尽が襲いかかってきたとしても、私たちはやりたいことをやりたいのだから。




